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40代で会社が嫌になり副業起業で東京・函館の2拠点生活。収益面では厳しくても継続する意味とは?

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首都圏と地方での2拠点生活に憧れる人必読。東京のリフォーム会社で設計の仕事に携わるも東京での働き方に限界を感じ、故郷の函館でシェアオフィスを開業。会社を辞めてわかったこととは?

プロフィール

インタビュアー、スタートアップ広報中村優子

(なかむら・ゆうこ)元テレビ局アナウンサー、インタビュアー、スタートアップ広報。作家・林真理子さんのYouTubeチャンネル「マリコ書房」、および著者インタビューサイト「本TUBE」を運営。インタビュー動画の企画から出演、編集まで一人でこなす。年100本以上の動画制作に関わる。2022年、スタートアップ広報の会社を設立。

2拠点生活のきっかけは「都会での働き方」の限界

2 つの地域を拠点に仕事と生活を回す「2 拠点生活」。


10 年ほど前から流行し始め、これまで多くの人が実行しました。ただ、そのほとんどは、東京都在住の方で、千葉県など近隣の県を第 2 の居場所にするものでした。

それが、リモートワークや働き方改革で拡大。さらに遠方に拠点をつくる人が増えています。


今回は、東京と函館を拠点とし、空間デザイン(リフォーム)とシェアオフィス運営をなりわいとする、金谷貴明さん(イメージ・コネクト合同会社 代表社員)。1 人会社を営みながら 2 拠点生活を送るコツを教えていただきました。

リフォーム業界の値下げ競争に疲れ、仕事に希望をもてない

金谷さんは、北海道南部の函館市に生まれ、就職時に上京。都内の住宅リフォーム会社で設計者として勤務します。


40 代に入って、「東京での仕事が嫌になり」、いつか辞めることを考えるようになります。

「会社の仕事は、やりがいよりむしろ、我慢を強いられることが多く、給与面でも下がっていくのではと予想し、いろいろと辛い気持ちが勝っていたのです。


例えば、住宅のリフォームは、相見積もりが5社、6 社が当たり前でした。そうしてお金で競ってしまうと、お客さんとしては、安く抑えられるでしょう。


でも、それでは何か気持ちのこもったプラスアルファを、こちらから提供できなくなります。


『もうちょっと、ここをこうしたら、もっと素晴らしくなります』という世界を、お客さんは、もう手に入れられない。当時の仕事については、ほかにも嫌な面はありましたが、これが大きかったです」

故郷の函館で出会った建築物でシェアオフィス開業

シェアオフィス全体 建物に一目ぼれ函館で初めてシェアオフィス「函館大三坂オフィス」を開業(写真/本人提供)

そんな金谷さんに、転機が訪れたのは 2010 年。母親が亡くなり、久しぶりに帰郷してしばらくいたら、「意外にいい場所なんだな」と函館の良さを実感したそうです。


金谷さんは、函館をもう 1 つの拠点にするまでのいきさつを、次のように語ります。


「最初は漠然としたものでしたが、いつか函館に住んで、起業することを考え始めました。会社を辞めたいという気持ちは高まっていて、辞めたら自分で仕事を作るしかないなって思っていました。


家族は東京に住んでいるので、東京から完全に離れることはせず、函館をもう 1 つの拠点にして何かしようかなと……


結局、会社は辞めたのですが、その時点で函館で何をするのか、まったく決めていませんでした。


そんなおり、歴史ある西部地区に佇む、大正時代に造られた建物が目に入りました。大三坂ビルヂングという名称で、もとは仁寿(じんじゅ)生命の社屋でした。それは戦前まであった生命保険会社で、その函館支店だったそうです。それから水産会社の手に渡るなど、持ち主は変遷しました。それがリノベーションされ、2017 年にオープンしました。ゲストハウスやカフェなどがテナントに入っています。


そこの 2 階の 1 室が空いていたのですが、そこがいたく気に入りました。それで、建物のオーナーさんに貸してもらい、シェアオフィスにしました。建物の名にちなんで、函館大三坂オフィスと名付けました」

競合はないが需要もなく、収益化の厳しいリアル

会社を辞めて2足のわらじを履く金谷さん(撮影/鈴木拓也)

