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独立起業の先輩たちからノウハウを学ぶ〈起業家・萩原良さん/前編〉中小企業の経営者から学んだ経営戦略より大事な経営者の理念。起業するなら知っておくべき「丹力」

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ゲームで英会話を学べる子ども向けサービスを手がける「kiduku(キヅク)」の代表である萩原良さんに、「好き」やスキルを生かして独立するために必要な準備や努力について伺いました。

 自分の「好き」やスキルを生かして独立するためには、会社員時代にどのような準備や努力が必要なのか--。
 独立起業の先輩たちからノウハウを学ぶシリーズの第2回は、三洋電機や銀行系のコンサルティング会社を経て、海外に日本の情報を発信するスタートアップ企業「株式会社TSUNAGU(ツナグ)」を起業した萩原良さん(40)にお話をうかがいました。
 TSUNAGUを急成長させた萩原さんは、2019年に会社をNTTドコモと電通の合弁会社であるD2Cに売却し、現在はそこで得た資金を元にゲームで英会話を学べる子ども向けサービスを手がける「kiduku(キヅク)」を立ち上げ、新たな挑戦を始めています。
 萩原さんの言葉から浮かび上がるのは、「いま所属している組織に自分を同一化させるのではなく、組織を利用して自分を成長させる」という一貫した姿勢です。

プロフィール

起業家萩原良


先輩起業家Profile

萩原良(はぎわら・りょう)「kiduku(キヅク)」代表取締役社長。幼少のころに海外に住んでいたことから、「世界の中での日本」を常に意識。2005年一橋大学卒業後、三洋電機、三菱UFJリサーチ&コンサルティングを経て、2013年に海外に日本の情報を発信するスタートアップ企業「株式会社TSUNAGU(ツナグ)」を起業。2019年に会社を売却し、そこで得た資金を元にゲームで英会話を学べる子ども向けサービスを手がける「kiduku(キヅク)」を立ち上げた。現在は自分と同様に起業を目指す人も応援している。

欧州で過ごした小学生時代に描いた夢

 大人になったら、日本のことを海外にアピールする仕事がしたい。萩原さんは子どものころからそう考えていました。父親の仕事の都合で、小学生の6年間をドイツとイギリスで過ごしたことが、原体験になっているといいます。

「当時、ヨーロッパでは日本製品がものすごくはやっていました。任天堂のゲームボーイやスーパーファミコン、ソニーのウォークマン、そしてトヨタをはじめとするたくさんの日本車。子どもたちが大好きなモノのほとんどが日本製で占められていました。特にイギリスの寮で暮らしていた小学4~6年生のころは周囲に僕しか日本人がいなくて、友だちから『日本ってすごいな!』と言われるのがとても誇らしかったのを覚えています。

ベンチャー起業家にあこがれた大学時代

 その後一橋大学に進学した萩原さん。当時はホリエモンことライブドアの堀江貴文さんや、サイバーエージェントの藤田晋さんが活躍し、一部の学生の間で起業への熱量が高まっている時期でした。

「当時は大学でも『ベンチャー講座』が開かれていたり、構内に起業をテーマにしたフリーペーパーが置かれていたりして、起業、そして若くして社会にインパクトを与えるベンチャー起業家にあこがれる学生が増え始めた時代でした。僕自身も、子どもの頃からの夢である日本を海外にアピールするという領域で起業し、社会にインパクトを与えられる存在になるとともに、どうせならIPO(株式公開)を目指して、お金に不自由しない生活を手に入れることができたらいいな、と考えるようになりました。ただ僕はあまりまじめな学生ではなく、起業できるだけの知識もアイデアも自信も持っていなかったので、まずは企業に就職して修行して、30歳までに起業しようと考えました」

三洋電機に就職、直後に襲った激震

 2005年、萩原さんが就職先に選んだのは、電機大手の三洋電機(現在はパナソニックが経営統合)でした。当時の三洋電機は、経営者の若返りと組織の活性化を目的にした「次世代経営職育成プラン」を掲げていました。「30代前半に関係会社の社長、40代前半に本社の執行役員」を生み出すとして候補者を募集しており、萩原さんはこの枠で三洋電機に就職します。

「30歳までに起業するという目標を達成するためには様々な知識や経験を身につける必要があり、スピード感を持って社員を育成するという仕組みに魅力を感じていました」

 ただ、当時の三洋は経営難に陥りつつあり、鳴り物入りでスタートした「次世代経営職育成プラン」は萩原さんの入社後まもなく雲散霧消します。スピード出世のもくろみが外れ「話が違う」と退職する社員も多かったのですが、萩原さんは「もともと三洋電機の幹部になることが目標ではなかったので……」。

