会社を辞めてわかったこと みんなが冷たい・・・ お金が減っていく・・・会社を辞めたら「お金」と「肩書き」がなくなる恐怖をどう乗り越える? 〈チョコレートジャーナリスト市川歩美・第2話〉
日本を代表する放送局を辞めて、好きなチョコレートで独立。好きを仕事にするための条件とは?
日本初の「チョコレートジャーナリスト」市川歩美さん。
ブロガーがスイーツ紹介、お菓子紹介、商品紹介などなど乱立する中で、一線を画する「ジャーナリスト」としての仕事とは?
放送局を退職後、肩書がなくなって自分の名前で仕事をするまでの道のりは?
目次
会社を辞めたら、衝撃が走った!
チョコレートジャーナリストになろうと思って会社を辞めたのですか?
辞めた理由は、チョコレートジャーナリストとは全く関係ないんです。
番組制作の仕事はやりがいがありましたが、ものすごく広く浅く多くのことに詳しくなる⼀方で、じっくり深く何かを追求する時間を、私は作れなかったんですね。
いろいろな理由はありましたが、ひとつは「深く何かにじっくり向き合いたい」と思いました。
辞めてみて、何か感じることはありましたか?
会社からお給料をいただいて仕事をしていれば、お給料が毎月振り込まれますが、会社を辞めるとゼロになるんですよ。当たり前のことなんですが、何かやらないとゼロなんだ、という実感は、わりと衝撃的でしたね。
会社を辞めると、収⼊がゼロ円になるうえに、減っていく
どんな感覚なんですか?
長年当たり前だった「会社がお給料を銀行口座に毎月振り込んでくれる」のがストップするのは、やっぱりううむ、となりました。
堅実さで有名な愛知県生まれの両親に育てられたので、放送局時代にしっかり貯金はしていたんです。「ありがとう、いままでの歩美」と感謝しながらある程度の貯えをもとに、安心して辞めたんですが、”減っていく”っていうのはやっぱりメンタルに来るんですよね。増えずに減っていくだけ、っていうのは…。
新卒で就職してから、会社から毎月毎月お給料が口座に振り込まれるっていうことが何年も続いていたので、それが当たり前だと思ってしまっていました。
でも、いざ辞めたらお給料⽇がすぎても「なにも振り込まれていない、あれ?」そして実感。ちょっと恐怖、みたいなことになりまして(笑)。
「何にもやらないと、ゼロなんだね!」と、衝撃的に気づくわけですね。
お金は自分の価値と紐づいていた?
その衝撃に耐えられそうにありません・・・
その衝撃がきっかけとなって、「何かやってみよう」とリアルに思ったんです。
ちなみに、辞めたらお給料が⼊らなくなるのは分かっていたことだと思うんですが、それでも焦るものなんですか?
皆さんの参考になればと思うので言いますが、私は焦りました(笑)。
自分がお金をいただけているということと、自分の価値がなんとなく結びついていたんでしょうね。なので、お金をいただけないイコール、わたしは無価値な人間なんじゃないだろうか、とかよぎってしまうのがトリッキー。今は全然そんなこと思わないんですけどね。
お金と自分の価値が紐づく……。
会社を辞めると、肩書きがなくなって、人が去っていく
しかも、わたしの場合は放送局の肩書がありましたから、名刺を差し出せば、それまではわたしがどんな人間であろうと、放送局を名乗るだけで多くの人が多目にみて、歓迎して、認めてくれていが気がするんです。それがなくなるわけですよ。
お金がなくなる、肩書がなくなる。このダブルは、なかなか大きいです。
会社を辞めると、お金と肩書を⼀気に失うという打撃が(恐怖が)待ってるんですね。
そうなんです!
でも、ここはぜひ乗り越えてほしいですね。
肩書がなくなったことで丸裸な自分をさらけ出しているから、相手も今までとは違う接し方をしてくれる、ということもあるんでしょうか?
今までと違う人たちとの交流はうまれました。ただ、今までいかに放送局の人間というだけで、ちやほやされていたかも分かりました(笑)。
ですから私の場合は、辞めてからみんなが優しくなったというよりは、みんなが冷たくなった感じがしたんですよ。実際はニュートラルになっただけなんでしょうけれどもね。
肩書がなくなったら去っていく人もいるんですね!
