Interview
インタビュー

見えない不安に襲われ続ける役者人生を「鈍感力」で乗り越える。好きなモノに囲まれる時間を大切にする田中哲司の仕事論。

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いつ手のひらを返されるかと不安で眠れない日もあった田中哲司さんの役者人生。乗り越えてこられたのは愛車や植物など好きなものと過ごす時間と、周囲に流されない「鈍感力」のおかげでした。

プロフィール

俳優田中哲司

1962年三重県生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒。『REDレッド』で2015年、紀伊国屋演劇賞個人賞受賞。エヴァンゲリオンを生んだ庵野秀明が企画・脚本を務めた映画『シン・ウルトラマン』にも「禍特対(カトクタイ)」の室長として出演した。

名バイプレイヤーとして多くの作品にひっぱりだこの田中哲司さん。不安で眠れなかった若き日々を乗り越えた「鈍感力」や先輩俳優との関わり方、植物に囲まれた私生活を語りました。

この歳になってようやく「先輩の言葉」を聞く気になった

バンドマンになりたいと高校を卒業後に上京しました。音楽の専門学校に通っていましたが、ちょっと違うなと思って大学に進むことに。20歳のときに日本大学芸術学部の演劇学科に入学しました。アルバイトをしながら劇団の芝居に出演していて、30歳を過ぎてからやっと役者だけで食べて行くことができるようになりました。若いときは先輩に逆らってばかりで、話に耳を傾けるなんてできませんでした。でもこの歳になって、「先輩の言葉を聞いてきたい!」と考えるようになりました。役者としてのバトンを受け取りたい。「これが最後になるかも」と思うことも多いので、現場で先輩と接する時間を大切にしています。

挫折の連続を経験し「怖がらなくなった」

『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』では、未知の世界に挑戦します。最新鋭の技術が注ぎこまれた舞台で、とてもアナログなことをやる。(日本を代表する演出家の)串田(和美)さんもそういう作り方をしていたので、20代のときに串田さんに教わったことを思い出しました。こんな風にやっていたなと懐かしさもあって。初めて商業演劇の舞台に立ったのは蜷川幸雄さんが演出した『ハムレット』(1995年)でした。演劇の世界でも映画、ドラマだって挫折の連続でした。挫折を経験することで、挫折を怖がらなくなったと感じます。この作品でも挫折するかもしれない。どんな状態でも最善を尽くしたいです。

不安に襲われ眠れぬ日も……周囲に流されないことが重要

ドラマや映画、舞台など、さまざまな場で表現を続けていますが、仕事を続けて行くのは正直、しんどいと思うことがあります。仕事がいつまで続いていくか分からないですし、順調なときは良いけれど、風向きが悪くなれば一瞬で、立場が危うくなってしまうこともある。どうなるんだろうと、見えない不安に襲われて眠れない日もありました。役者を続けていくためには、周囲に流されない鈍感力が必要だなって思います。

仕事場に向かうエンジン音と自宅の植物が癒やしに

仕事場に向かうときは、ハコスカの愛称で呼ばれるビンテージカーを自分で運転していきます。
昨年はプライベートの楽しみとして水平対向エンジンを搭載した1980年代のバイクを譲り受けたんです。身体でエンジンの響きを感じる時間は至福の時です。自宅のバルコニーでは、たくさんの植物を育てています。いまはミモザと、遅咲きの桜が満開です。雑草を抜いている時間が楽しくて。最近、ティーツリーの木が3本仲間入りしたのですが、綿のような花が咲くそうなので、これも楽しみの一つです。土をいじっていると癒されます。

「役者を続けていくためには、周囲に流されない鈍感力が必要」

《田中哲司さんの記事はこちら》

取材・文・写真/翡翠
編集/MARU

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