Interview
インタビュー

銀座で1冊だけ本を売る「森岡書店」代表 ・森岡督行インタビュー

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東京・銀座に「1冊の本を売る」というコンセプチュアルな書店、森岡書店があります。店内にはひとつの本しかないにも関わらず、「ここで本を売りたい」と人が絶えることがないのです。その魅力に迫ります。

森岡督行

プロフィール

森岡書店森岡督行

1974年生まれ。東京の古本の街・神保町の古書店から独立「一冊の本を売る書店」がテーマの森岡書店の代表。資生堂『花椿』サイトで「現代銀座考」を連載中。展覧会の企画協力も行っている。「そばにいる工芸」(資生堂ギャラリー)、「Khadi インドの明日をつむぐ」(21_21 DESIGN SIGHT)、「山形ビエンナーレ」など。著書に『荒野の古本屋』(小学館文庫)、『ライオンごうのたび』(あかね書房)などがある。

東京・銀座に「1冊の本を売る」というコンセプチュアルな書店、森岡書店があります。店内にはひとつの本しかないにも関わらず、「森岡書店で本を売りたい」という人が絶えることはありません。そんな森岡書店のコンセプトは日本だけでなく、海外にまで大きな反響を及ぼしています。
しかし、最初から順風満帆だったわけではありません。毎月の支払いに破れかぶれになったり、コロナ禍で閉店の危機に瀕したり……。
一体どうやってピンチを乗り越え、魅力的な書店となったのか。店主・森岡督行さんは「自分の好きな事の先に、突破口はあるかもしれない」といいます。その秘訣をうかがうべくインタビューさせていただきました。

常に明るいほう、可能性を見出す

森岡督行
写真/shutterstock

コロナで店を閉める決断をせざるを得ない状況に追い込まれたのが2020年の6月。このままいくと12月に資金が尽きる。8月末には進退を決めなければいけない状況でした。ギリギリのところで「続けよう」と背中を押してくれたのが、出版記念や本の紹介をしたいという方々でした。

それで持ち直しました。特に気持ちの面で持ち直したというか、活路を見いだせました。

森岡書店のコンセプトは「1冊の本を売る」です。銀座の店舗でたった1種類だけの本を扱っています。本だけでなく、その本にまつわるあらゆるものも売っています。アートの展示会をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。1冊だけなので確かに門扉が狭いように感じられるかもしれませんけれども、年間52回の展覧会をやっているという事実もあるので、このスタイルには広がりがあると思っています。

「扱う本はこだわりがすごくありそうです」と言われることもありますが、線引きはありません。可能性を広げておくことで、自分の世界観を超えた驚きがあります。自分の考えとか経験が及ばない範囲のものが現れたときの化学変化、そういう方向性も大切にしています。

もちろん大事にしていることはいくつかあります。例えば、この人と1週間展示をやったらきっと楽しいだろうなっていう感覚。利益に繋がらなくても、将来何か一緒に仕事できるかもしれないとか、そこにはやっぱり希望みたいなものがあると思っているし、私はそういう可能性を見たいと思っています。もちろん、めちゃくちゃ儲かるんだったらグラっときます。(笑)

現状、日本の出版業界には複雑なところがあって(キャッシュフローのために)とりあえず本を作って取次に卸すという場面があります。そういうサイクルの中で作られた本でも、著者を世に出したい、どうしても伝えたい、そういう熱い思いを感じることがあります。そのような本を販売したいですしその著者や編集者と話をしたいです。

独立前には感じられなかったコミュニケーション

コロナ禍でも企画協力やコラボのお声がけを頂き、商売を続けることができています。

「コンセプチュアルな本屋」というイメージを持たれることがありますが、私の出発点は神田の古本屋。本と街が好きで古本屋で働いていました。

でも、思い返すと会社員だった時、お客さんと話すっていうのは皆無だったんですけれども、自分で本屋を始めてからは、お客さんと話をして、そこから色々と可能性が広がっていったと思っています。

私が衝動で茅場町に最初の本屋をオープンしたときの話なのですが、独立当初は売り上げが立たずに、月末の支払いができない状態、毎月破れかぶれでした。お金がなくても家賃とか諸々の請求は待ってくれない。売値の2割ぐらいにしかならなくても、蔵書を神田の古本市場で売ったり、お付き合いのあるコレクターの方にこれ買ってくださいませんかって売り込みに行ったり、それでなんとかお金を作っていました。

今でこそ笑い話ですけど、当時は早く地震が来て、街ごと全部崩壊してくれっていうふうに思っていましたので、かなり病んでいました。

でも独立前、不安はほとんどありませんでした。根拠のない自信というか。

綺麗な店舗だったし、ビルの中にギャラリーも入っていて、本好きとかアート好きの人が集まる場所だと思っていました。自分自身、知る人ぞ知る隠れ家的なお店を訪ねて行くのが好きだったので、ここまで閑古鳥が鳴くような状況になるとは考えていなかった。オンライン販売での売り上げもあるしなんとかなるだろうと高を括っていたんだと思います。

