ミニコミ専門店「シカク」店主・たけしげみゆきさん20歳のオタク女子、社会経験ゼロでミニコミ専門店シカクを起業!
金なし・コネなし・社会性なし、さらに人見知りという若干20歳の同人誌好きオタク女子。若気の至りでスタートした本屋を、唯一無二の独立系書店にまで育て上げたその原動力は一体何だったのか!?
プロフィール
「シカク」店主たけしげみゆき
ミニコミ専門店「シカク」店主・たけしげみゆきさんは、当時大阪にはほとんどなかったミニコミ(いわゆるZINE、または同人誌)専門店を若干20歳という若さで立ち上げ2021年に10周年を迎えました。
金なし・コネなし・社会性なし、さらに人見知りという若干20歳の同人誌好きオタク女子だったたけしげさん。
若気の至りでスタートした本屋を唯一無二の独立系本屋にまで育て上げたその原動力とは一体何だったのか?お話を伺いました。
全2話、後編はこちらからどうぞ。
目次
大阪で唯一独自の視点でセレクトされたミニコミ独立系本屋「シカク」とは
シカクは最初からZINEやCD、グッズも置くし、イベントもする、みたいな感じでいろいろやりたいなと思っていたので、何のお店かはお客さんに決めて欲しいという事で、空白を意味するシカクという名前にしました。
私にはカリスマ書店員のような目利きの力はないのですが 、シカクは「普通の本屋に置いてないもの」を置いて、来てくれたお客さんにとっての発見の場でありたいと思っています。
たまに迷い込んで間違って入ってきちゃう今どき風なカップルとかがいるんです。もちろん何も買わず茫然として帰ってしまうんですが「なんか謎の給水タンクの本あったな…」っていうような爪痕だけでも残せたらいいなと。おそらく普通に生きていたら出会うことのない本に出会える場、それがシカクです。
今スタッフは4人です。フリーランスで業務委託しながら勤めているスタッフが2人、サラリーマンとして働きながら、週末にお手伝いに来てくれるスタッフが2人です。
所蔵はミニコミが8~9割。新刊本は2割で、メインのミニコミの存在感が霞まないように新刊はかなり数を絞っています。
新刊を扱う書店をきちんとやっていけるほど本の知識があるわけじゃないし、毎日刊行されているたくさんの本を選書するような能力もないので、それは得意な人たちにお任せして、むしろ私にしか出来ない選書、シカクのお客さんに見て欲しいと思う本を扱っています。
ギャラリーは毎月1本、年間マックス12本は展示を開催しています。私とスタッフでそれぞれ得意な守備範囲の中からいいなと思った方にお声がけしています。ゆるく分業ですね。
展示は、単純に楽しいからやっています。今はデジタルの作家さんも多いですが、画面で見るだけでなく、原画には印刷では再現できない色や筆致が感じられるので、リアルで見て欲しいですね。
インターネットをうまく使って発信することも必要なんですけど、リアルにこだわって体験価値を企画する方がテンションは上がります。
ただ昨年はコロナの影響で全然展示が出来なかったのもあって、今年は毎月フルで展示を入れています。
ギャラリー展示料は作家さんからは頂かず、展示の関連グッズの売上を手数料で頂いています。作家さんのファンからの認知はもちろん、展示にいらっしゃったお客さんがシカクの商品を購入するという流れも大きいです。
イベント収益は参加費とサイン本です。もし店舗でやる場合は、そこに来てくれたお客さんが商品を購入してくれるので売上に繋がる重要な導線です。
出版は年1冊出すのが目標です。
編集作業は全て私とスタッフでやります。私はアートディレクター兼編集、中身のデザインや進行管理はスタッフという分業で、外注はしていません。
編集の経験はありませんが、今まで読者として本に接してきて「自分が読みたい本を作ろう」と思ってやっています。(だから本職の人が見たらメチャクチャな作り方かもしれません…)
初版はだいたい2~3000部、それを2~3年かけて売ります。突如、メディアやSNSでバズって、重版したこともあります。
お店を始めるに至ったわけ
マンガ家になりたいと思っていました。
もともと絵を書くのが好きで、趣味で漫画を描いたりもしていました。
母親が漫画家というのも影響していると思います。
