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キャリア設計

絶頂期に立ち止まることでWebデザイナーとして道が拓けた

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震災で気付いた「自分自身で納得した仕事に」 現在2児の母であるWebデザイナーの中村さゆきさん。 新卒で素材メーカーに入社してすぐに東日本大震災が起こります。配属先の栃木は震災の影響を色濃く受けます。その影響で仕事も立て […]

中村さゆき

プロフィール

UXライター・Webデザイナー・ウェブ解析士中村さゆき

兵庫県出身。大学卒業後、素材メーカーに就職。モノづくりに興味をもち、日本みやげ店を起業。結婚を機に夫の海外駐在に帯同し中国に移る。本帰国後Web制作を学び、現在は「ことば」と「デザイン」をベースにWeb制作・マーケティング全般を行うフリーランスとして活動中。「よく働き、たくさん楽しむ」がモットー。デジタルハリウッドSTUDIO千葉にてトレーナーとしても勤務。2児(0歳5歳)の母。

震災で気付いた「自分自身で納得した仕事に」

現在2児の母であるWebデザイナーの中村さゆきさん。

新卒で素材メーカーに入社してすぐに東日本大震災が起こります。配属先の栃木は震災の影響を色濃く受けます。その影響で仕事も立て込み、会社と家を往復する日々。頼る知人もいない異郷の地で孤独感を深め、何のために働いているのか目的を見失ったといいます。

その時感じたのは、自分自身で納得した仕事がしたい、という思いでした。

その後転勤も経て、3年で会社を辞め、地元兵庫にUターン。日本の工芸品を扱うショップを開店します。

資金は自己資金の300万と神戸市の助成金を申請、起業家支援の自治体の制度をフルに活用し、26歳という若さでお店をオープンします。

埋もれた日本の名産の魅力を発信し、日本から海外へ出向く人の渡航先のお土産やインバウンド需要も期待し始めました。ネットショップも同時に開設。これも見様見真似で立ち上げたといいます。準備した300万円が溶けていく怖さと格闘しつつ、商店街の繋がりや支えもあり、地域を盛り上げるという信念で続けることが出来たといいます。

2度目の転機は夫の海外転勤、専業主婦へ

彼女のキャリアにまた転機が訪れます。

パートナーの転勤が決まり結婚することに。店を閉め、転勤先である中国へ帯同します。中国へ転居後、第一子も授かり、専業主婦になりました。

起業するバイタリティがある中村さんは、中国でもブログで旅行者向けに地元情報を発信していました。

それでも子どもと過ごす日々を優先し、家族中心の生活に満足もしていました。Webの可能性は自分のやりたいことも家族もどちらも諦めずに、良いバランスが取れるということを感じていました。

未経験ながら受注が絶えないWebデザイナーに

帰国後、本格的にWebを学ぼうとデジタルハリウッドに。受講時から仕事を受注し、その後もリピーターや紹介で営業せず受注が埋まるようになります。

「なぜ未経験で受注が絶えない」のかを聞くと、単発で請負った仕事でも、相手の期待値を超える結果を出すことを意識したり、内容をくみ取り、相手に手間を掛けさせないコミュニケーションを心掛けているといいます。

そんな中村さんも「稼ぎに意識が向いた時期があった」といいます。

独立直後、仕事が舞い込み無理を承知で受けてしまいます。始めたばかりの人が陥りやすい状況で、フリーランスを辞めてしまう人もいるそう。中村さんも時間があればパソコンに向かう状態になっていたといいます。これを断ったら次はない、そんなプレッシャーが襲いました。独立して1年経った頃、仕事は絶頂、収入も一気に増えました。しかし無理をしていたし、長続きはしない働き方だったと振り返ります。

2人目を妊娠し、順調だった仕事の量を見直し立ち止まることを選択しました。収入こそ減ったものの、幸福度はあがったといいます。震災後に感じたあの思いを今一度思い出し、これからは自分が納得した仕事、信頼できるクライアントや仲間との仕事を中心に持続可能な働き方をしたい。家族も自分も幸せであることを目指していきたいと語ってくれました。

取材・文/I am編集部
写真/本人提供

この記事を書いた人

I am 編集部
I am 編集部
「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。

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