それから半年ぐらいして、展覧会をするようになって、少しづつお客さんも来てくださり、作品も売れたりということで、何とか、曲がりなりにも店舗が続けられるというふうな状況になっていきました。

ギャラリーをやるという着想がなかったら無き物になっていたと思います。本当にお客さんや人に恵まれているなって常々思います。人との繋がりは、やはり大切です。

毎朝家を出るとき、今日どんな人と会えるのかなってワクワクしているし、またそういう気持ちでいたいと思っています。その喜びみたいなものは、自分でお店をはじめたからわかるようになったと思います。

独立前は、世の中の暗い方向を見ているような人間だったのですが、明るい方を見たり、良い本を見ようというふうに気持ちが大きく変わりました。それは自分にとって大きなことだったなと思います。

「場所の力」は野生の勘

最初、展示企画は自分からお声がけをしたんですけども、展示を見に来てくださった方が、また展示をしてくださったりとか、その中でまたお声掛けをしたり、そういう繋がりも続いていきました。

それはあの(茅場町)物件の空間が良かったから続いたんだと思います。

あの空間に共感してくれる人がいたから、次々と展覧会が決まっていったんだと思います。私自身、ここでお店をやりたいという野生の勘で衝動に歯止めがかからなくて動き出してしまったので。直感でやったことに対して、後から理論がついてくると今では思っています。コンセプトとか、もしかしたら後付けで考えたほうががいいのかなとかって思ったりもするときもありますね。

何かやりたい、独立したいと思っている人がいたとして、例えばカフェをやりたいとかギャラリーをやりたい、特に店をやる場合ですが、自分の好きな建築とか空間とかを見つけて、そこの環境だったらこれをやるとうまくいくのではないかっていうような考え方でやってもいいんじゃないかなって思っています。

自分が好きっていうところから派生して、その建築とか場所が好きだっていう、その愛みたいなものが先にあるといいのではないかなあというふうに思います。

いつもギリギリな状態、だからこそ湧いてくるエネルギー

サラリーマンでいるときと、自分で店を構えている状態では全然違いますよね。サラリーマンのときは月末になればお金が振り込まれますけど。(ちょうど月末)今日もかなり払ってきましたよ。でも会社員に戻りたいという迷いは全くないです。

狩猟民族の縄文系か農耕民族の弥生系かでいうと、私は縄文系だと思います。生まれが山形なんですが、川で鯉とか鮎とかを探すのが好きだったんですね。そういった感覚を東京の街で体現しているのかもしれません。

いつもお金の心配が絶えず、ギリギリのところにいるっていうのは大変なんですけれども、だからこそ変なエネルギーみたいなものが湧いてくるんだと思っています。

森岡書店のコンセプトが日本だけでなく海外にまで大きく反響を頂いて、海外の方の本も販売したこともありました。しかし、この状況がいつまで続くのかはわかりません。

求められるために常に何かをしていないといけないと思います。

47歳でいよいよスタートラインにたった

今年47歳なんですけれども。松井秀喜さんとかと一緒の年なんです。これから何かやるには、良い年回りでちょうどいい年齢に差し掛かってきたなっていうふうに常々思っていまして。いよいよスタート台に立つことができたっていうふうな気持ちです。

40後半ぐらいから何か新しいことを始めた人って結構いると思うんです。

それこそ諸先輩方がこのぐらいの年頃からライフワークとなる仕事を始めている人も多いです。

もちろんそれなりに体力はあると思っていますけど、ちょっと前は180%で仕事していましたけど、今は120%ぐらいにはなっていますね。今はヨガとかウォーキングを続けています。

湧き上がるアイデアとパッション

森岡督行
写真/shutterstock

新しいアイデアやイノベーションを起こすためには、自分の好きなことを突き詰めること、自分ごととして捉えることが必要だと思います。そうすればその分野で何がなされていないのかが見えてくると思います。そこには案外、まだ誰も手を付けていない未開の領域があるかもしれません。

実は1年前の日記を書くということをうまく商品化できないか考えています。新潮社で日記の連載の仕事をしていましたが、銀座店開店準備で多忙となり1年ほど連載を休止しました。再開した時、偶然だったのですが、その休止していた1年前を思い出して日記を書いてみることにしたんです。そんなことをやるような人はいないだろうと思ってやってみたんですが、案外これが面白くて。

今日1日の行動が1年後に日記になるので、例えば今日が最悪な日だったとしても「1年後日記のネタになる」くらいに思えます。日記のネタのために敢えて困難な選択、ギリギリな状態に自分を追い込んでいるのかもしれません。時間が過去からの連続ではなく噴出しているような感覚なんです。

