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誰がやっても同じ仕事から自分だけの仕事を追い求めて… 清水洋平インタビュー第2話

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アルバイト、店長、MUJI BOOKS事業プロジェクトリーダーとして、のべ21年間無印良品やMUJIブランドを展開する(株)良品計画で勤めてきた清水洋平さん。やりがいを感じていたが、ある想いをきっかけに退職を決意。そして独立、清水屋商店を立ち上げました。その訳は……。

清水洋平

プロフィール

清水屋商店清水洋平

2000年アルバイトとして㈱良品計画に入社。店長を経て、2015年にMUJI BOOKS事業の立ち上げに携わる。以降プロジェクトリーダーとして選書・売場企画・プロジェクト企画を行う。2021年独立し、さまざまな形で本のある暮らしをプロデュースしていく清水屋商店を立ち上げる。銀座森岡書店のキュレーターや出版社のメディア戦略家として活躍。無印良品のポッドキャスト「無印良品くらしのラジオ」のプロデュース兼パーソナリティもつとめる。

無印良品のMUJI BOOKSプロジェクトリーダーとして忙しい日々を送っていた清水洋平さん。新しいプロジェクトにやりがいを感じていたが、会社に属した状態では「自分がやった仕事」と言い切れないと、次第にジレンマを抱える。個としての自分を発揮できずに定年を迎えることに不安を抱いた時、自身の幼少期の体験がフラッシュバックした。
全2話、前編はこちらからどうぞ。

父が自己破産、そして一家離散

実家が静岡県の藤枝市で、70年近く清水屋商店という屋号で商売をしています。戦後まもなく曾祖父が始めました。おでんの具の練り製品とか伊達巻などを買い付けて市場に卸す問屋です。地元では割と有名でした。父が3代目にあたります。

僕が子供の頃はとても景気がよくて、外車しか乗ったことがないくらい。冗談みたいな話ですが、幼いころ車は左ハンドルだと思っていました。2年おきくらいに新車に買い替えていて、仕事のものも入れると常時に3・4台の車が家にありました。親も親戚も商売人の多い環境でした。

母親も趣味のセレクトショップをやっていて、そのお店に掛かりきりなので、いつも祖父母と一緒でした。

3代目の父は放蕩息子で、母親も裕福な家の出の放蕩娘。2人ともお金を使うことはプロなんですけど、稼ぐことはあまり上手ではなかったように思いますね。世に言われる「3代目は身上を潰す」っていう言葉の通り、両親は家のお金を全部使い果たして、借金をこしらえて、最後に父が自己破産をしました。

それを境に目の前から全てがなくなりました。家も土地も車もすべて、目の前にあったものが全部なくなっていくのを目の当たりにしました。父と母も離婚していわゆる一家離散です。小学生にして天国と地獄を見たというやつですね。

着るもの一つ取っても、おもちゃ一つ取っても、その時期を境に、全然変わってくるわけです。子供ながらにもこの状況がすごく大変な状況だってことはわかるんだけど、自分にできることが何一つとしてない状況で、親を頼るしか自分は生きていけない。そこで痛感したのは、はやく独立して自分で食べていけるようにならないとダメだっていうことでした。

私にとって会社に属することは、自分の力の及び知れないところに身を置くことになるわけなので、万が一何か起こった時、自分では対処しきれないという不安というかもどかしい思いがあります。幼少期の経験から、出来る限り制御不能なものに依存しないようにしておきたい、という危機管理能力が備わりました。だから会社に居続けるというのはある意味ではリスクなわけです。それが組織人としてフィット出来ない自分に繋がったのかもしれません。

清水洋平
写真/shutterstock

父から学んだ、死ぬこと以外はどうにでもなる精神

父は今現在も家業を細々と続けています。地元ではボンボンとして名を馳せていた父が自己破産して以来、全く真逆の人生を送ることになったわけですから、プライドもボロボロになったのだと想像します。

でも僕の前ではただの楽天的な酒飲みにしか見えなかったですけど。そういう楽天的なところは受け継いたんだと思います。なんとかなるだろうって。根拠はどこにもないんですけどね。自分も独立して失敗したらどこかでアルバイトすればいいかなってくらいに思ってますね。不安を考え始めたら止めどないですし。

