Be Career
働き方

独立起業の先輩たちからノウハウを学ぶ〈起業家・中村優子さん/前編〉インタビューが苦手なアナウンサー、入社2年で寿退社。育児中の社会復帰に立ちはだかる「働き方の壁」をインタビュースキルで乗り越える。

ログインすると、この記事をストックできます。

日本大学理事長に就いた林真理子さんのYouTubeチャンネル「マリコ書房」や日経ビジネスの宣伝動画「校了乙」、話題の本の著者が次々に登場する「本TUBE」などで聞き手を務め話題の中村優子さんに苦手を克服する方法を伺いました。

 自分の「好き」やスキルを生かして独立するためには、会社員時代にどのような準備や努力が必要なのか--。
 独立起業の先輩たちからノウハウを学ぶシリーズの第3回は、日本大学理事長に就いた林真理子さんのYouTubeチャンネル「マリコ書房」や日経ビジネスの宣伝動画「校了乙」、話題の本の著者が次々に登場する「本TUBE」などで聞き手を務め話題の中村優子さん(38)にお話を聞きます。
 元地方局アナウンサーという経歴を持ちますが、当時は社内で「中村にインタビューはさせるな」と言われるほどインタビューが苦手だったといいます。
 しかもその後、結婚を機に専業主婦となり6年間は完全に表舞台を去った中村さんは、どのように苦手を克服し、インタビュアーとして引く手あまたの現状を作り出したのか。転機をもたらしたのは、「食わず嫌い」を乗り越えた先にあった気づきと出会いでした。

プロフィール

インタビュアー、スタートアップ広報中村優子

(なかむら・ゆうこ)元テレビ局アナウンサー、インタビュアー、スタートアップ広報。作家・林真理子さんのYouTubeチャンネル「マリコ書房」、および著者インタビューサイト「本TUBE」を運営。インタビュー動画の企画から出演、編集まで一人でこなす。年100本以上の動画制作に関わる。2022年、スタートアップ広報の会社を設立。
先輩起業家Profile

中村優子(なかむら・ゆうこ)元テレビ局アナウンサー、インタビュアー、スタートアップ広報。作家・林真理子さんのYouTubeチャンネル「マリコ書房」、および著者インタビューサイト「本TUBE」を運営。インタビュー動画の企画から出演、編集まで一人でこなす。年100本以上の動画制作に関わる。2022年、スタートアップ広報の会社を設立。

新卒で出身地札幌の女性アナウンサーに

 津田塾大学を卒業し、2007年に生まれ故郷でもある札幌の北海道文化放送にアナウンサーとして入社した中村さんは、主に報道番組の現地リポーターとして新人時代を送りました。様々な事件の現場に出向いたり、興味を持ったテーマを取材して特集を作ったりするのが主な仕事でした。2008年に開かれた北海道洞爺湖サミットでは、不眠不休で取材にあたりました。

「アナウンサーといっても、当時の職場では自らディレクターも兼ね、取材から台本執筆、動画の構成まで手がけていました。事件からファッションまでなんでもやりましたが、私自身は報道志望だったので、引きこもりや学童保育など堅いテーマを取り上げることが多かったです。ナレーションの技術、動画の編集、原稿書きなど、今の自分の基礎となる部分を身につけることができたのはとても大きかったと思います」

「インタビューはさせるな」が合言葉に

 ただ、このころの中村さんは上司たちの間で「中村にインタビューはさせるな」が合言葉になるほど、インタビューが苦手だったそうです。

「映画の舞台あいさつで俳優さんが札幌の劇場にいらっしゃったとき、私が聞き手を務めたのですが。俳優さんのお答えや会場の反応を全く気にせず、事前に用意したままの質問を読み上げたので、会場がしーんとしてしまって」

 中村さんがぼんやりと記憶している当時のやりとりはこんな感じだったそう。

「札幌は何度目ですか?」

「うーん、前にも舞台あいさつで来たことがあるぐらいですね」

「札幌に何か思い出はありますか?」

「いえ、前に来たときも舞台あいさつだけだったので、特に……」

 会場は静まりかえり、終了後には俳優の熱心なファンから「あんな質問じゃ○○さんがかわいそう」と苦情まで入る事態になってしまいました。

「事前に打ち合わせもしているので、あまり反応がよくない質問は他の内容に差し替えればよかったんですけど、そんなことも全然考えてなくて。先輩からは後々まで『今思い出してもあれはひどかったねー』と笑われていました。あのときの俳優さんには、本当に申し訳なかったです」