損得関係で関わっていた人は、去っていきますね。
それまで「すごーい、こういうところで働いてるんですか~」「これ、ぜひ試してください」「ご招待させてください」と、大抵いつも「大歓迎」されてたのが、突如、誰もが「ふーん、それであなた何者だったっけ」みたいに変わった、みたいな(笑)。
わかりやすいですね(笑)
まあそんな感じでちょっと寂しかったんですけど、それも私には面白いな、と思えたりして、とにかく、変化を乗り越えることが大事なんですよね。
会社を辞めると、人それぞれの感じ方や性格にもよりますが、いくつかの険しいポイントがあるわけです。
会社を辞めると、自分が無価値な人間に思えてくる
会社の肩書がなくなったら、なんか周囲がちょっと冷たくなった気がするとか、「わたし、いま無価値なのかも」と思う瞬間とか、そういうのを乗り越えるというかですね。
無価値…つ、つらい。
当時は、そのギャップに、北風がひゅーと吹いて、ちゃぶ台の前に座ってお茶をすすっている…みたいな何とも言えない気持ちになったこともありました(笑)
そこを乗り越えると、どうなるんでしょうか?
そこを乗り越えれば、きっと今までと世界の見え方が変わってくると思うんです。
恐怖を乗り越えると、自分自身が肩書で人を見なくなる?
わたしはもともと肩書で人を見ない方で、いろんな尺度はスルーする方ですが、まあ、いろいろありますよね、どこの学校出身とか、どこの病院で生まれたとかまで(笑)。
ただ、本当の意味で人とまっすぐ向き合えるようになれたのは、自分が放送局の肩書をなくした経験をしたからかもしれません。やっぱり会社を辞めてから、世界が立体的に、そして広く深く見えるようになりましたね。
昔以上に、どんな肩書であろうと有名であろうとなかろうと、わたしは好きな人は好きですし、心から尊敬している方がたくさんいます。
世界の見え方が変わると、自分自身の仕事に対する気持ちは変わってくるものですか?
変わりましたね。同じ人でも、私が放送局のディレクターとしてお会いして聴くお話と、単に市川歩美として付き合ってくれて話してくれることは、違います。見せてくれる表情も、全然違うんですよね。ディレクターだった当時は、わたしにもフィルターがかかっていたのかもしれません。
「こういうことを生きがいにしている人がいるんだ」「世の中にはこういう仕事があるんだ」ときれいごとでなく実感としてわかるようになったり。視界が開けましたね。
恐怖を乗り越えるポイント①目標を持つ
でもこの状況から、いったいどうやって自分を立て直すというか、リセットしていったのでしょう?
わたしは最初は、心理学にかかわる仕事がしたいと思って、辞めたんですね。人の心理や行動に興味を持っていたので、落ち着いて勉強してゆくゆくはそういう仕事をしようと。
辞めた後はどんなことをしていたんですか?
心理学の勉強を始めました。好きだからもう、スイスイ頭に⼊っちゃう。暇さえあれば勉強して、いくつか資格も取りましたし、楽しくてしょうがなかったですね。それで、例えば「結婚相手は彼でいいのかな」「会社辞めた方がいいかな」とか、そういう⼀般的な悩みを持つ方の話を伺うカウンセリングを始めてみたら、「すごくよかった」という感想があって、ご紹介でたくさんのクライアントさんが集まりました。
どうしてそんなにクライアントさんが来てくれたんでしょうか?
カウンセリングは相性もありますから、最初の頃、相性のいい方に出会ったからだと思います。「今まで受けたカウンセリングで⼀番よかった」と喜んでいただいて、お知り合いをご紹介くださり、結局その方の職場のチーム全員をカウンセリングすることになったり。
そんなこんなで、カウンセリングのフィーいただけるようになって、「あれ、なんか仕事、大丈夫っぽくなってきてるかも」とふと、思えた時があるんですね(笑)。
ちょっと前までは「お金が振り込まれない!」と衝撃を受けていたのに。
恐怖を乗り越えるポイント②つなぎバイトを厭わない
そうなんですよね、でも、心理学の勉強中は収⼊がなかったので、メイクアップスクールで顔モデルのバイトをしたりもしました。楽しかったですけどね、アルバイト料をもらって華やかなメイクのまま帰るんですけど、交通費と帰りのミスタードーナツでドーナツ食べてコーヒー飲んだらほとんどなくなっちゃう。
バイト代はいくらだったんですか?
