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資格をいかしてフリーランスでチャレンジし続ける大久保美緒さんフリーランス薬剤師がトレーラーハウスで薬店オープン。専門職の新しい働き方とは?

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正社員薬剤師として安定した薬局勤務を辞めてフリーランスの道へ。試行錯誤を続けながら、フリーランス、テナント経営、ついにはトレーラーハウスで薬店をオープンさせ、自分の働き方を追求する大久保美緒さんに話を聞きました。

プロフィール

インタビュアー、スタートアップ広報中村優子

(なかむら・ゆうこ)元テレビ局アナウンサー、インタビュアー、スタートアップ広報。作家・林真理子さんのYouTubeチャンネル「マリコ書房」、および著者インタビューサイト「本TUBE」を運営。インタビュー動画の企画から出演、編集まで一人でこなす。年100本以上の動画制作に関わる。2022年、スタートアップ広報の会社を設立。

安定した正社員を辞めてフリーランス薬剤師に

青森県十和田市で、フリーランスの薬剤師をしている大久保美緒さん。北里大学薬学部を卒業後、病院などで薬剤師として勤務。2018 年、安定した立場から離れフリーランス薬剤師となり、人手不足の薬局を手伝うサービスを開始。

《写真》 トレーラーハウスの薬店とは?


薬剤師でフリーランスとは、全国的に見てもかなり珍しい存在。大久保さんも、「法律面で問題ないのか?」という疑問を解消するため、独立までタイムラグがありました。その手間をかけてまで、フリーランスにこだわった理由を次のように語ります。

「安定した環境であっても、雇用されて働くというのは、ちょっと窮屈だなっていう思いがありました。生来、1 人でやりたいという思いが強いのですね。また、薬剤師は店舗に自分 1 人だけという薬局に勤めていたことがあり、代わりの人がいなくて休めないというのもありました。決まった休みはあるけれど、急に休みたいときの対応が難しいのです。実は、休めない薬剤師さんって多いんです。特に有資格者が 1 人だけの場合は。私的な休暇以外にも、研修、学会、地域ケア会議のように、どうしても店を空けたいことはありますから」

薬局は慢性的な薬剤師不足

「それに、都心と比べると、地方の薬剤師は足りていません。引く手あまたに近い地域も多く、多忙が常態化しています。休みたいときに休めて、代わりの人が来てくれるサービスがあればいいんじゃないのかなって思ったのがきっかけで、自分がそのサービスを提供する側になりました」

大久保さんは、独立するにあたり、個人事業主ではなく合同会社にしました。社員は自分 1人だけとはいえ、法人にしたのは、「ちゃんと経営していくんだ」という気持ちを持ち、周りにも「きちんとした会社である」と、認めてもらいたかったというのがあったそうです。

フリーランス薬剤師が仕事に困らない

独立してしばらくの状況は、どんな感じだったのでしょうか?

「仕事は切れ目なくありました。以前勤めていた会社や、人出が足りないところとスムーズに契約できました。仕事の中身自体は、独立前と変わらないです。スポット的な依頼が多いかと予想していたのですが、どこも慢性的に人手不足なので、常駐に近いかたちが多かったですね。忙しくても、社員の薬剤師に有給休暇を取らせたい、計画的に夏休みなどをもうけたいというところは多く、そのニーズを満たしてあげることができました。この地域の薬局は、日曜が休業日のところが多いですが、私はその日を除いて週 6 日、フルに働いていました」

フリーランスになって、気になるのが収入面です。大久保さんは、こう話します。

「フリーランスになって、税別時給単価で 3000~4500 円にしました。雇われていた時代と比べ時給換算で 2~3 割上乗せし、経費を加えた額としました。フリーランスだと会社からの福利厚生がないので、そのぶんを見ておかねばならないからです。依頼が途切れなければ、月の売上は 60~70 万円になります」

この額は、ほかの業種・職種と比べて、安定的で高めの収入に見えます。そのまま働いていけば、フリーランスのひとつの成功例となれたのでしょうが、大久保さんは、マイクロ法人(一人社員の法人のこと)の立場はそのままに、働き方を変えます。


「そういうフリーランスの働き方を一旦止めて、自分で薬局を開きました。フリーランス薬剤師から離れて本当の意味での独立自営を経験してみたかったのです。フリーランスの仕事で貯めたお金を元手に、十和田市内の商店街にある、年季の入った 2 階建て雑居ビルの一室を借りました。2019 年 6 月のことです。そこは、築 45 年くらいと古いうえに、もとはスナックだったので、かなり苦労しながらお金もかけて改装して、2020年 3 月にオープンしました」

