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人生を変えるI amな本「働いたら負け!」ギリシア時代、労働は卑しいものだった? 人類の壮絶な「働き方改革」の歴史から紐解く未来の働き方とは?

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働き方改革で私たちの働き方はどうなる? 奴隷制度から始まり、産業革命が生んだ過酷すぎる労働環境。そして労働運動によって福祉が発達、未来は明るいと思いきや、待ち受けるのはどんな働き方?

人類の歴史は「働き方改革」の歴史そのもの

「時間外労働の上限規制」や「同一労働同一賃金」など、日本人の働き方にメスを入れた「働き方改革」。2019 年より、関連する法律が続々施行されているのは、皆さんご存知のことと思います。


これは、突然登場したイメージが大きく、それ以前の働き方には「改革」がなかった印象を与えるかもしれません。ですが実際は、日本人を含めた人類の歴史は、働き方改革の歴史でもあったのです。


1 日 8 時間労働といった現代人には当たり前の制度も、人類史の尺度からみれば、つい最近始まったもの。今の常識は、過去においては非常識、それは未来においても同様でしょう。


そんな事実に気づくきっかけを与えるのが、今回紹介する『激動のビジネストレンドを俯瞰する「働き方改革」の人類史』(イースト・プレス)。本書は、古代ギリシア人から現代日本人の働き方までを俯瞰した歴史書です。

古代ギリシア・ローマ時代:労働は卑しいもの

「勤労は美徳」という価値観は、今の日本人にはごく自然なものとして根付いています。


一方、古代の西欧において、働くことは「卑しいもの」でした。古代ギリシア・ローマ時代からキリスト教が広まっていく時代にかけて、労働は忌避すべきものであったのです。

ここで言う「労働」とは、食料を調達したり、建設作業に従事したりといった、高いスキルを要しない肉体労働を指します。こうした仕事は奴隷がやるべきものとされ、市民は「働いたら負け」だったのです。


労働しないですむ人々は、一日中ゴロゴロしていたわけではなく、政治、宗教儀式、学問、芸術にいそしむ、それなりに忙しい日々であったようです。教養的な知識・技能を身につけ、実践することが上流階級の証でした。

11 世紀:商売繁盛でオフィスワーカー誕生

くだって 11 世紀になると、大陸をまたいだ国際的な商業活動が盛んになります。これを生業とする商会(現代の商社に相当)の幹部は、汗水流して商品を各地に運ぶのでなく、オフィスワーカーに徹していました。駐在地や取引先から届く手紙を読んで、売り買いの指示を出したり、帳簿をつけたりといった事務作業がメインでした。


これを批判したのはカトリック教会です。ものを左から右に動かすだけで巨万の利益を生み出していることは、キリスト教の視点では恥ずべきものであったのです。

16 世紀:「富の蓄積」を認めたプロテスタント

そんなネガティブな労働観を転換したのが、16 世紀に登場したプロテスタントの信徒たちでした。本書の著者で、出版社に勤務しながら「歴ログ-世界史専門ブログ-」を運営する尾登雄平さんは、次のように解説しています。

品質の良い製品・サービスを、良心的な価格で提供する。「隣人愛のある営利活動」の結果、富が蓄えられるのであれば、それは神の意志に適っている。このような教えから資本形成が促され、イギリスやオランダといったプロテスタントの国々は他の国に先駆けて、高度な経済発展を遂げたというのです。(本書 27p より)

そして、この後に起こる産業革命が、労働の意識変化を大きく進めました。

産業革命:低賃金・長時間・非衛生環境

テクノロジーの進歩が生んだ産業革命は、製品の大量生産を可能としました。これは、庶民の生活の質を向上させる一方、「低賃金・長時間・非衛生環境」での劣悪な労働をも生み出しました。


児童ですら1日 16 時間も働かされたこのシステムは、苦汗(くかん)制度と呼ばれます。
日本でも明治維新後の工業化に伴い、貧農の若い女性が、紡績・製糸の現場で過酷な労働に従事しました。


苦汗制度に対抗するため、各国では労働運動が組織化されます。労働者たちは、労働争議やストライキを通じて、国家や雇用主と対決しました。そのかいあって、労働環境が少しずつ改善されていきます。


労働環境や社会保障が大きく進展したのは、第二次大戦後の話です。経済発展と並行するように、多くの国々が福祉国家体制を整備していきました。

日本が高度経済成長を遂げた秘密

1960 年代の後半に入ると、西側諸国の経済成長は鈍化し、低迷し始めました。その中で、絶好調の時代を謳歌したのは日本です。欧米諸国はこぞって日本の高度経済成長の秘密を探りました。


1979 年、アメリカの社会学者 E・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を著し、「日本は数多くの分野でアメリカやヨーロッパ諸国を上回った」と主張します。


なぜ日本だけが、経済成長を持続させられたのでしょうか?


尾登さんは次のように分析します。

当時なされた数々の分析を要約すると、日本企業最大の強みは「メンバーシップ型」の労働を高いパフォーマンスで実行できる点であったと言えます。
メンバーシップ型労働は企業が必要とする仕事に労働者が合わせるというもので、20 世紀の主流な労働システムでした。産業の中心が軽工業から重化学工業や自動車製造業、精密機械工業などの高度な技術力が必要な分野に移ると、個人経営や同族経営ではもはや統制がとれなくなります。大人数を雇用し、官僚化した組織により運営される大企業が発達しました。(本書 73p より)

日本人の長時間労働ぶりが際立ったのもこの頃です。長く働けば働いたぶんだけ給料が増え、所属する企業の繁栄が予見しやすかったからというのが大きいでしょう。


が、それとは別の側面を尾登さんは指摘します。それは、「滅私奉公」の意識。自分だけ定時に帰ったり、有給休暇を取れば、他の人に負担をかけて申し訳ないという意識が強くあったのです。この意識を互いに押し付け合って、どんどん強化されいき、とめどない残業地獄に陥ったわけです。


潮目となったのは、1990 年代はじめのバブル崩壊と、低成長の「失われた 30 年」です。長時間労働が常態化する職場はブラック企業と揶揄され、やがて国の政策による働き方改革へとつながります。

未来:世界の労働者と戦うサバイバル時代

尾登さんは、古代から現代までの働き方改革を紹介するだけでなく、今を生きる日本人のこれからの働き方についても論じています。


端的な結論は、次の1文に集約されています。

これからの働き方は、国の支援や会社の保護は期待できない、知恵と能力を武器に世界の労働者と戦う、完全な平穏のないサバイバルに近くなっていくでしょう。(本書 227p より)

これをチャンスと見るか、危機と恐れるか、人それぞれかもしれません。ただ確実なのは、サバイバルゲームに脱落する人、負ける人が出てしまうことです。そうした「できない人」が多数派を占める場合、国レベルでの経済成長は望めず、格差社会が深刻になるばかりでしょう。

ネオ未来:目指すべき姿は「幸福を皆で追求する社会」

尾登さんも、「できない人」が「意識が低く、自己研鑽できない劣った存在」と、「できる人」からみなされることを懸念します。「できる人」は、そうでない人に極力の支援を行う「幸福を皆で追求する社会」が目指すべき姿だと締めくくります。


予測しやすい流れはありつつも、働き方に関する今の常識は、これからどんどん変わっていくことでしょう。それは、フリーランス・個人事業主の方にとっても同様です。時代の流れに翻弄されず、自律した働き方を望むのであれば、本書は意外な一助になると思います。ぜひ一読してください。

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この記事を書いた人

鈴木 拓也
鈴木 拓也
都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。

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