高校が美術関係だったので、デッサンとか油絵とか美術全般を学んでいて、その中にデザインとかレタリングの授業もありました。そこでデザインや広告に興味を持ったことからデザインの専門学校に進学しました。
架空のお店をコンセプトから作るような授業もあったので、それが今の仕事にも活きています。
もともと頑固親父がやっているような昭和感あふれる古本屋さんが好きで、古本屋の店主に憧れもありました。
自宅にはいつも本や漫画がたくさんあって、そういう環境にいたことも大きいですね。本はずっと好きだったので仕事にしたいという思いもあり、就活の時に書店を受けたりしました。
また私がもともとオタクで、同人誌の即売会とかによく行っていました。
普段そういうところに行かない人や初めての人にとっては同人誌の即売会に行くって結構ハードルが高いんですよ。そもそも入場料で1500円とかかかるので、それなりに熱量が高くないと、まず行かないと思うんです。
そういう場所に行かなくても、普段出会えないようなニッチな本や作家さんの熱意みたいなものを、体験できる場があるといいな、そんな思いがシカクを始めるきっかけに繋がったと思います。
ミニコミ専門店は東京には何軒かあったんですが、当時大阪にはほとんどなかったので専門店を作れば「いけるんじゃん」っていうのはありました。
シカクを始める前に見えたビジョン
シカクをオープンしたとき、大阪で”住み開き”っていう自分の家の一部をお店とかギャラリーにするっていうのがプチブームで、マンションの一室で本屋やサロンを開く方が結構いました。
実際自分の知り合いでも”住み開き”を始めた人がいました。今はもうないのですが、谷町6丁目(大阪市中央区)にポコペンというバーがあって。
劇団子供鉅(きょじん)という劇団の団長さんが住みながらバーをやっていたんです。雰囲気のあるボロボロの長屋で、バーといっても、台所で作ったお酒をリビングで飲むという完全にお家なんですけど、そこで劇団の公演もやったりしていました。
その団長と元シカクの店長Bさん(元シカク共同創業者)が知り合いで、その団長さんが公演で3ヶ月ほど留守にすると聞いて、留守番のような、家賃だけ払ってバーを営業するのを私も手伝ったんです。
好きにやっていいよということだったので、展示みたいなこともして、シカクを始める前にちょっとした疑似体験はしてたんです。それがベースになって、自分たちでお店をやるならこうしたいっていうイメージは出来ていました。
多分いきなりゼロから始めるのはハードル高いんですけど、お手伝いして、自分の知り合いとか常連さんが割とひっきりなしに来る感じもあって、なんとなくですが、これなら自分たちでもお店をやれるという感触を掴んだように感じます。
当時就活していたんですが、Bさんからその団長のバーでお手伝いするとい聞いて、手伝っているうちに何かこっちのほうがいいかもって思えてきて。 若気の至りと勢いもあり、Bさんと2人でシカクを始めました。
若気の至りから勢いでの1号店オープン
当時の1号店はワンルームの住居を兼ねたお店です。開業資金がないので、ミニコミを置く棚をDIYしたり、家具はリサイクルセンターで集めて、お店っぽくしました。
当初の告知やPRにはツイッター、フェイスブック、ブログを活用していました。ブログで日々のお店の雑記などをUPしていましたが、まだ全然ミニコミの仕入れもしていないので、特に書くネタがなくて。棚を作りましたとかそんな内容を書いていました。
ただ大阪のインディーズ系の情報を網羅している「おとうた通信」というフリーペーパーがあって、どこで情報を聞きつけたのか、オープニングパーティーの情報を掲載してもらえたんです。
「おとうた通信」は大きい情報誌には掲載されないようなニッチな情報を掲載していて、追いかけているファンは結構いたんです。
そのおかげでオープニングパーティー当日は知り合い含めて10人前後お客さんの来店がありました。専門店とうたいつつも、まだミニコミの仕入れが全然できていなかったので、来てくれたお客さんはポカンとしていました。「お店」と言えるほどの準備が出来ていないまま勢いでオープンしていました。
