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「相手の欲求を満たす」と「本音を話し合う場の調整」という武器で全国的にも例のない保育園の設立。

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起業の先輩から経験を学ぶシリーズ、今回は新潟県中央部の小さな街、見附市で単身起業し、たった数年で若い頃からの夢だった保育園の開設を実現させた速水竜一さん(38)にお話を聞きました。

会社員時代に身につけた「二つの武器」で保育園を起業

起業には不利と思われがちな地方で、徒手空拳から実現させた驚きの先進事例。その秘密は、学生時代と会社員時代に身につけた「二つの武器」でした。

保育園といっても規模は様々ですが、速水竜一さんが代表を務める「みつけの保育園」は2億円をかけて園舎を新築した超本格派。しかも全国的にもまだほとんど例がない、通常保育と病児保育を併設した「いつでも子どもを預かってもらえる保育園」です。

ITベンチャーに熱中した学生時代

速水さんが青山学院大学で学生時代を送った2000年代半ばはライブドアやサイバーエージェントといったベンチャー企業が注目を集めていた時代。速水さんもベンチャー起業を目指す学生たちが集まるサークルに参加して、ベンチャー企業で実際に働いたり、起業の先輩たちと会食して経験を学んだりしていました。「すごい家に住んで、高い車に乗って、プライベートジェットで移動して。そんなスケールの大きな社長たちの姿に、純粋にあこがれていました」

若き速水さんの得意技は、フットワークの軽さと馬力を生かした積極果敢な営業でした。学生や新入社員の立場ながら数々の企業に飛び込みで営業をかけ、新たな取引や業務提携を勝ち取るなど、ベンチャー企業の経営者たちから一目置かれる若者になっていきます。「いつかは僕も……」。周囲の若者たち同様、速水さんも社長になった自分の姿を思い描いていました。

ところが、そんな起業家へのあこがれは社会人1年目だった2009年、ある「鐘の音」が響いた瞬間に霧消してしまいます。場所は東京証券取引所、レシピサイト「クックパッド」の上場セレモニーの真っ最中でした。「クックパッドはサークルを通じて役員のかたと交流があり、当時の社長とも顔見知りでした。そんな社長が株式上場を祝う鐘を打ち鳴らし、一瞬にして億万長者になった瞬間を目にしたわけですが……」。胸にわき起こったのは、予想もしなかった感情でした。

「僕の生きる道はこれじゃないな、って。新潟の田舎で生まれて、農家だった祖父の背中を見て育ったのですが、僕があこがれているのは億万長者になった社長ではなく、死ぬ直前まで働き続けて、町のみんなから頼りにされていたおじいちゃんだったんだって、はっきり気づいたんです」。あれだけ胸を焦がしていたベンチャーへの熱が、一瞬で冷め切ってしまったといいます。

人生を変えた「理想の保育園」との出会い

大学を卒業し、農業とITを扱うベンチャーに就職していた速水さん。自身のベンチャーへの思いが突然崩れ去ったことに呼応するかのように、勤めていた企業はおよそ半年で倒産してしまいます。

そんなとき、交流のあった不動産投資家の男性から、東京都・小竹向原の近くで進んでいた「まちの保育園」というプロジェクトについて聞かされます。「町ぐるみの保育というコンセプトで、カフェと保育園を併設し、子どもを通じて大人たちがつながるというアイデアがすばらしくて。衝撃をうけ、自分もこんなことをやってみたいと強くあこがれました。もちろん、『僕をここで働かせてください』とお願いしたのですが、保育士の資格があるわけでも何かの専門知識があるわけでもない若造ですから、『難しいね』と断られてしまいました」

自分もいつか理想の保育園を立ち上げたい。そのためには何をすればいいのか。自分に足りないものは何だろうか。速水さんが投資家男性と別の経営者の2人に相談したところ、異口同音にまったく同じアドバイスをされたといいます。

「速水君はまず、大きな組織で働く経験を積んだ方がいい」。具体的には、東京に本社を置く、従業員200人以上の上場企業で3年以上勤めてみなさい――。尊敬する2人の先輩からそう諭された速水さんは面接で得意技の営業スキルをアピールし、24歳で企業などの福利厚生業務を代行する上場企業「ベネフィットワン」に入社しました。

