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キタムラアキラ、どん底からフリーランス・ブロガーという理想的な働き方に到達!

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キタムラアキラ、ブロガーでウェブサイト制作も請け負うフリーランサー。キャリアやスタイルを自由に選択し、組織だけに頼らない自分らしい I am な生き方を、いかにして手に入れたのか!?

キタムラアキラ

プロフィール

ブロガー / フリーランサーキタムラアキラ

1979年生まれ、神奈川県秦野市出身。ブロガーでウェブサイト制作も請け負うフリーランサー。ブログは個人運営ながら最高アクセス数は月間200万PV超とモンスター級。ウェブサイト制作は地元の中小企業などから依頼を受け、地域から頼られている。

ブロガーでウェブサイト制作も請け負うフリーランサー。ブログは個人運営ながら最高アクセス数は月間200万PV超とモンスター級。ウェブサイト制作は地元の中小企業などから依頼を受け、地域から頼られている。

そんな彼は元勤め人。いじめられた幼少期。鬱で苦しんだ社会人時代。紆余曲折を経て、好きなことが仕事になり、自由な時間が手に入り、会社員時代を超える収入が得られるようになりました。キャリアやスタイルを自由に選択し、組織だけに頼らない自分らしい  I am な生き方をいかにして手に入れたのか。

キタムラアキラの半生に迫る!

いじめられっ子が、高校デビューを志す!

小学生の頃のおやつはジャムを1瓶。将来の夢は生クリームの海泳ぎたい。デブで、勉強嫌いで、思ったことはすぐ口に出してしまう性格で、いじめに遭う。中学2年生、好きな女の子に告白するが「デブは嫌」だと振られ、痩せようと決意。剣道、水泳、スキーをしながら、おやつとジュース禁止を己に課し、中学3年生でブヨブヨが細マッチョに。高校デビューを志す。

高校生では軽音楽部に入りバンド活動を始める。中学からギターを練習していたが、ここではボーカルに。ようやく楽しめる日々が訪れた。しかし、長年いじめられてきた経験により、いつも人の顔色を伺い、つい表面上取り繕ってしまうようになっていた。品行方正を心がけ、言いたいことをグッと我慢し、成績は中の上をキープするよう意識。さらに、中学3年生では生徒会長を務めた。

うまく立ち回るためには多数派に合わせないといけない……の呪縛から、大学へ進学。しかし2年で中退。

アルバイトをしながらプロミュージシャンを目指すことに。路上ライブを始め、21〜22歳頃には年間およそ180本のライブに出演。さらに、インディーズでミニアルバムを4枚リリース、ユニット(2人組)結成などを経て、24歳で音楽活動に区切りをつける。音楽で食べていけるようになるのは厳しかった。

激務、薄給、転職活動全滅で鬱病に

この頃、アルバイトから契約社員に昇格。某ショッピングセンター内のゲームセンターで18歳から勤め続け、接客からゲーム機のメンテナンスへと業務内容が変わる。コンピュータを操作したり、半田ごてでハードウェアを修理したり。しかし、連日深夜までの激務で、給料は安い。26歳で退職する。

安定収入が得たいと、准公務員になる。事務仕事を希望したが、配属されたのは給食センターでの調理。船を漕ぐオールのような調理器具で平日5日間鍋を混ぜ続け、マッチョ体型に。1年半後、給食業務が民間委託され、辞めざるを得なくなった。

ここから再スタート。貯めたお金でウェブサイト制作の技術を身につけようと専門学校へ1年間通う。同時に写真のレタッチ技術を学ぶため、DPEショップ(写真現像店)でのアルバイトも並行して行った。そして満を辞してウェブサイト制作会社へ就活を行うも、実務経験が無いという理由で全滅。

突然、うつ病になった。

高田ゲンキ氏から衝撃的なアドバイス! フリーランスという働き方を知る

当時28歳、突如襲われたうつ病により1年間部屋から出られなくなってしまった。ふさぎ込む日々だったが、徐々に回復するなかでオンラインゲームを始めた。そこでは匿名で顔を合わさずに他のプレイヤーとチャットで交流ができる。仲良くなった人たちとは、Skypeで音声通話も楽しんだ。ゲーム内の名前で呼び合い、リアルの生活と切り離すことができたことで心が解放された。

そうして健康を取り戻しつつある頃、18歳の頃に音楽で知り合った先輩・高田ゲンキ氏(https://genki-wifi.net/)が訪ねてくれた。「体調、良くなってきたんだって?」と。そこで衝撃的なことを知る。ゲンキ氏はフリーランスのイラストレーターとして活動していた。「フリーランスって何? 組織に属さずに仕事ができるの!?」と矢継ぎ早に繰り出す疑問に対し、「そのウェブサイト制作技術があれば、キタムラもフリーランスになれるよ」と言うのだ。

ゲンキ氏が周囲に「ホームページ必要ない?」と声をかけてくれたおかげて、続々と仕事が舞い込んだ。30歳でフリーランスへと転身。初年度の収入は300万円。自由と過去最高の年収を手に入れ、まさに人生が開けた! しかし翌年、東日本大震災が発生。顧客の多くが影響を受け、そのあおりで年収は36万円に激減してしまった。日々貧していく焦りから、クラウドソーシングに手を出してしまい、短納期・低収入の薄利多売の激務に陥る。

窮していた頃、ふたたびゲンキ氏から連絡があり「WordPressでブログをはじめたいんだけど、作ってもらえない? これからは自分達で発信していかないといけない時代だから」と。制作を請け負い、その後、ゲンキ氏のブログ更新を見ながら「自分の好きなイラストのことを記事にして、ブログから仕事を受注している。なんて楽しそうなんだ!」と、2度目の衝撃を受ける。

ブログ「Tanweb.net」開設、理想的な働き方に到達!

2014年5月29日、自身のブログ「Tanweb.net (https://tanweb.net/)」を開設。これまで人に話したくても相手がいなかった、PCやデジモノをテーマにした記事を書いた。同時にGoogleアドセンスという広告を設置すれば収益が得られることを知り、それを導入。サイト立ち上げから1年後、月に1万円の収入が得られた。

これはすごい! コロンブスが新大陸を発見したような衝撃を受け、「まさに理想的な仕事がここにある」と自身の中で革命が起きた。ブログ開設から4年後の2018年、ブログの収益が、これまでメインだったウェブサイト制作の収益を上回った。

ブログの更新はコツコツと続け、その後、個人ブログではトップレベルといっても過言ではない月間200万PVに到達する。

キタムラアキラは言う。

「オンラインゲームで知り合った人は、ゲーム以外のことでも何でも惜しげもなくタダで教えてくれて嬉しかった。ぼくも彼らのように振る舞いたい。お金を追うとおかしくなる。それよりも人の役に立つことを優先すれば、お金は後からついてくる。PVは社会貢献できた数と比例しているという想いで、日々ブログを更新しています」

そんな彼は今、ブログ初心者の方へもヒントが届けられるよう、Twitterでハッシュタグ「#ブログ初心者」をつけて日々発信している。

取材・文/北野啓太郎
写真/本人提供

この記事を書いた人

北野 啓太郎
北野 啓太郎ライター
文章、写真、動画を駆使したWebコンテンツ制作が得意なフリーランサー。会社員時代に始めたブログがきっかけでヘッドハンティング。レゲエ専門メディアの編集長を経て、独立しました。強み:初対面の方と何時間でも話せる。インタビューも好き。弱み:打たれ弱い。

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