実際独立して収入も減りました。本当に身一つになってしまったんですけど、死ぬことに比べたら大したことないって思っています。

儚いものを追うよりは貧しくても地に足をつけて暮らしたい

MUJI BOOKSのような会社の新規事業に手を挙げるということは、人によっても異なる捉え方があると思います。新規部署をチャンスと捉える方もいると思いますし、一方で新規事業が失敗したら部署がなくなっちゃうわけで、出世街道からドロップアウトすると捉える方もいます。

父親のこともオーバーラップするんですけど、たくさんお金を持っていたとして、何が満たされるのか?っていつも思うんですよ。目の前のものを全て失うということを経験したからだと思いますが、お金ってうつろいやすくて儚いものだって思うんです。

だから僕は肩書とか出世とかほとんど考えてなくて、競争をするってことに対してもちょっと抵抗を感じちゃうんです。だから無理してまで働いてどうなるんだろうって考えてしまう。

自宅は最寄り駅から徒歩20分、バスに乗れば10分もかからない場所にあります。でも一番忙しかった時、晴れてようが昼間だろうが夜だろうがほんのちょっとの距離なのにタクシーに乗っちゃうんですよ。

さらにコンビニの前で降りて、空腹でもないのにお菓子とかジュースとか買って食べちゃう。それが日課になってて。お金があるからこそできるストレス発散なんですけど、その行為に何の意味もなくて。でも当時は疑問にすら思わなかったし、ただただ趣くままに行動していました。きっとお金はあっても肉体的にも精神的にも疲れ果てて、思考も健全じゃなかったと思います。振り返ってあの状態って何だろうって考えると、「自分はそんなことがしたかったんだっけ?」となるし、お金を手にした結果、ストレス発散のために消費することやお金を使うことに何の感慨を持たなくなった自分に愕然とします。本当にそういうことなのかと。そうだとすれば、どこかやりきれない。

だから清く貧しくの方が僕には合うんです。自分の中を満たすという意味では、気持ち良くないことを排除していくことのほうが大事だなって。無理に頑張って競争して出世して。その結果お金を得ても、何が残るのかな?と思います。

20代の前半とか学生時代を考えたら、お金はないけど満たされてた。感受性も高いし、いろんなことをやれる可能性がありました。でも年を重ねていくとお金は増えるけど感受性が衰えていく。すごく皮肉な状況ですよね。

でもまだ40代は、20代ほどの感受性はないにしても、その延長線上にいるような感覚が自分にはあって。やりたいことがあるなら、それを純粋にできる環境でやりたい。それなら今この会社にいるべきじゃないって考えるようになりました。そうはっきり思ってからは会社を辞めることに迷いはなくなりました。

清水洋平
写真/shutterstock

コロナ禍での独立は最悪で最高のスタート

今年独立するっていうのはコロナでのあらゆる影響下においては最悪からのスタートとなったわけですが、2020年はリモートワークで独立のイメージトレーニングをさせてもらった感もあったんですよ。家で仕事をするって、今でこそ当たり前ですけど。やっぱり去年の2月ぐらいまでは、世の中に家族がいる中で仕事をすることに戸惑いがあったと思います。

でもフリーランスは家で仕事しなきゃいけないので、僕にとってはリモートワークになったことでいいステップを踏めたのかなと思っています。

結果として、けっこう多くの人が家で仕事ができることが証明されたと思います。つまり個人であろうと企業人であろうと、どこでも仕事ができて社会に対応できるということが見えたように思います。それまでは組織にいないと人に会うきっかけや会う場所がなくて動きが取れないと思い込んでいました。

でもこれだけオンラインが発達すると、物理的な障害はないですし会うためのハードルも下がったように思います。個人でも組織人でも遠隔地でもオンラインでコミュニケーションできることは、コロナ前と後での大きな変化だと思います。そしてそれが立場や環境の違いをボーダーレスにしていくように感じています。

おそらくそう考えるのは自分だけではないのではないでしょうか。

この先独立することを考えると、この経験は良い予行演習にもなったし、フリーランスで働くってこういうことなんだ、という感覚が身についたと思います。

もしかしたらこれからフリーランスになる人がもっと加速するのかもしれないですよね。

全2話、前編はこちらからどうぞ。

取材・文・写真/I am 編集部

この記事を書いた人

井坂 優子
井坂 優子副編集長
仕事、家事・育児に追われ、自分のことを後回しにした30代。40代に突入し、これからの働き方を模索中。強み:やると決めたらすぐ動く。営業一筋で培った断られても大丈夫なマインド。弱み:無趣味。営業マンだったのに口ベタ。

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