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独立起業の先輩たちからノウハウを学ぶ#05 <起業家・速水竜一さん/後編>東京からUターンして理想の保育園で再挑戦。億単位の開業資金を生み出したのは「必死さ」と「エビデンス」?

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起業の先輩の経験を学ぶシリーズ、新潟の小さな街で単身起業し、そこから数年で日本初の完全手ぶらで保育施設と病児保育を行う園を設立した速水竜一さん(38)の後編は、上場企業での「修行」を終え故郷に戻ってからの話を聞きます。

夢破れ帰郷……でもすぐに再始動

「理想の保育園をつくりたい」という夢を抱きながらも東京での暮らしに疲れ、28歳で新潟県見附市に帰郷した速水さん。都会で夢破れ、生まれ育った町に帰った若者といえば、しばらくはふるさとの山河を見つめて傷心をいやすのが世間の相場です。流れるBGMは「カントリーロード」や「少年時代」あたりでしょうか。

ところが速水さん、帰郷して2週間後には個人事業主としてビジネスを立ち上げます。事業内容は「営業代行」。学生時代からベンチャーで働き、得意技としてきた積極果敢な営業スキルで、誰かの代わりにモノやサービスを売りまくる算段です。そして事業を立ち上げるやいなや、地元のエアコン清掃会社の社長が最初のクライアントになりました。以前実家近くの喫茶店で知り合い、必殺技の「飲み会、セットしますよ」で仲良くなった旧知の仲です。

ただ、依頼内容は営業代行ではなく、いわば「社長の片腕」。「売り上げの推移を予測して今後の成長戦略を練ったり、金融機関からの資金調達を担当したり、県の認定制度に参加して補助金を受け取れるようにしたり、それこそ何でもやらせてもらいました。僕が提案したら『いいよ、やってみなよ』と言ってくださるので、銀行との交渉から不動産の物件探し、自治体との折衝まで、いろいろな経験を積むことができました」

「エビデンス示せ」 生きた会社員時代のアドバイス

ここで役に立ったのは、自身が得意だと思っていた営業スキルではなく、4年間の大企業修行で上司からイヤと言うほど繰り返された「エビデンス(根拠となるデータ)を示せ」という言葉でした。

「会社員時代は銀行や自治体と直接交渉することはなかったのですが、何度も提出した新規事業の企画書は、融資を受けるために銀行に出す書類などと共通する点も多いんです。収支をきっちりと考える、将来像をはっきり描く、そして何より、『○○だから実現する』というエビデンスを示す。上司にうるさく言われ、4年間で知らず知らずのうちに身につけていた強みでした。当時の上司にはいくら感謝しても足りないぐらいです」

やがて父親が経営し赤字に陥っていた宅配寿司の会社を引き継ぐと、宅配寿司事業をスパッと他社に譲渡し、経営コンサルタント会社に衣替え。飲食店や理美容室の店舗立ち上げにかかわったり、物流関係の人材集めを手伝ったりとクライアントを順調に増やし、会社を2年連続の黒字へと導きました。

このときのクライアントの一つだった介護サービス事業者との出会いが、理想の保育園への夢を大きく動かすことになります。

運命の出会いで動き始めた「理想の保育園」

この介護サービス事業者の事業所の目の前に、木造の古民家がありました。地元の名家が代々暮らしていた築145年の大きな家で、空き家ながらしっかりと管理されていました。木々に囲まれ、日当たりも良く、伝統を感じさせるたたずまいに速水さんはほれ込んでしまい、「ここで保育園をやりたい」と忙しさの中で半ば忘れそうになっていた夢を思い出します。

しかも、この事業者の会長が地元の町会長をやっていた縁で、速水さんは近所の神社で「ランタン祭り」と名付けたお祭りを開き、地域の子どもたちに焼きそばなどを振る舞うようにもなっていました。子どもたちの笑顔に囲まれる中で、「理想の保育園をつくる」という夢が再び大きく膨らみ始めました。