金谷さんが始めたシェアオフィスとは、複数の働き手が一緒に仕事をする、いわばミニオフィスのレンタルスペースです。15 年ほど前から増え始め、テレワークの普及とともに急増しました。とはいえ、大半は東京都内に位置し、他県では 1 県数か所など、まだ珍しい存在です。


金谷さんが 2017 年に開業した当初は、函館市内にほかにシェアオフィスはなく、一番乗りでした。


「地元とはいえ、長く疎遠になっていたせいで、知り合いも友達もいない。でも、函館で何かやるのだったら、情報を集めなきゃいけないという現実がありました。


シェアオフィスを始めたのは、競合がなかったからというより、『ちょっとやってみようかな』ぐらいの感じでした。シェアオフィスを運営しながら、地域の情報を集め、『次は何をどうやってやろうか』という、ジャンプ台ではあったんですけど、この部屋はとても好きで愛着があります。


シェアオフィスは、関東では競争は激しいですね。コロナで、どんどん増えてきたみたいです。函館大三坂オフィスは、3 時間で 1000 円、終日だと 1800 円という利用料金にしています。関東のシェアオフィスの相場よりも、ちょっと下げておこうぐらいの感覚で料金を設定しました。


ただ、函館では、ここを使ってくれる人は少ないです。別々のところから集まって何人かで仕事をするより、1 人の利用が多いです。常連さんもあまりいなくて、スポット的に使う人が大半。


ですが、函館らしさが前面に溢れているので、何回も来てくれる人はもちろんいます。でも、残念ながら、なかなか収益にはつながりませんね。」

収益がなくても継続できるのは二足のわらじ

「ただ、収益は別として、利用者の方々は、相性がいいと言うのでしょうか、自分にしっくりする人たちが多いのですね。そういう人たちと話ができたりしたら、人とのつながりが広がり、そして自分の幅も広がっていくという期待はあります。


一方で、空間デザインの仕事も続けています。それは、函館でも東京でもしています。函館では店舗が多く、東京では住宅をてがけることが多いです。


函館では、お客さんにデザインの提案をして、それを受け止めてくれる人が多い。おかげで、函館での仕事は、とっても好きなんですね。


東京には、月に 1 回帰れたらいいかなぐらいのイメージです。2 拠点ではありますが、現在は函館がメイン。もし東京でリフォーム仕事があれば、向こうに何か月も滞在することもありますが」

2拠点生活で得たのは人との繋がり

内装含め調度品にまでこだわりがある(撮影/鈴木拓也)

現状、シェアオフィスは収益化が難しいと打ち明ける金谷さんですが、函館という拠点で重視するのは、お金の面ではないようです。


個人で働き、暮らしていくために、金谷さんが大事にしているものは、なんでしょうか?


「シェアオフィスに来た見知らぬ人同士が、意気投合して協働することもあります。自分が知っているグラフィックデザイナーさんが、ここを使っていてほかの人と面識が生まれ、そこから仕事をもらっています。


函館は、そんな感じで人と人は繋がって仕事になっていくっていうのが多いのです。このシェアオフィスが役立っているんだなと。


函館は、個人でなにか事業をしている人が多い印象です。大手企業の人たちは、函館には出張か転勤で来るパターンが多いです。転勤でやってきて 3 年ぐらいで出ていく。知り合いもどんどん変わっていきます。そうすると、知人が北見、福島、横浜とかに住んでいる状況になるのは面白いです。


いろんな繋がりができて、さらにそこから繋がっていく。『担当が変わりまして……』みたいなかんじで、関係が終わるのではないのが楽しいですね。


函館は、過疎の街というマイナスのイメージで受け取られがちですが、人が流れていくのは、新たな出会いが増えるというメリットもあると思います。


函館を 1 つの拠点に、いろんなところに行って仕事をしていきたいっていうか、そんな気持ちがあります。


これから展望は、漠然としたものですが、イタリアのローマにも拠点を増やし、函館や東京の仕事をしつつ、ローマで得たものを還元していければいいなと。そんなかたちの仕事ができるのか、これから実験するつもりです。


『お金がたまったら』とか『余暇のために』みたいなイメージだと、行動にはつながらない。
『仕事のため』だと本気になれるのですね。


そして、自分の目標を立て、目標に向かっていくことはできるのだし、達成できるんだなってことに、この年になって気づきました。その目標を、死ぬまでにやり遂げられたらいいなと思います」

この記事を書いた人

鈴木 拓也
鈴木 拓也
都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。

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