たしか時給1,500 円でしたね。「お金をいただけるってありがたいなー」と、大好きなチョコファッションやチョコリングをオーダーして「コーヒーお代わりできるしおトク」とかって、何時間も派手めなメイクで本を読んでいたので、お店で有名だったかもしれません(笑)
初めてのクライアントさんのこと、覚えてますか?
初めてのクライアントさんのことは、本当によく覚えています。わたしと近いお仕事の方だったんですよね。「これはわたしの放送局の肩書にではなく、わたしがやったことに対して喜びを感じて、私に振り込んでくださったんだ」と感じ⼊りました。
市川歩美に対して対価を⽀払って下さった、ということですね。
はい。そのとおりです。そう感じられるようになったのは、「恐怖」をいくらか乗り越えたから、というのはあります。頑張って乗り越えてほしいと思います。
恐怖を乗り越えるポイント③自分の好きを続ける
心理学のプロとしてすっかりやっていけるようになってきたのと並行して、ずっと書いていたチョコのブログが検索で上位にあがるようになっていました。
リサーチをしていて私のブログにたどり着いた出版社やテレビ局から「書いてください」「出てください」と依頼をいただくようになりまして。
ちなみに、そのブログはいつから書いていたんですか?
2003 年です。ブログ、というものが出てきたころですね。
なるほど、もう 20 年近いですね。どういうきっかけで書き始めたんですか?
書き始めたのは、放送局に勤めていたころですね。伝えることが好きだし得意だったので、世に出てきたばかりのブログを始めてみることにしたんです。
お題をチョコにしたのも自分で決めたわけではなくて、⼀緒に仕事をしていたスタッフさんの「チョコがいいんじゃないすかー、市川さんなら」みたいな⼀言で決まったんですよ。
最初にチョコレートジャーナリストとしていただいたギャランティーは、いくらだったんですか?
それが、覚えていないんですけど(笑)。
最初はまだ放送局に勤めていたころで、確か東洋経済の別冊ですね。局にも許可を取って書いたんですが、覚えていなくて。
あまり金額に興味がなかったんですか?
その時は放送局に勤めていたので、いくらでも、というのがあったと思います。
放送局を辞めた後、最初に書いたのは『TimeOutTokyo』ですね。媒体ができたばかりのころで、これも記憶にないんですが、多分数千円だったと思います。
ジャーナリストの仕事としては、本数をこなさないと生活できない額じゃないですか?
そうかもしれませんが、わたしは当時、心理学の仕事もしていましたので、収⼊に問題はありませんでした。
私は、ひとつに絞らなくてもいいと思っているんです。何か「これ⼀筋、絶対これだけ!」としていると、良いこともある反面、リスクもあると考えてもいまして。
好きな事はひとつに絞った方がいいと思っていました。
もちろん、ひとつに絞れば集中してスキルを身につけられるメリットがあります。
でも、わたしがカウンセラー、心理学という軸とチョコレートの軸、ふたつの軸を持っていたことは、わたしの場合、メリットしかないですよ。
どちらかが⽀えてくれるという安心感につながり、ふたつの軸は邪魔し合うことがありません。
心理学の軸とジャーナリストの軸は、邪魔しあわないんですか?
チョコレートに関わるわたしが見ている世界と、カウンセラーのわたしが見ている世界は、別世界です。なんだか2人、友達同士みたいな。
例えばカウンセリングのクライアントさんのお話に出てくる人の性格や傾向について、チョコレートのお仕事で出会った多くのケースがリンクして、参考になったりですね。
いくつか仕事の軸がある、ということは、何を選ぶかにもよるでしょうけれども、少なくともわたしには、いいことしかないですね。
取材/I am 編集部
文/堀中里香
写真/本人提供
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第3話はこちら↓
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この記事を書いた人
- 知りたがりのやりたがり。エンジニア→UIデザイナー→整理収納×防災備蓄とライターのダブルワーカー、ダンサー&カーラー。強み:なんでも楽しめるところ、我が道を行くところ。弱み:こう見えて人見知り、そしてちょっと理屈っぽい。座右の銘は『ひとつずつ』。