 企業内での出世より、自分自身の成長。優先順位をはっきりさせていた萩原さんは、迷わずそのまま三洋電機での勤務を続けました。

弱みを知り知識を吸収した三洋での修業

 萩原さんが配属されたのは広報でした。

「起業のための修行という目的を持って就職したものの、実際には押し寄せる仕事にキャッチアップするだけで精いっぱいという状況でした。ただそれでも、財務諸表の読み方やプレスリリースなど効果的な情報発信の方法といった今後必要なスキルは進んで身につけるようにしましたし、記者さんの懐にぐいぐい入っていけるような営業力を鍛える必要があると感じるなど、当時の自分の弱みを理解できたことは大きかったと思います。三洋時代の人間関係は起業後に大きな力になりましたし、社会人としての基本を一から身につけられたことも、後の仕事に役立っていると感じます」

 様々な知識を吸収し、順調に「修行」を進めた萩原さん。広報は報道関係者との付き合いに加え、決算や会社にとって重要な戦略の記者発表を手配したり、社長ら幹部が記者会見で使う想定Q&Aを用意したりと、経営の中枢をのぞき見る機会も多い仕事でした。

「根回しや社内政治など、大企業はこういう力学で動くのか、という発見はたくさんありました。ただ、自分がやろうとしているスタートアップとは違いも多くて、もっと規模の小さいところの経営の実務を学びたいという気持ちが強くなりました」

中小の実態を知るため銀行系コンサルへ

 スタートアップ企業を興すためには、中小企業の経営の実務を知る必要がある。そう感じた萩原さんは2009年、三洋電機からメガバンク傘下のコンサルティング企業「三菱UFJリサーチ&コンサルティング」の中小・中堅企業部門に転職します。

 主な仕事は、飲食業、商社、農業法人など数十におよぶ中小中堅企業の経営者に寄り添い、経営をサポートすることでした。

「飲食店の売り上げなどを記録する日計表を一緒に付けたり、先方に出向いて社内の会議に出席したり、たくさんの経営者を間近で見ることができました。もちろん、コンサルという仕事をしているので顧客に十分な成果を提供することが前提ですが、常に『自分が経営者だったらどうする?』という目線で経営を疑似体験できた経験はとても貴重でした」

中小経営者から学んだあるべき経営者像

 特に印象に残っているのは、経営者ごとに異なる社員の気持ちの動かし方だといいます。

「経営戦略や財務ももちろん重要なのですが、会社って結局は社員がどういう気持ちで働けるかが大きくて。瑣末な事例ではあるのですが、ある飲食業の経営者は、店長を集めた会議の席上で、目標を達成した店長をものすごく褒めるんです。ただ褒めるんじゃなく、具体的にここがよかったというところをしっかり指摘して、『他の店舗でもまねしよう』と提案する。褒められた社員のモチベーションがものすごく上がり、会社全体の雰囲気がよくなっていることがこちらにも伝わってきました」

 一方で、自身に置き換えたとき「やってはならないこと」にも気づきました。

「経営者が社員に対して感情的に接してしまうと、社員は経営者の顔色を常にうかがうようになり、モチベーションも下がってしまいます。またピンチやトラブルの時に不安な表情を見せてしまうと、社員も不安に感じてしまいます。だからこそ常に冷静で、ピンチの時も毅然とした態度でいることが必要だと肝に銘じることができました」

ぎりぎりの状況で見せた「社長の顔」

 萩原さんが実際に起業したあと、このときの教訓が生かされる局面があったそうです。

「起業して2年目に、資金面でものすごく厳しい時期があったんです。会社の預金残高が数千円しかないというぎりぎりの状況だったのですが、社員には一切伝えず、不安そうな表情も見せないよう努力し、裏では必死に打開策を模索していました。スタートアップで働くなんて誰でも心配ですから、経営者が不安になっていることが伝わったら逃げ出しちゃいますよね。なるべく常に冷静に、毅然とした態度でいるように努めていました。」

 後編では、いよいよ起業を決意したあと退職までの間に会社でやった意外なことや、起業後の波瀾万丈に迫ります。

《後編はこちら》



この記事を書いた人

華太郎
華太郎経済ライター
新聞社の経済記者や週刊誌の副編集長をやっていました。強み:好き嫌いがありません。弱み:節操がありません。

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