この日記があると自分の人生を加速させるような面白さがあるなと気づきました。

アイデアにしても人に対しても、やはり視点が重要だと思います。世の中、過去と未来、光と影、東西、南北と二元論で考えるなら、とにかく良いほう、明るいほうを見るようにしています。アイデアもどうすればより良くなるのかを考えるのが好きです。

またアイデアは人に言いにいくのも楽しかったりします。

例えば人と会う時、何時に、どんな喫茶店で、どんな服着て行こうとかを考えるのが好きですね。

どんな場面で何を伝えるのか、新幹線の移動中なのか、タクシーの移動中なのか、とかその場のディテールを組み立てて考えるのが面白いです。

実は昨年、伊藤昊の写真集を刊行するために某大手銀行に融資の相談にいきました。

コロナ禍で出版社としての実績もなかったですが、銀行から融資を受けることができました。そして『GINZA TOKYO 1964』として無事刊行することが出来ました。

アイデアを形にすることは、ある意味冒険、アドベンチャーみたいな感覚かもしれません。

コロナ禍でも、自分の好きな事の先に、突破口はある

このコロナのダメージはないと言えばうそで、ほんとうに厳しい状況に陥りました。来店してもらって体験を求めていたので、やれることは様々取り入れました。

インスタライブやZoomライブ、オンラインの街歩きツアーとか、有料の配信なども取り入れました。

でも去年の秋ぐらいになると、またあのリアルな方がいいなっていうふうに感じ始めました。これからはよりリアルできることをまた考えていきたいなというふうに思っているところです。

また、昨年長年の夢でもあった絵本を出版しました。

それは10年前に着想して7年ほどイラストレーターの山口洋佑さんと取り組んでいた企画でした。


ライオンごうのたび(あかね書房)
もりおかよしゆき・著 / やまぐちようすけ・イラスト

ある意味コロナでなかったら未だに形になっていなかったかもしれません。外出自粛によるおうち時間で絵本の需要が上がり出版社も強気になったからこそ実現できたのではないでしょうか。 この絵本は全国学校図書館協議会が選定する2022年「えほん50」に選ばれました。

独立してからの15年を振り返ると、本業以上の仕事の広がりが生まれてなんとかやってこれたと思っています。自分自身キュレーターという職を意識したことはないですが、本屋という立ち位置で様々仕事をさせてもらっているうちに、例えば山形ビエンナーレのキュレーターであったり、新潮社の雑誌「工芸青花」での仕事を頂いたり、工芸作家の話を聞きに行くとか、仕事が様々広がっていきました。また現在、資生堂花椿オンラインで現代銀座考という連載もしています。

※現代銀座考
1937年に創刊した資生堂の企業文化誌『花椿』。

仕事の枠は広がったとはいえ、森岡書店はメディアや出版などの、東京の地場産業に助けられてやってきました。だから本屋という自分の立ち位置は大切にしたいですし、むしろ本屋でなかったなら、このように仕事の枠は広がらなかったとも言えます。

いつも順調という訳ではありませんが、自分の好きな事の先に突破口がある。そして会いたい人に会いに行く行動力。そういうスタンスが自分にはあると思います。それが今後も新しい仕事につながったらうれしいです。

編集後記

2021年6月30日、clubhouseにて公開取材をさせて頂いたものをまとめさせていただきました。森岡さんは飄々とした口調なのに、その一語一語が沁みいる独特な語り口で、思わず聞き入ってしまいました。

取材前、森岡さんのイメージは森岡書店が放つセンス同様、凡人には到底近づくことは許されぬ……みたいな印象があり、とても緊張していました。

しかし、拝読した「荒野の古本屋」が途轍もなく面白く、イメージしていた森岡さんとはちょっと違う、お茶目さも感じました。突拍子もないエピソードが出てきて、森岡さんの人となりが垣間見ることができます。


荒野の古本屋 (小学館文庫)
森岡 督行・著

このclubhouseでも「1年前日記」の話が出た時、突如森岡さんが「あ、これ商品にして売ろう!」と突拍子もなく思いつき、なんと翌週には企画の打合せをさせて頂いたのです!

森岡さんは偶然を引き寄せて必然にしてしまう。そして人をワクワクさせる力がある。だから巻き込まれていくのかなと感じました。

「いつまで(仕事の)お声が掛かるのか、その状態がいつまで続くか分かりません」と飄々と語る森岡さん。でも「常に明るいほう、良いほうを見ていきましょう」と突破口を信じて突き進む姿は、むしろギリギリのところで駆け抜けることを楽しんでいるかのようにも見えます。

「1年前日記」商品化の実現に向けての話も今後紹介出来たらと思います!

取材・文/I am編集部
写真/shutterstock

この記事を書いた人

井坂 優子
井坂 優子副編集長
仕事、家事・育児に追われ、自分のことを後回しにした30代。40代に突入し、これからの働き方を模索中。強み:やると決めたらすぐ動く。営業一筋で培った断られても大丈夫なマインド。弱み:無趣味。営業マンだったのに口ベタ。

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