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オザワ部長のちょっと変わった履歴書日本舞踊を極めた先にあった吹奏楽部の生徒たちとの出会い。舞踊家・演出家・振付師の花柳琴臣が「ワクワクするほう」へ歩いた先にあったものとは?

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日本で唯一の吹奏楽作家オザワ部長が「好きを仕事にした大人」を取材。日本舞踊花柳流師範である花柳琴臣さんの人生は、40歳のとき、吹奏楽部との出会いで大きく変わりました。

今回のちょっと変わった履歴の持ち主

舞踊家・演出家・振付師
花柳琴臣
1982年6月3日生まれ。東京都出身。20歳で花柳流師範となり、日本舞踊の道を極める一方、オーケストラ、シャンソン・カンツォーネ、ダンスなど様々な別ジャンルとのコラボレーションを積極的に行う。スコットランドの「エジンバラ フェスティバルフリンジ」での海外公演(最高賞五つ星獲得)など、国内外で活躍する。

「吹奏楽舞踊」を発明した気鋭の日本舞踊家

ホールのステージ上ではまばゆい照明の中、和服の衣装を着た男女が優雅に日本舞踊を舞っていた。満員の客席では観客たちがその様子に目を奪われていた。

だが、踊っているのは日本舞踊家ではない。吹奏楽部に所属する高校生たちだ。そして、バックで演奏しているのも吹奏楽部。西洋の音楽形態である吹奏楽に乗せて、極めて和風な日本舞踊が演じられているのだ。

その様子を、舞台袖から見守っている和服の男がいた。

花柳琴臣、40歳(※取材時点)。

自分の弟子と言ってもいい高校生たちのみずみずしい舞踊と吹奏楽の融合、そして、それに感激している観客の様子を目にし、琴臣の瞳は熱く潤んだ。自身が発明した「吹奏楽舞踊」が、見事にステージ上に花開いていた。

「僕のやってきたこと、僕の歩んできた道は間違いじゃなかった」

琴臣はそう確信した。

幼くして日本舞踊の虜に

琴臣が生まれたのは東京都北区。実家は小料理屋で、父が板前、母が女将だった。店の2階座敷で、琴臣は小料理屋から聞こえてくる賑やかな音や声を子守唄にして育った。

日本舞踊を習っていたのは母親だった。ごく自然に幼いころから稽古場に出入りしており、「僕もやりたい」とねだったが、「男の子なんだから」と許してもらえなかった。それでも繰り返し頼み続けると、「1回舞台に出てみる?」と言われ、初めて人前で踊れることになった。10歳のときのことだ。

民謡《黒田節》に合わせて不慣れな踊りを披露すると、拍手喝采を浴びた。頭上からはスポットライト。観客の笑顔が見えた。

「こんな気持ちいい空間があるのか!」

琴臣は日本舞踊の虜になった。

エジンバラ・フェスティバルフリンジ「THE SAKE」

それから正式に稽古に通うようになった。中学校に入ってからも、考えているのは踊りのことばかり。まわりがポップスやロックを聴いているとき、琴臣は三味線を聴いていた。また、小遣いを貯めては学ラン姿のまま歌舞伎座に通って歌舞伎を見た。

「偉いわねぇ」

まわりの老人たちに感心され、お茶やお饅頭をもらった。

高校に進学するころには和太鼓にも興味を持ち、和太鼓部がある都立大山高校に入学した。和太鼓部の練習場所の隣では、吹奏楽部が練習をしていた。だが、部員数が少なく、「打楽器の演奏を手伝ってくれない?」と琴臣にサポートの依頼が来た。それをきっかけに和太鼓部と吹奏楽部を掛け持ちし、吹奏楽のほうにのめり込んだ。

一方、日本舞踊では16歳のときに名取になっていたが、高2から花柳流の本部の稽古場に通うようになり、厳しい稽古を受けた。

このときの琴臣は、将来はごく普通の日本舞踊家として身を立てていこうと思っていた。

インタビュー中も、所作の一つ一つが美しい

吹奏楽部との出会いが変えた運命

高校を卒業した後、琴臣は吹奏楽の一般楽団に入った。そこで出会ったのが、トランペットを吹いていた島川真樹。14歳ながら突出した技術を持つ少女だった。同じ楽団員同士で会話をする中で、琴臣は真樹に何気なくこんな話をした。

「いつか日本舞踊と吹奏楽を融合させてみたいんだよね」

それから約8年後。琴臣は都内のホテルでベルボーイのアルバイトをしながら日本舞踊家として活動を続けていた。すると、不意に電話が鳴った。真樹からだった。

「いま、東海大学付属高輪台高校に勤務して吹奏楽部の顧問をやっているんだけど、前に『日本舞踊と吹奏楽を融合させてみたい』って話してたよね? うちの主顧問の先生が『何か吹奏楽を使ったオリジナルの演目をやりたい』って言ってるんだけど」

その言葉を聞いたとき、琴臣は胸が躍るのを感じた。自分の大好きな日本舞踊と吹奏楽が、本当にひとつになるかもしれない!

