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人生を変えるI amな本人生はあっという間! 日々の忙しさに悩む人に、古代ローマの賢人が説く「自分の人生の取り戻し方」

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少しの自己投資で人生を変える読書術。なぜ人生は短いと感じるのか、なぜ毎日忙しいのか、自分の人生を生きるためにはどうすべきなのか? 古代ローマの哲学者・セネカは、これらの問いに貴重なアドバイスをしてくれます。

古代ローマ時代の哲学者・政治家、ルキウス・アンナエウス・セネカの書いた小編『人生の短さについて 他 2篇』(岩波文庫)という本をご存知ですか?


歴史に残る名著の1冊ですが、特に今の仕事に役立つような、具体的な事柄が書かれているわけではありません。
しかし、なぜか引きこまれるものが、その本にはあったのです。そして、ミドルエイジを迎えてフリーランスや個人事業主として働く人たちに推薦したい一冊でもあります。


最近になって新訳『人生の短さについて 他 2 篇』(古典新訳文庫)が登場しました。これを下敷きに本書の読みどころを紹介しましょう。

死ぬ直前に気づく「人生の本当の長さ」

『人生の短さについて』という題名からして、高齢となった哲人が人生の短さを嘆くエッセイかと思われるかもしれませんね。実際は、その逆です。セネカは、まず「ひとの生は十分に長い」と記しています。さらに誰にも、「偉大な仕事をなしとげるに足る時間が惜しみなく与えられている」と続けます。もっとも、セネカのいう人生の長さは条件付きのものです。


ただし、それは、人生全体が有効に活用されるならの話だ。人生が贅沢三昧や怠惰の中に消え去り、どんな有用なことのためにも費やさなければどうなるか。ついに一生が終わり、死なねばならぬときになって、われわれは気づくことになるのだ―人生は過ぎ去ってしまうものなのに、そんなことも知らぬまに、人生が終わってしまったと。(本書 16p より)


セネカが生きた紀元 1 世紀のローマは、人口が 80 万人以上に膨れ上がり、かなりの過密都市でした。その坩堝(るつぼ)の中で、貴人も庶民も、それぞれの立場に応じて、せわしなく働き、遊び、生活にかかわる細々としたことをしていました。セネカの視点では、こうした活動のうち、限られた人生の中で本当にやりたいことをやっている人は、ほとんどいなかったのです。


たしかに、ローマ人の少なからずは、「五十を過ぎたら仕事を引退しよう」などと、心に決めます。しかし、そこまで生きていられる保証はなく、無事引退しても、本意でもない何かにとりかかるのでした。どうしてこうなってしまうのでしょうか?


セネカは答えます―「まるで永遠に生きられるかのように生きている」からだと。人生の有限性に気づかないことが、人生を無駄遣いするひとつの原因なのです。

毎日を人生最後の日のように生きる

現代は、「忙しい自慢」という言葉があるくらいで、多忙であることが何か重要なことのように思われています。
誰もが「なんて忙しいのだろう」と嘆きながら、いざ多忙から解放されるときっと焦ることでしょう。


古代ローマの都市部で生活する人々も、似たようなものでした。あたかも多忙であることが美徳、あるいはローマ市民の義務であるかのように、せわしない世界であったのです。ある人は銭勘定にあけくれ、ある人は心配事ばかりして過ごし、ある人は身分の高い人のご機嫌取りに忙殺される……セネカは、多忙であることの問題点を次のように指摘します。


ようするに、だれもが認めるとおり、多忙な人間は、なにごとも十分になしとげることができない。弁論においてもそうだし、学芸においてもそうだ。じっさい、[忙しさで]心が散漫になると、なにごとも深く受け入れることができなくなる。(本書 74p より)


セネカは、こうなってしまう遠因として、「未来への希望と、現在への嫌悪」を挙げています。言い換えれば、「今の人生は良くないが、いつかきっと良くなるはず」という一見好ましい考え方が、生き急ぐような人生へと駆り立てるのです。

その解決策はなんでしょうか?


これについてセネカは、「毎日を人生最後の日のように生きる」ことをすすめます。明日を待ち望むことも、恐れることもせず、結局どうなるかわからない未来のことは、「運命の思いどおりにさせておく」という姿勢です。

セネカの言う「ほんとうの人生を生きる」とは?

『人生の短さについて』は、セネカが、妻の近親者パウリヌスに宛てて綴った書簡とされています。パウリヌスは、ローマ帝国の食料管理官という要職にあり、重責と多忙に苛まれていたようです。


これが書かれた詳細な経緯は不明ですが、パウリヌスの愚痴に応じて、セネカが助言したものなのでしょう。終わりのほうでは、公務の嵐に立ち向かいながら、十分な徳を示したことをほめつつ、「ほんとうの人生を生きなさい」と記しています。


あなたの人生のうちのかなりの、そして間違いなく良質な部分は、国家に捧げられた。これからは、その時間を少しでも自分のために使いなさい。(本書 80p より)


セネカは、パウリヌスに公職を退き「閑暇な生活」をすすめます。これは、ただ暇を持て余す生活ではなく、本来の活力を取り戻して「大切な仕事」に打ち込むことです。セネカは、はっきりとこれこれの仕事をせよと、明言はしていません。しかし、パウリヌスに対し、「教養を身につけるために、あらゆる教育を受けてきた」ことを思い起こさせ、「徳を愛して実践」するよう説きます。それこそが、短い人生を長く生きる秘訣なのだと。


筆者は、老親が住む実家に年に 1、2 回帰省します。その時の楽しみが、本棚に埃をかぶって何十年と鎮座する蔵書を読むことです。フリーランスという立場になって、読書傾向はガラリと変わりました。そして、今までスルーしていた本に目を向けるようになったのです。


本書を読むと、セネカが生きた時代から二千年を経た今も「人間の悩みって変わらないのだな」と実感します。
それだけに、現代人も肝に銘じるべきアドバイスが身に沁みます。書かれている高邁な理想のすべてを達成するのは無理でも、人生への向き合い方はきっと良くなることでしょう。

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この記事を書いた人

鈴木 拓也
鈴木 拓也
都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。

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