専業主婦の日々にわき上がった思い

 インタビューに苦手意識を持ちつつも、地元のアナウンサーとして着実に活躍していた中村さんですが、2年後の2009年にはあっさりと退社することになります。東京の企業に勤める現在の夫と恋に落ちたのが理由でした。

「私の母が専業主婦だったこともあって、子どもができたあとも働くという気持ちは、このときは全く持っていませんでした」

 同年9月に結婚し、2010年には女の子と男の子の双子を出産。「いったいいつ寝ていたのか思い出せないんです」というほど大変な日々を送る中、子どもたちが2~3歳になったころ目にしたあるニュースに心が動きます。

「第2新卒の採用を取り上げたニュースで、『第2新卒は30歳まで』ということを知って。当時27、8歳だった自分の中で、私にはアナウンサーと母親以外にもやれることがあるんじゃないかという気持ちがわき上がったんです」

義父の「お願い」がきっかけで訪れた転機

 就職活動をスタートした中村さんは厳しい現実に直面します。

「自分は何か他のこともできるはず、という思いが強くて、アナウンサー関連以外の仕事を探しました。でも未経験で、子育て中でという条件で採用してもらえる会社はなかなか見つからなくて。私って、社会に必要とされてないんじゃないかと落ち込む毎日でした」

 そんなとき、夫の父親から「ちょっとお願い」と頼まれたことが、人生の大きな転機になります。

「当時、旭屋書店が『本TUBE』という、本をテーマにした動画サイトを始めようとしていました。義父がそれに関わっていて、『一般の読者が自分の読んだ本を1分ぐらいの動画で投稿するコーナーがあるので、投稿してもらえないか』と頼まれたんです」

 関係者の家族であることには触れず、一般の読者として動画を何本か投稿した中村さんでしたが、この動画が社内で評判となり、「今度は著者にインタビューしてもらえないか」という依頼が舞い込んだのです。現在まで約250回続く「本TUBE」の著者インタビュー企画が生まれた瞬間でした。

約250回続く「本TUBE」の著者インタビュー企画(『本TUBE』より)

苦手克服のカギはビジネス書との出会い

 ずっと苦手だったインタビュー。他にできることがあるはず、とまったく別の仕事を模索した日々。中村さんはそんな仕事と再び向き合うことになります。

「インタビューが苦手で、相手との呼吸や聞くべき勘所がわからないのが悩みだったのですが、著者インタビューなら本を読めば著者が訴えたいことが書いてあるはず。それならなんとかなるかもしれないと思い、引き受けました」

 そんな中村さんが苦手意識を克服し、さらに今後の人生で仕事のフィールドを大きく広げるきっかけを与えてくれたのが、それまでほとんど読んだことがなかった「ビジネス書」というジャンルでした。

「小説はもともと大好きでしたが、ビジネス書なんて当時は開いたこともなくて。著者インタビューのために読むというだけだったのですが、実際に読んでみると、著者が伝えたいことがものすごくわかりやすいんです。ここは一般的なことを言ってるな、ここが一番伝えたい部分だな、と事前にわかるので、このボタンを押すときっといい話が引き出せるぞ、と自信を持ってインタビューに臨めるようになりました」

カリスマ事業家の著書実現で広がる世界

 ビジネス書がわかるインタビュアーという評価をかためつつあった中村さん。2018年からは、本TUBEの仕事を通じて関係ができたエージェント会社「アップルシード・エージェンシー」で、作家の代理人として出版社に企画を売り込んだり、マスコミとの取材調整を務めたりする仕事も手がけるようになります。

 ここで出会ったのが、新規事業創出の専門家として知られ、多数の企業のアドバイザーや顧問、内閣府の専門家会議の委員なども務める守屋実さんでした。

「大学のサークルの先輩が開いた講演会でたまたま知り合ったのですが、なんてわかりやすくベンチャー企業のことを話す人なんだろうと驚いて。ぜひこの方のビジネス書を出したいと思い、講談社に売り込んで『起業は意志が10割』という本の出版を実現させることができました。守屋さんはたくさんのファンを持っている方なので、『守屋さんの本を作った人』という立場を手に入れたことが、のちに様々な仕事につながったと実感しています」

 守屋氏との出会いをきっかけにベンチャー企業との関係を深め、本の紹介からまったく新しい仕事に進出していく後編に続きます。

《後編はこちら》

この記事を書いた人

華太郎
華太郎経済ライター
新聞社の経済記者や週刊誌の副編集長をやっていました。強み:好き嫌いがありません。弱み:節操がありません。

ログインすると、この記事をストックできます。

この記事をシェアする
  • LINEアイコン
  • Twitterアイコン
  • Facebookアイコン