しかし、そのビル自体は大通りに面しているものの、借りているテナント部分は人通りが少ない路地裏で隠れ家的な物件だったといいます。しかし、経営面で持続可能ではないと判断したそうです。

「このままでは、お金が底をつきてしまう……」

自分のお店を開店したにも関わらず、半年ほどで見切りをつけたこの経営判断がトレーラーハウスへ移転という、あまり利益を出さなくても、無理なく続けていけるようなスタイルを生み出したのです。

トレーラーハウスで再チャレンジ

大久保さんは、今の薬局のテナントからは撤退するも、また別の場所であらたに薬局を作ることを考えます。検討の末に行きついたのは、トレーラーハウスの活用でした。

「さほど広くない土地を買い、そこにトレーラーハウスを2つ置き、1つは店舗、1つは自分の住居にすることに決めました。トレーラーハウスは突拍子もないと思われるかもしれませんが、もともとコンパクトハウスに興味があり、独立前にトレーラーハウスに住むという選択肢を一度考えたことがあったのです。これだと、費用は通常のコンパクトハウスより少し安く済みそうだし、簡単ではないけれど移動しようと思えばできるというのもあります」

確かにトレーラーハウスであれば、万が一不要になっても、そのまま売却できるし、誰かに貸すこともできる、柔軟性のある経営スタイルです。

「独立前は、そこまで決断できませんでしたが、やがて近場に『ここ以外に考えられない』という最適な土地を見つけ、所有者から快く売っていただけることになり、そこから自分のテナント店に見切りをつけ、一気に動き始めました」

大久保さんはトレーラーハウス購入費と薬局移転費用を稼ぐため、フリーランス薬剤師に一旦戻り、リサーチに精を出すことに。

薬局なのに薬膳スイーツ?

こうして大久保さんは、2021 年 10 月に住居用のトレーラーハウスに住み始めます。すぐ隣りに、店舗用のトレーラーハウスがやってきたのが、翌年の 3 月。内装工事や、前の店舗からの物品運び入れ、保健所の審査などあって、7 月にオープンします。当初は薬局にする予定でしたが、薬店でもじゅうぶんやりたいことができるのと、審査の項目も薬局より少ないため薬店にすることとしました。

新店舗での展開について、大久保さんは、次のように語ります。

「薬局にドリンクスタンドを兼ねた店としたのが、前の店舗との大きな違いです。その流れで、南部夜市という、屋台やキッチンカーが集う地元のイベントに参加しました。そこで自分で開発した薬膳スイーツを出し、完売しました」

手応えを感じつつも、自分で薬店を経営すると、法律上フリーランス薬剤師として他のところで働けなくなるため、ダブルワークができなくなるという事態が発生したのです。

「トレーラーハウスの店専業で何か月かやってみたのですが、その期間中も他の薬局から支援要請が止まず、やはりフリーランス薬剤師を再開したい、漢方薬の販売はしたいけど自分は店を持ちたいわけではないということに気づいたのです」

結局、近いうちにフリーランス薬剤師に復帰することに決めた大久保さんですが、以前と違うのは、手伝いに行く薬局に間借りするかたちで漢方薬を置かせてもらい、自分で漢方薬を販売しつつ、そこで薬剤師もするというプランを立てている。

「おそらく他に誰もやっていないことで、法律面で問題がないか確認してからの話ですが。今のトレーラーハウスは、自分個人のオフィスとして生かすつもりです」とあくまで前向きだ。「まるでジェットコースターのようなフリーランス人生」に見えますが、フリーランスという働き方を選んだ以上、試行錯誤は避けられないものなのかもしれません。

最後に、試行錯誤を重ねながらも、挫けることなく突き進む秘訣やコツを、教えていただきました。

「どこに行っても前例がない、そんなこと無理ですよと言われ、進もうとしている道が閉ざされたと絶望感を味わうことは何度もありました。それでもあきらめないとう熱い気持ちを持ちつつ、一度冷静になり、他に方法はないか一歩引いて全体を見渡し別の方法を考えるということができたのでここまで来れました。そもそも一筋縄ではいかないことを、地方で実現させようとしているのですし、柔軟な対応は難しいだろうとある程度予想していました。無理だといわれてもいちいち目くじら立てないように心がけています」

この記事を書いた人

鈴木 拓也
鈴木 拓也
都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。

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