当時開店は週末のみで、平日Bさんはアルバイト、私はフリーランスでデザインの仕事を頂いてなんとか生計を立てていました。だからお店はあくまで趣味でやっていた感じです。売上は1ヶ月5000円程度でしたが、来てくれたお客さんとおしゃべりしたりして楽しかったです。
1年後、梅田からほど近い中津に移転し「お店屋さんごっこ」から本格的なお店に変わっていきます。
初めての借金 後戻りは絶対出来ない
大阪の中津に出来た2号店も住居兼店舗でした。ただ今回はきちんと改装して、見た目からはお店の体をなしていました。
とは言え、相変わらずお金はないので、家賃が1.5万円、改装は知り合いの職人さんにこちらも破格でお願いしました。
しかし途中トイレが壊れるという大事件があり、修理代や改装費にトータル100万円以上かかり、借金をするハメになりました。 この借金でようやく「お店屋さんごっこ」の甘えを捨てなきゃいけないと、お尻に火がつきました。「店をやっていけるかどうか」ではなく「店をやるしかない」というプレッシャーができ、追い詰められた ことで覚悟が出来ました。
出版社でボツになった企画を自費出版、新聞などで取り上げられ話題に!
自費で出版しようと思ったきっかけは、懇意にしていた作家さんに出版オファー話が来たこと。しかし商業ベースに乗せることが難しく企画がボツになってしまったことでした。
商業出版社が、売れるかどうかわからない本を出すことはリスクだと理解していても、なんとなく悔しい思いがありました。
企画会議やデータで検討を重ねてアウトプットするのが商業出版さんなら、シカクはシカクにしかできない事をやればいい、売れるか分からないけど、私が読みたい本を出したいという思いで出版部門を立ち上げました。
売れなくても仕方ない、赤字覚悟でした。それでも世の中にこんな面白いものがあることを知ってほしいという思い、シカクのコンセプトそのものの本が出せたらいいなと思いました。
当初シカクの出版物は店舗とオンライン、一部直接取引している書店での取り扱いのみでした。
細々とシカクの出版物を刊行していく中で、事件が起こります。
シカクで刊行した本が、たまたま新聞や雑誌など様々なメディアで話題になり重版が掛かるほどの売れ行きとなったんです。
それを大手出版社の編集さんが目をつけて、著者に「弊社のレーベルでそのまま文庫版で刊行したい」というオファーが来たんです。
ただ、そのまま文庫化って…、刊行からものすごく時間がたっているわけでも、絶版本でもなく、最近刊行されたような本なのに、それってどうなの?
正直、違和感しかありませんでした。ある意味横取りされるような感じ。
それも悔しい思いがあって、それならシカクの本を全国流通できるようにしようと思いたちました。
ド素人なので全国流通するまでに色々リサーチして、大変でした。
ようやく2016年に全国流通できる問屋さんと取引を開始しました。
本を全国の書店に流通させることは、全国に広告を出しているのと同じことです。その効果が思いがけず、じわじわと出てきて売り上げの規模も大きくなっていきました。
2号店になって、Bさんがバイトを辞めて、私もデザインの仕事をちょっとずつ減らしていき、完全にシカクの売上で生活できるようになりました。
開店から大体5年ぐらいでした。
もちろんシカク一本で生活が出来るようになっても、売上は常に順調という訳ではなく、生活費をまかなうのでギリギリでした。全く貯金が出来ない状態です。
この頃、Bさんとの関係が悪化していたこともあり、できるだけ2人でいる時間を減らしたいという思いもあり、夜勤のバイトを始めたりしました。
それからシカクと私の人生で最大のどん底を迎えるに至ります。
取材・文/I am 編集部
写真/本人提供
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この記事を書いた人
- 仕事、家事・育児に追われ、自分のことを後回しにした30代。40代に突入し、これからの働き方を模索中。強み:やると決めたらすぐ動く。営業一筋で培った断られても大丈夫なマインド。弱み:無趣味。営業マンだったのに口ベタ。
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