琴臣は喜び勇んで高校に行き、選抜された10人の吹奏楽部員たちに日本舞踊の手ほどきをした。そして、美空ひばりのヒット曲《川の流れのように》に合わせた振り付けを指導した。

吹奏楽部員たちに日本舞踊の手ほどき(浜松日体中・高等学校)

和と洋の融合「吹奏楽舞踊」が誕生

数カ月後、高校生たちは、浜松で開催された吹奏楽のコンクールで、吹奏楽の演奏をバックに爽やかな日本舞踊を披露した。

「これは面白いね!」

本番を見た先生たち、保護者にも好評で、その後も定期的に日本舞踊の指導とコンサートでの上演が決まった。

世界初の「吹奏楽舞踊」が生まれた瞬間だった。

吹奏楽舞踊は和と洋の融合だ。吹奏楽は3拍子、4拍子といった拍子に則り、基本的には決まったテンポで演奏される。一方、日本舞踊は、決まったテンポとは違う独特の「間(ま)」を持っている。吹奏楽部員たちはその「間」を学ぶことで、楽器の演奏でも決まったテンポだけではない、微妙な音楽的な表現や揺らぎを身につけることができる。また、踊りによって、音楽を全身の動き、指先や表情の微妙な変化で表現することを知り、それがまた吹奏楽の演奏に生かされる。

単に、吹奏楽をバックに日本舞踊を舞うだけではない効用が「吹奏楽舞踊」にはあるのだ。

いまでは国内で5つの高校吹奏楽部が「吹奏楽舞踊」に取り組んでいる。東海大学付属高輪台高校や京都両洋高校はヨーロッパへの演奏旅行の際にも吹奏楽舞踊を披露し、その中で琴臣自身も高校生たちとともにステージに立った。

ウィーン楽友協会ホール、ベルリンフィルハーモニー・ホール、ドボルザーク・ホールといったクラシック界最高峰のステージで、琴臣と高校生たちは喝采を受けた。

決して、前もって「この道が正しい」と思って進んできたわけではない。だが、気づくといつも琴臣は正しい道を歩めていた。心の中には、進むべき方向を示してくれる「羅針盤」があった。

岐阜県高山西高等学校ウインドアンサンブル部の生徒らによる吹奏楽舞踊

「大木になりなさい」という教え

ちょうど吹奏楽部とコラボするようになったころから、琴臣はほかにも様々なジャンルと関わるようになっていった。

東京・新木場にあったクラブ「ageha」のカウントダウンライブに出演したときは、クラブミュージックが鳴り響き、レーザー光線が飛び交う中、奇抜なメイクをして踊った。

バリ島のビーチでは、現地の民族音楽であるガムラン音楽をバックに、すべて即興で日本舞踊を披露した。何度も反復される打楽器の演奏に乗せて舞ううちに、琴臣は初めてトランス状態を経験した。

「天と地をつなぐものが音楽であり、舞踊なんだ」と悟った。

長い伝統を持つ日本舞踊だけに、そういった枠にとらわれない活動をしていると、やはりバッシングを受けることもあった。だが、琴臣はかつて尊敬する先輩が語ってくれた言葉に支えられていた。

「自分を木だと思いなさい。幹となるのは、古典の日本舞踊。そこにいろいろな枝葉が増えていったら、やがて大木になる。基本である日本舞踊さえしっかりしていれば、どんな枝葉を茂らせても大丈夫。だから、細かいことにとらわれず、大木になりなさい」

その言葉どおり、琴臣は吹奏楽やクラブミュージック、ガムラン音楽などとのコラボで枝葉を増やしていった。

中には離れていってしまう人もいたが、逆に多くの人々との出会いがあった。

いつも「ワクワクするほう」へ歩いていく

吹奏楽のときもそうだったが、「ご縁」というものが琴臣を新しい世界へと連れていってくれた。

駒込の居酒屋でたまたま隣に座った人との出会いで岐阜県の飛騨高山へ呼ばれ、そのきっかけから世界遺産「白川郷」で知られる白川村の学校での特別授業が始まった。友人のヴァイオリニストのライブに同行して沖縄に行ったことから、沖縄のアーティストや琉球舞踊家とも出会えた。いまは日本舞踊とダンスが融合するプロジェクトにも力を入れている。

いろいろなご縁があるが、もちろん、良縁ばかりとは限らない。ご縁になりそうなものと出会ったとき、琴臣が判断基準にしているのは「ワクワクするかどうか」だ。

答えは自分の心に聞く。そこに羅針盤がある。もし心が「ワクワク」の方向を指していたら、そちらに向かって歩いていく。すると、必ずそこには新しい世界が開け、ユニークな人たちとの出会いが待っている。そして、日本舞踊の新たな可能性が広がる。

これから先も、琴臣の履歴書には、たくさんの新しい「ワクワク」が書き加えられていくことだろう。

左からオザワ部長、花柳琴臣さん。オザワ部長おなじみのポーズで記念写真

《「唯一無二の職業を手に入れるには」 I am オザワ部長インタビューはこちら》

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この記事を書いた人

オザワ部長
オザワ部長
世界にただ一人の吹奏楽作家。早稲田大学第一文学部在学中に小説家を目指す。フリーランス歴は26年。初めはフリーライターとして活動。中学時代吹奏楽部だったことから、オザワ部長のペンネームを起用して『みんなのあるある吹奏楽部 』を出版。吹奏楽作家に。最新刊『空とラッパと小倉トースト』好評発売中。

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