詐欺メイクYouTuberすうれろのゆる~いビジネス入門意識低い系「何にもない」が武器になる―ママから「瞬読」創設・山中恵美子さんに聞く(前編)
何不自由のない専業主婦の生活がリーマンショックで一転。明日の食費にそろばんをはじく経済状況に。そんな中、子供の勉強のために始めた塾が口コミで広がり……。人生に遅すぎることはない?
プロフィール
“詐欺メイク”ユーチューバーすうれろ
何かを始めるのに、年齢、スキル、知識、資金は必要なかった!
ビジネスの世界は、少しでも、誰よりも、早くスタートさせるのが成功への近道。
しかし一方で「何かをするのに遅すぎることはない」とも。自分の仕事に出会うのに年齢は関係ない。
十数年前は、二人の子どもを育てる専業主婦。
結婚相手は実業家。主人の収入で生活、働くことは考えたことがない日々が、
2008年に起こったリーマンショックで一転。
子どもの塾のお金が払えないからはじめた学習塾で「瞬読」が口コミで広がり、
ビジネスとして大成功を収めることに…。
目次
人生についてなんて考えたことがなかった
私の人生は“リーマンショック”の前と後で大きく変わりました。リーマンショックとは2008年9月15日アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻したことを端に発して世界規模の金融危機を引き起こした事件。若い人にとっては歴史上の話かもしれません。
リーマンショック前の私は、勉強が大嫌いなうえに、努力しなくてもなんとかなるだろうと考えていた人間でした。しかも、大学時代から就職期にかけてバブル全盛期だったので、そんな考えのまま大した苦労もなく、就職、結婚という道を歩みました。何ひとつ不自由のない生活の中で子どもを育て、欲しいものはすべて買える…そんな生活が当たり前で、そしてその生活がずっと続くと思っていたのです。
ところが、私が30代前半に“リーマンショック”が起こり、足元が崩れ始めます。当時の私はリーマンショックが何かさえ知りませんでした。お金や経済のことに無頓着だったので、主人の仕事がリーマンショックのあおりを受けて、経営が悪化していたにも関わらず、気づくことも気遣うこともなく、いつも通りの生活を続けていました。
お金がなくなったことで、手に入れた読書の世界
ところがある日、来月からお給料がもらえなくなるとなって、初めて我が家の実情を知ることになります。それは本当に青天の霹靂。でも、とにかく生活をしていくために貯金を切り崩し、子どもの習い事をやめ、車や貴金属を売ってなんとか生活を維持していました。
その頃、子どもは小学校低学年と幼稚園児で、遊び盛り。お金を使わない娯楽は何かないかと考えて、家の近くにある公民館に通うようになりました。公民館はタダだし、公園や図書館もあるので、1日中遊べます。その公民館通いで、私は“本”に出会いました。その図書館に置いてある本を毎日借りて、子どもには絵本を読み聞かせ、私はジャンルを問わず、手当り次第に読みまくりました。
不思議なことに、本って何冊読んでも、その時の自分に必要なワードしか入ってこないんですね。あれだけたくさんの本を読んだのだから、もっといろんなことが書いてあったはずなのですが、あの時の自分に必要だった、“人間として生きるために足りなかった言葉”だけがどんどん入ってきました。それはビジネス書であろうが、小説であろうが関係なく、そのワードばかりが気になるのです。
生まれて初めて考えた「何のために生きるのか?」
そのひとつが“人間は何のために生まれて、何のために死んでいくのか”ということ。それまでの人生で“生きる目的”や“生きる志”なんて言葉を聞いたことも、考えたこともありませんでした。しかし改めて、「私は今、何のために生きてるんだろう。私が生きてる意味ってなんだろう」ということを考え始めるきっかけになりました。
もうひとつは、“世の中で起きる出来事はすべて必然だ”ということです。初めはピンときませんでしたが、「今の私がこんなに苦しい状況にあるのは、すべて起こるべくして起こった」と、現状をしっかりと受け止めることができるようになりました。
それまでは社会が悪い、国が悪い、主人が悪い……と、すべての責任を他人に押し付けて、自分は被害者だと嘆いていたのですが、本を読んで、いろんな知識や知恵をつけるなかで、自分のあり方を見つめ直すようになったのです。
そうやって本を読んでいるうちに、「今の自分は過去の自分がやってきたことの結果なら、未来の自分はこれからの行動や思考、話す言葉で変わっていく」と確信して、もし次に何か仕事をするなら、人のためになる仕事をしようと決意しました。
ビジネスは「自分の問題解決」が種になる
そんなギリギリの生活を1年ほど送っていたとき、小学3年生になった子どもが「塾に通いたい」と言い出しました。もちろんそんなお金の余裕はないのですが、野球以外の習い事をすべてやめさせたという負い目もあったし、時間だけはたっぷりあったので、ふたりでいろんな塾を見て回ることにしました。
大手から個人経営の塾まで、たくさん見学して思ったことは、「魅力的な塾がない」ということ。ほとんどが合格率や難関校に何人合格したかというセールストークばかりで、本当に子どもの気持ちに寄り添って、将来を一緒に考えてくれるようなところはありませんでした。塾に通う子どもたちがみんな東大や有名校に合格したいわけではないし、そういった学校に合格しただけで幸せになれるわけではありませんよね。もちろん、理想的な塾があったとしても金銭的に通わせることはできなかったと思いますが、それ以前に通わせたいと思える魅力的な塾が一校もありませんでした。
そんな現実を目の当たりにして、
「他の家庭はみんな納得して今の塾に通っているんだろうか?」
「子どもたちは我慢して通っているんじゃないのか?」
「もし、うちの子どもを通わせたいという塾があったら、みんな行きたいと思うんじゃないのか?」
「そんな塾を親も求めているんじゃないのか?」
「私がその塾を作ったら、人のためになる仕事ができて、自分の子どもも通わせることができるんじゃないのか?」
そんな葛藤の末、自分で塾を開校しようと決心をしたのです・・・。
<後編につづく>
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この記事を書いた人
- チャンネル登録者数19.2万人。「メイクは魔法、お顔はキャンパス、コンプレックスをチャームポイントに」すべく、メイクの楽しさを自らの顔で表現。難病、入院、うつを経て、自立するために始めたYouTube。自ら意識低い系と言いつつ、撮影、編集すべて一人でこなし、現在登録者数19万人。高校生のときに発症した若年性パーキンソン病と今なお闘いながら世界中の女の子をかわいくする野望を胸に秘める。