大企業だから安泰とは限らない。大ヒットおもちゃ『♾️プチプチ』生みの親が語る、独立したワケとは?
大企業は安泰か? 永遠のテーマともいえるこの問題。定年まで逃げ切りたい人、逃げきれないからセカンドキャリアを考えている人それぞれかもしれません。正解のない働き方のヒントをお伝えします。
大ヒットおもちゃ『∞(むげん)プチプチ』をご存知でしょうか。その名の通りプチプチを無限にプチプチできるおもちゃです。この『∞(むげん)プチプチ』を開発した高橋晋平さんに話を伺いました。大手玩具メーカー・バンダイに約10年勤めたのち独立し、あらゆるジャンルの玩具・ゲームの開発を行っています。山あり谷ありの遍歴を乗り越え、各方面からひっぱりだこの高橋さんに、事業を軌道に乗せる秘訣をお伺いします。
目次
「謎すぎて」採用試験に合格?
僕は、秋田県北秋田市で生まれ育ち、高校は隣の大館市、そして大学進学を機に仙台に移り住みました。大学では工学部機械科を専攻し、大学院の2年間は情報科学研究科で主にプログラミングを学びました。就職先も、電機メーカーかソフト開発会社になるのだろうと、当然のように思っていたのです。
しかし実際は、就職試験を受けたのはバンダイ1社のみ。「一生、人を笑わせる仕事がしたい」と思っていたので、ほかを選ばずバンダイに就職しました。
採用面接では、リクエストされて落語を披露したんですね。大学のお笑いサークルで活動していたから、『人を笑わせるおもちゃを作りたいんです』と自己アピールしました。
想像なんですが、採用面接を担当して下さった方も、見た目が全然面白くなさそうなのに、急にお笑いの芸を全力でやり出したことにギャップを感じ、謎すぎて落とせなかったんじゃないでしょうか。
入社1年目:アイデア1000本ノックの日々
入社1年目は、企画部門に配属されました。おもちゃやゲームという商品をゼロから考案してかたちにするのが仕事で、まずは先輩社員の手伝いからスタートしました。先輩が出席する打ち合わせに同席し、外部のデザイン会社や工場などにも一緒に行き、仕事の流れを学びました。
並行して、アイデア1000本ノックという課題を出されました。1年の間で、1000ものおもちゃのアイデアを考え、スケッチと一緒に提出するというものです。それを見てもらい、これは何が駄目なのかといったフィードバックをもらいました。その経験で、新商品の企画開発が、徐々にわかっていくという狙いでした。
入社2年目:アイデアから生まれたボードゲーム
1000本ノックの試練を経て、自分のアイデアが初めて商品化されたのは入社2年目でした。『瞬間決着ゲームシンペイ』というボードゲームです。『シンペイ』は僕の名前で、赤と青のコマで戦う立体三目並べみたいなゲームです。
高校時代、数少ない友達の1人が、誕生日に三目並べの木の雑貨をくれて、めっちゃ嬉しかったんです。それで遊びながら、別のルールに改造したのが記憶に残っていました。
それが1000本ノックで書いたアイデアの中にあって、上司が興味を持ち、現物を持ってきて上司と一緒に遊んで、試作してみたらと言われました。それから、するすると商品が完成してしまったみたいな感じです。
普段の企画の仕事の流れも、そのようなもので、常日頃アイデアを考えておきます。所属した部署では、定期的にアイデア会議があり、そこで企画書を持って提案します。検討してゴーサインが出たら、イメージイラストや試作のための予算をつけてもらいます。それから本会議でプレゼンして、上長らのOKが出たら、正式に商品化への道が開かれます。
バンダイの看板は「キャラクター商品」というジレンマ
僕は、キャラクター商品よりもオリジナルのアイデア商品をやりたいと、社内でずっと主張していました。同期社員がキャラクターグッズの開発で大きな売り上げを出して活躍していても、結果は出せないでいました。
2006年、売れるボードゲームを作るというミッションを抱えていた頃の話です。一所懸命に企画を出すんですけど、営業担当からは「ボードゲームは厳しい」と言われ続け、一方で開発チームの上長には「ボードゲームで売り上げを作るべし」と言われ続けて……。
どうしていいかわからなくなったまま、会議の前夜を迎えました。これはもう無理なんじゃないかと思いつつ、明日はゲームじゃない変なものを出してやろうか……。ちょっとした反骨心が生まれました。そんな気持ちでフロアをうろついていたら、おもちゃを梱包するためのプチプチロールがあって、なにかがひらめきました。当時は、ガラケーのストラップがものすごく売れていて、それと掛け合わせて、プチプチストラップってどうだろうなと。
それを企画にして、翌日の会議で出して、もちろん上司から突っ込まれました。「……ゲームはどうした?」って。それで僕は、『1人3回まで押せて、押したら次の人に回して100回目を押した人が負けっていうゲームもできます』と、適当なことを言いました。誰も何も反応しなくて、その会議は終わりました。
でも、その会議の後、妙にそのネタが面白くなってきて。ひたすらプチプチするだけというコンセプトで、商品名も『∞(むげん)プチプチ』。その名前が思いついた瞬間に、そのネタを捨てたくないっていう気持ちがどんどん強まって、あの手この手で企画を通して、ついに発売できたような感じでした。
大ヒット商品を生み出すも「好きなことをする」ため独立
「∞(むげん)プチプチ」は、世界で335万個売れて大ヒット。「時代の潮流を捉えた話題性の高い玩具」と評価され、第1回日本おもちゃ大賞も受賞しました。
入社9~10年目くらいの時期に、上司と、これからのキャリアをどうするんだという話になりました。それは必然的に誰しもが話すことなんですが、心配されていたのは、僕がバンダイの事業の主軸であるキャラクタービジネスをまったく経験していないことでした。
そのことについて僕は、ずっと深く考えずキャリアを歩んでいたのですが、「一度経験してみよう」ということで、キャラクター商品の企画開発プロデューサーを任されることになりました。タイトルを上げると、誰もが知っているようなキャラクターをいくつも担当させてもらいました。
でも、センスがなさすぎて全然ものづくりを進められない。いわゆる「カッコいいもの」を生み出せないのです。プロデューサーとして求められるものに応えられず、上司からも散々指導を受けるのですが、かっこいいものとは何かがわからないから向上できない。
僕が作りたいものは他にあって、それは全部、すごくシュールな笑いグッズとか、ニッチなアイデアグッズといったもの。それが自分の天分だと実感したのです。でもその方向性は、会社の事業の本流とどんどんずれてきているんだろうなと思いました。
悩み考えた末、人生で一度、自分が好きなことをやり切ろうと思い立ち、独立しました。(このとき僕は34歳。その後、怒涛の仕事人生が待っているとは想像もしていませんでした。)
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この記事を書いた人
- 都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。