個人ではなく組織で動くには……大企業で直面した壁

ここで速水さんは、先輩2人からのアドバイス通り、組織での働き方を一から学ぶことになります。「上司から印鑑をもらう、稟議書を書く、経費を精算するといった基本的なことからまず身につける必要がありました。なにより、ベンチャーでは『自分が動けばいい』という考えだったのが、組織を動かすためにはどうすればいいかと考えられるようになりました」

当時の速水さんは新規事業を担当する部署の一員として、大手通信会社にオプションとして自社のサービスをセット販売してもらうビジネスを進めていました。相手方企業との打ち合わせで出された様々な「宿題」を、翌週の打ち合わせまでに解決する。そのためには、システム担当や法務担当など、自分たちのチーム以外にも全力で動いてもらう必要がありました。

「たとえばシステム担当者にはシステム担当者の事情があるわけですが、なんとかお願いして僕たちの仕事を最優先でやってもらわないと翌週に間に合わない。そんなときにどうやったら彼らの優先順位を変えてもらえるか、どうやったら何を置いても僕たちのために動いてもらえるかを真剣に考える毎日でした」

「相手の欲求を満たす」と「本音を話し合う場の調整」

このとき身につけたのが、速水さん自身が「これが自分の得意技ですね」と自認する、「相手の欲求を読み取り、満たす」というスキルでした。「たとえば残業続きの担当者ならば栄養ドリンクを差し入れる。上司の顔色を気にしているようなら、さらに上のポジションの人間に同行してもらって話を通す。本音を話したいなと思っている人なら、飲み会の場をセッティングするといった具合です。相手の望みを満たすというのは、今思うと、それ以前に得意としていた営業と通じるものがあるかもしれません」

ちなみに、「飲み会の場をセッティングする」というのも、速水さんの人生にとって欠かすことができない得意技となっていきます。のちに新潟で起業した速水さんを支えてくれた企業経営者とも、仲良くなったきっかけは「宴席の場を、セッティングしますよ」という速水さんの一言でした。人生の様々な課題を解決した宴席のセッティングは、まさに「芸は身を助ける」。青学OBにして、どこか誠実さを感じさせるさわやかなルックスは、多くの女友だちを引きつけ飲み会の主催者として人気なのも納得です。

飲み会に限らず、4年間在籍したベネフィットワンで「同僚の欲求を読み取り、満たす」というスキルを磨き上げた速水さん。このスキルは、のちに保育園を立ち上げた際、病児保育併設だからこそ浮上してきた「みつけの保育園の保育とは?」にまつわる課題に直面した時、解決を試みるために最大限発揮されることになります。

「東京の水が合わない」 大都会に別れを告げ地元・新潟へ

尊敬する先輩たちの助言通り、上場企業「ベネフィットワン」で4年間経験を積んだ速水さんは、理想の保育園をつくりたいという夢への第一歩として、東京都内の保育園に転職します。法人事務の担当者として、保育園の実務を学ぶ狙いでした。

ただ、この職場で速水さんは人間関係に疲弊してしまったといいます。「前職のときからうすうす気づいてはいたのですが、『自分には東京の水が合わないなぁ』と感じてしまって。『東京にはこんなに優秀な人たちがたくさんいて、自分なんかいてもいなくても変わらない』と思ってしまったり、深夜2時、3時まで働いたあと夜中の牛丼チェーン店で『あぁ、ごはんの味が新潟とは全然違う』と考えてしまったり……。それまでは東京で起業し、保育園設立を目指す考えもあったのですが、結局、故郷の新潟に帰ることにしました」

22歳でベンチャー起業家への熱から冷め、いま大都会・東京への思いも失った速水さん。貯金わずか20万円、生まれ育った新潟県見附市に居を移したのは28歳のときでした。その後の奮闘は後編でーーー。

先輩起業家Profile

速水竜一(はやみ・りゅういち)
株式会社ラスティック代表取締役。
1985年新潟県見附市生まれ。青山学院大学卒業後、ベネフィットワンに就職。地元新潟県見附市で、株式会社ラスティックを設立し、地元の企業にコンサルティング業務などを行う。2022年4月、日本初となる病児併設型で完全手ぶらで通える保育園「みつけの保育園」を新設。妻も運営に携わり、息子と娘も同園に通う。

《後編はこちら》

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