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妻が悲鳴「私が私でなくなる」。一度、仕事を辞めてリフレッシュする「キャリアブレイク」を経験した結果

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勤務先を辞めて中長期の「キャリアブレイク」を体験する人は意外と多く、若い世代に限りません。実例をもとに、キャリアブレイクの期間の過ごし方について、識者からヒントをいただきます。

プロフィール

北野貴大

きたのたかひろ 1989年生まれ。大阪市立大学卒。妻のキャリアブレイクをきっかけに2022年10月に、一時的な離職・休職を肯定的に捉える「キャリアブレイク」を文化にする一般社団法人キャリアブレイク研究所を設立。

一時的な離職・休職によるキャリアの中断を意味する「キャリアブレイク」が、今注目されています。この言葉には、単なる「無職期間」ではなく、1つの転機と捉え、その後の人生を実りあるものとする意味合いがこめられています。

キャリアブレイクは欧州発祥の概念・文化ですが、これを日本に紹介する取り組みをしているのは、北野貴大さん。一般社団法人キャリアブレイク研究所の代表理事として啓発活動を行い、今年1月には著書『仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢』(KADOKAWA)を上梓しています。今回は、日本におけるキャリアブレイクの実情と、もし自分がキャリアブレイク当事者となった場合の心構えなど、北野さんに解説いただきました。

商社勤務の妻が限界「少しのあいだ無職になりたい」

総務省によると、毎年約150万人がキャリアブレイクをしており、決して稀有な存在ではありません。北野貴大さんはこれまでに500人以上のキャリアブレイク経験者からヒアリングをしてきましたが。実は北野さんの妻もその一人だったといいます。

「自分をすり減らしながら商社に勤務していた妻は、「私が私じゃなくなる」と心の悲鳴を感じて、「少しのあいだ無職になってみたい」とキャリアブレイク宣言をしました」と北野さんは当時を振り返ります。キャリアブレイクの間は、やりたかったことをやり、行きたかった場所に行き、次の人生を選択するための感性を充電し、納得のいく形で転職を果たしたそうです。

ここで多くの人が抱く疑問が「そんな簡単に転職でできるのか?」。キャリアブレイクを経たあとは転職するパターンが多いと言いますが、最終的に元の会社に復職した人も結構います。

「例えば、テレビ局の報道の分野で働いていた女性のエピソードがあります。激務で体調を崩して休職、「もう、絶対に戻らない」つもりでしたが、体調が回復していくにつれ、各界で活躍している人を取材したり、世の中に必要なニュースを届けることが好きであったことを思い出します。結局、半年ぐらいして復職しましたが、また体調を崩さないよう、上司とも相談しながらバランスの取れた働き方をしています」

会社や仕事が嫌でキャリアブレイクした後、冷却期間をおくことで古巣の良さがわかる、ということも意外と多いようです。

想定外のキャリアブレイクは気持ちを落ち着けるのが先決

しかしながら、キャリアブレイクをする人は毎年約150万人。あらかじめ計画したうえで離職し、留学やスキルアップなど何らかの活動に没頭したいと決めている人ばかりではありません。

「心身の不調や会社の問題で、準備なくキャリアブレイクに突入した方も多くいます。そういう方は、最初は辛いはずです。肉親からきついことを言われるのではないか、周囲の人からどう見られるのだろうか、貯金も減っていくばかりだし、新しい職場が見つかるのかもわからない……。いいようのない焦りや不安がたくさんあると思います」と北野さん。

そういう人こそ「離職期間をキャリアブレイクと認識し、この「文化」に触れてほしい」と語ります。

「特に、キャリアブレイクを経て、人生をいい状態に持っていった人のエピソードを聞くことは大事です。経験者に実際に会ったり、情報を提供してもらうなどして、気持ちを落ち着けるのです。そうやって足元を固めていき、ゆっくり考えられる環境を何とか自分で作っていくのも大切だと感じます」

次のステップが決まっていない中でのキャリアブレイクははやり不安がつきまとうかもしれません。自分一人だけではないということを確認する、先人の話を聞くことで無用な不安にかられることがなくなるのかもしれません。

「そこまでくれば、「ちょっと旅でもしようかな」「講座を受けてみようか」「旧友に会ってみようか」などと、やりたいことが湧き上がってくる」と北野さん。キャリアブレイクそのものもそうですが、キャリアブレイク期間中に実行に移すことで選択肢が広がり、助けてくれる人との出会い、本当にやりたいこととの出合いがあると言います。

「新しい道が見えてくると、希望が湧いて、心も前向きになります。不測の事態でキャリアブレイクをしてしまったら、キャリアブレイクという旗を探してみてください」と北野さん。人生100年時代、今では70歳定年が叫ばれる中、長丁場のキャリアデザインのヒントが少しはあるかもしれません。

この記事を書いた人

鈴木 拓也
鈴木 拓也
都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。

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