時を同じくして、学生時代の友人が千葉県でサッカー元日本代表の本田圭佑さんと一緒に「企業主導型保育園」を立ち上げたことも大きな刺激になりました。企業主導型保育事業は待機児童対策の切り札として内閣府が2016年に始めた制度で、これまで認可保育園の設立を認められていた学校法人や社会福祉法人だけでなく、一般企業も保育園を設立できるようになりました。地域の子どもたちの受け皿を充実させるため、設立にあたって最大で1億円超の補助金が出るのも特徴です。

「『保育園をやりたい』という気持ちを思いだし、それが『やれるかも?』に変わり、『やる』と決意するのに時間はかかりませんでした。問題は、それまでの企業主導型保育事業の主体はそれなりの規模の中小企業や大企業ばかりだった点。私のような零細企業が立ち上げた事例はほとんどなかったのですが、神戸市で同様の取り組みを成功させた人がいることを知りました。その申請や設立をサポートした中小企業診断士の先生から根掘り葉掘り話を聞き、正式にサポートを依頼して準備を始めました」

入園希望者も保育士も自ら口説き落とした

2019年、35歳で保育園設立を決意した速水さん。他の事業者で問題が起きたことなどでこの年は新規募集がなかったため、翌年の申請に向けて準備に走り出します。

ここでも、何より重視したのは「エビデンス」です。事業が始まれば必ず入所希望者がいることを示すため、速水さんは知り合いに妊婦さんがいると聞けばすぐに駆けつけ、お茶を飲んだり食事をともにしたりしながら、まだ設立されていない保育園の魅力を熱く語り、入所希望を取り付けます。速水さんお得意の営業トークが存分に発揮され、設立の申請書を出す時点で、すでに10人程度の新規入所希望者のリストを添付できる状態になっていました。定員は1学年につき6人ほどなので、十分過ぎるほどの数です。

保育士の確保も難題です。速水さんは同様に知人に紹介をお願いして、保育士さんがいると聞いては直接出向いて「うちで働きませんか」と熱心に口説き、新設される保育園の趣旨に賛同して一緒に働きたいと言ってくれる保育士さんも確保していきます。

速水さんのアピールは地元・見附市の子ども課にも及びます。「企業主導型なので市に一切財政的な負担をかけずに、地域の保育環境を充実させられます」とアピールし、事業が採択されるかどうかを大きく左右する、市からの推薦状も手に入れたのです。

ニーズはある、人員も確保できる、市のお墨付きもある。2020年に速水さんが提出した企業主導型保育園設立の申請書は、「誰もが知るような大企業の申請書よりも、エビデンスが充実していたと思います」と胸を張る内容でした。

思わぬ軌道修正 「病児保育併設」を決意

もちろん、思わぬ軌道修正を迫られることもありました。その最たるものが、市から推薦状をもらう際に「病児保育をやってくれるなら」と条件を出されたことでした。

病児保育は看護師などを常駐させる必要がある上、毎日一定数の需要があるという性格の施設ではないため採算が取りにくく、参入する事業者が少ない業態です。しかも、速水さんがやろうとしている通常の保育園に病児保育を併設する形となれば、二つの区画を完全に分離し、空調設備まで別系統にする必要があるなど課題が多く、全国的に見てもあまり例がない取り組みでした。

それでも速水さんは「子どもが健康なときも、病気の時も預けられる施設があれば親にとって便利なのは間違いありませんから、課題があっても取り組もうと思いました。今考えると、何がどのぐらい難しいのかわかっていなかったから決断できたのかも知れませんが」と苦笑交じりに振り返ります。

この軌道修正の結果、もう一つの大きな誤算も生まれました。設備改修などにお金がかかりすぎることもあり、保育園への夢を再燃させてくれた古民家を使うことが難しくなり、園舎を新築する形で申請することになったのです。

速水さんは、新築するならばと早速、保育園への夢を抱くきっかけとなった東京・小竹向原の「まちの保育園」を設計した設計士に、新園舎の設計を依頼しました。このあたりの切り替えの早さが速水さんらしさと言えそうです。

見事に採択、ついに実現した自身の保育園

こうして提出された設立申請書は採択率約3割というハードルを見事に越えて2020年12月に採択が決定。補助金もほぼ希望通りの約1億円と決まりました。そこからは本設計、工事入札、着工……と猛スピードで準備が進み、2022年4月、ついに念願だった保育園の開業にこぎ着けました。名前は「みつけの保育園」です。

