白川密成のお悩み駆け込み寺 僕にもわかりません仕事ばかりに追われて、このままでいいのか不安……
読者から寄せられた働き方や仕事のお悩みに白川先生がお答えする癒しのコーナー【白川密成のお悩み駆け込み寺― 僕にもわかりません―】
++ 今日のお悩み ++
【仕事ばかりに追われて、このままでいいのかな… 将来に対する不安】
27 歳 女性 不動産 営業職
新卒で不動産会社に就職して、早くも5年になりました。5年間、毎日 23 時頃まで残業、休日は家でぐったり。特にこの仕事が好きというわけでもないのですが、この生活が当たり前になってしまって、もう転職しようとすら何も感じなくなりました。学生時代は美術サークルでひたすら絵を描き続けていましたが今は絵を描く体力もなく何もできません。先日社会人になってもずっと描き続けていた友人が、絵の仕事を始めたと連絡が来て、私が仕事に追われて何も好きなことをできなかった5年間でこんなにも差がついてしまったのかと愕然としました。この先も仕事に追われて自分自身のやりたいことはできず、結局目の前の仕事だけの人生になるのではと不安になっています。特に不動産営業に興味がないので、興味がないスキルばかり身に付いている気もして焦ります。私は一体どうしたらいいのでしょうか?
目次
白川先生からあなたに贈る言葉
呵責(かしゃく)
心配なこと
お悩み、ありががとうございます。
「今の仕事は好き、というわけではないけれど、忙しく年月ばかりが過ぎていく…」。同じような悩みを抱えている人も多いだろうと想像しました。
しかしその中で、少し心配になるような点を感じました。
「何も感じなくなりました」という部分です。まだあなたが書かれているように、「転職しようとすら〜」という内容だけであれば、深刻な問題とは思わないのですが、例えばそれが、「辛いとすら感じなくなった」「おかしいとすら感じなくなった」のような状態になると、あなたの身心の健康を考えると、健全とは言えないと思います。
そして、自分を振り返ってもそう思うのですが、「そういう状態」に人は、意外とたやすくなってしまうものです。
すべてが「そういうものだろう」では、危ない
冒頭に「同じような悩みの人は多い」と書きましたが、「5年間、毎日 23 時頃まで残業」という箇所も、いささか心配だと言わざるを得ません(もちろん始業時間にもよるのでしょうけれど)。
そういったところまで、「まぁ、そういうものだろう」とオートマチックに感じるのは、すこし危険です。
「このまま続けていて大丈夫なのか」「自分の属している組織は、健全(合法)といえるのだろうか」 “自分で考える”ことが、難しくなっているとしたら、友人や家族、就労の専門家と、どんなに短い時間であっても話してみてください。
「好き」という難しさ
そのうえでのお話になるのですが、もちろん「好き」なことを、そのまま続けて、それが仕事になれば、言うことはないのですが、個人的には必ずしも「好き」に引っぱられ過ぎることはないと思っています。
様々な人と話していても、「やっているうちに好きになった」「続けていると面白くなった」ということは、とても多いです。
これは、もちろん「今の仕事をがんばって続けてください」という意味ではなく、例えばどのような仕事に転職をしたとしても、「今」そんなに好きになれないとしても、「だんだん手応えを感じ始める」ということがある、ということは頭に入れておいた方がいいでしょう。
同時に「あ、これは自分には無理だ!」「これが自分がしたかったんだ…」と気づけることもあるわけですが、それはむしろ、あまり起こらないレアな出来事のように思います。
同業も色々
少しだけ具体的なことをアドバイスさせて頂くと、あえて今、関わっている「不動産」という業界の同業他社にすこしだけ目を配ってみるのは、いかがでしょうか?
僕のことがどこまで参考になるかわかりませんが(なにせ僧侶ですから)、多くの人から、「お寺って、どんな感じですか?」「お坊さんは、どうしているんですか?」という質問を多く受けます。
しかし言うまでもなく、ほとんどのことが「お寺によって」「お坊さんによって」まったく違います。他のことでもそうですよね?
少し焦点をしぼりながらも、同時にその焦点を押し広げて、「今、自分が立っている場所」を俯瞰してみてください。
「特に不動産営業に興味がない」とのことですから、将来的には転職の可能性もあるでしょうけれど、「その前」にやってみてもいいことのように思います。
「叱ること」の有効性
あなたに贈る仏教語は、「呵責(かしゃく)」です。
「良心の呵責に堪えかねて」という風に使われる言葉ですよね。
この呵責は、「叱りつけて責めること」で、じつは仏典にもよく登場する言葉です。
古い仏典には、僧侶が戒律を破った時の罰として、「みんなの前で呵責を宣言して、その権利を取り上げる」というものがあります。
つまり仏教の中でも「叱ること」ということが、用いられてきました。
私自身は、叱られることも叱ることも苦手で、特に「やり過ぎ」は絶対によくありません。
現代社会では、むしろ「叱ること」の弊害について語られることが多く、無意味な叱責の弊害がクリアになってきました。そしてもちろん「必要な呵責」があるわけです。
あなたの相談を拝読して、「叱ること」の対象が、自分自身に向かいすぎているかも、と思いました。
時には、同級生が輝いてみえることもあるでしょう。「それと比べて、自分は…」という思い。でも相談の文章からあなたが、力いっぱいがんばってきたことが、手に取るようにわかります。
謙遜されていますが、遅くまで働き、それでも現状の自分に対して、論理的に自省の心を起こすことは誰でもできることではありません。あなたはよくやってきました。
だからこそ、組織や他者、社会に対する「ここはおかしいんじゃない?」という外部に向かった「呵責」の気持ちも、捨てきらずしっかりと持ってもいいと思いますよ。
それは、誰かに対する「共感」と同じぐらい大事なことだと思います。
<今日のまとめ>
- 「なにも感じなくなる」は結構、危ない。
- 「今、好きなこと」にこだわりすぎない。
- 「呵責」という言葉から、“叱る”ことの意義を考えてみよう。
直感・運気アップ
いつもより体を少し動かして、よく寝て、大好きなものを食べて、愚痴大会をしましょう。
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この記事を書いた人
- 「ほぼ日刊イトイ新聞」に「坊さん。」を連載。その後、著書『ボクは坊さん。』(ミシマ社刊)が映画化。著書多数。他の連載に「密成和尚の読む講話」(ミシマ社「みんなのミシマガジン」)、「そして僕は四国遍路を巡る」(講談社、現代ビジネス)など。執筆や講演会などで仏教界に新風を巻き起こすべく活動中。趣味は書店で本の装幀デザイナーを当てること。1977年生。
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