事前の準備が実り、現在は定員40人に対してほぼいっぱいの37人の園児が通っており、併設の病児保育も「他の園では子どもが熱を出したら会社を早退して迎えに行かなくちゃいけないのに、この園なら安心して預けられる」と大好評だといいます。

新潟に戻り、たった一人で起業した日から10年足らずで実現した大きな夢。外から見ると順風満帆の船出となった「みつけの保育園」でしたが、内情には課題も抱えていました。

「病児保育を併設した『みつけの保育園』では、保育士と看護師が日常的に一緒に働いています。それぞれ職務を全うするために全力を尽くしてくれているのですが、ちょっと便が緩い子どもを病児保育に移すか通常クラスに残すか、ということ一つ取っても保育の立場、看護の立場では意見が変わってきます。それは当然でもあるのですが、すり合わせが難しい面もあります」

世の中でほとんど誰もやっていない病児保育併設園ならではの、世間の誰も知らなかった難しさに直面した速水さん。ここで役だったのが、会社員時代に周囲を動かすために磨き上げた「相手の欲求を読み取り、満たす」というスキルでした。

「それぞれプロフェッショナルに働いてくださる皆さんを尊重していきたいですし、現場の感覚を優先して働きやすさを追求していくことが、結果的に子どものためにもなる……。そう思いながら、何ができるのかをいつも考えています」

そして、組織のためになることが明確になった時は、『組織全体のためにどうかお願いします、助けてください』と必死でお願いする。会社員時代にシステム担当者や法務担当者にお願いして、無理を言って優先順位を繰り上げて仕事をしてもらっていた経験が、思わぬ形で生かされたと実感しているという速水さん。

「もちろん、子どもの生活が絡む分、動きは慎重になります。保育士さんや、保育補助さん、看護師さんに、現場の状況を伝えてもらって初めて検討していけることでもあるので、企業での働き方とは随分違います。病児保育と保育を併設し、完全手ぶらで通える保育園は、全国でも初めてのこと。その中での試行錯誤を重ねています」

「みつけの保育園」

会社員時代の経験が地元活性化に結実

20代で抱いた夢をついに実現させた速水さんですが、その1年後となる今年春にはまた新しい挑戦をスタートさせました。同じ見附市内に、就学前の障害児を保育する「児童発達支援施設」と、小学生~高校生の障害者を放課後に受け入れる「放課後デイサービス」という二つの機能を持つ施設を開業したのです。

「実際に保育の現場に立ってみて、健常児だけでなく様々な障害を持つ子どもにとっても幸せな居場所をつくってあげる必要があるのでは、と考えるようになりました。未就学児の保育と放課後デイサービスを組み合わせたのは、日中は未就学児を預かり、夕方からは就学時を預かることで、採算性の問題をクリアする狙いがあります。二つの機能を組み合わせるという意味では、保育園に病児保育を併設した経験から生まれたアイデアだったと思います」

さらに現在は、商店街の空き店舗を活用して、障害者が働きながら仕事を身につけることができる「就労支援B型」施設の設立にもかかわっているという速水さん。「街ににぎわいを取り戻すことと、障害者が自分の街で生活できることの両立が狙いです。年内には施設をスタートできると思います」と目を輝かせます。

学生時代に抱いた起業家という目標を失い、大企業では組織の中で苦労し、上司のアドバイスに頭を悩ませ、東京には居場所がないとまで思い詰めた速水さんは、今「自分の一人の力だけでは形にはならないことは常に感じています。支えて下さる方々の存在を忘れないよう、日々大切にしていきたい」と語ります。会社員時代に経験したこと一つ一つが夢の実現に、そして愛する地元の活性化に役立っていることを実感しています。

先輩起業家Profile

速水竜一(はやみ・りゅういち)
株式会社ラスティック代表取締役。
1985年新潟県見附市生まれ。青山学院大学卒業後、ベネフィットワンに就職。地元新潟県見附市で、株式会社ラスティックを設立し、地元の企業にコンサルティング業務などを行う。2022年4月、日本初となる病児併設型で完全手ぶらで通える保育園「みつけの保育園」を新設。妻も運営に携わり、息子と娘も同園に通う。

《前編はこちら》

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