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誰も思いつかなかった「既存顧客向けの展示会」。コペルニクス的発想の転換で大成功。アルバイト時代から一目置かれる存在。独立の動機は「会社員でいるより、社長になったら年収4倍」?

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起業の先輩の経験談からノウハウを学ぶシリーズ、今回は会社員時代に新規事業として立ち上げた ライフスタイル業界の合同展示会「MONTAGE(モンタージュ)」を、そのまま独立後も自身の事業として続けている株式会社INITの稲葉健浩さん(40)に話を聞きます。

社内で育てた事業を、自分のものにして独立する。会社員にとって理想とも言えるストーリーを実現できたのはなぜなのか。稲葉さんは「会社員はずっと『いい子』でいる必要はありません。ここぞというときには、信念を押し通してもいいんです」と話します。まず前編は、独立への誘惑と戦いながら、コペルニクス的発想でまったく新しい展示会ビジネスを発案するまでの話を聞きます。

あの有名インテリア雑貨店で見つけた将来の道

少年時代から工作が得意だった稲葉さん。自室には、自ら段ボールで作ったクラシックなプロペラ機の置物を飾っていたといいます。ガンダムやジェット戦闘機じゃなくてプロペラ機というあたりにセンスの片鱗を感じます。

高校卒業後はプロダクトデザインの専門学校に進学。学業の傍ら、人気インテリア雑貨店「FrancFranc(フランフラン)」でアルバイトを始めます。これが一つ目の人生の転機になりました。

「授業で学んだインテリアの基本を接客に生かすことができました。もちろん、部屋を広く見せるためには低い家具でそろえる、床と家具の色合いを合わせるといったごく初歩的な知識しかないのですが、お客様に喜んでいただけたのはうれしかったですね」

週末だけのバイトとは思えない売り上げをたたき出す接客力ともに、周囲の店員たちから一目置かれたのが、商品ラインナップの提案力でした。ベースとなったのは、お客さんとの会話でつかんだニーズでした。「正社員を含めた従業員同士でミーティングや意見交換をする際に、日頃のお客様との会話をもとに『こういう商品を仕入れたら売れるんじゃないか』という提案を積極的にしました」

稲葉さんが提案した商品の売り上げが好調なことを受け、周囲にいる家具販売のプロたちから「稲葉くんはインテリア雑貨を一から作り出す商品企画が向いてるんじゃない?」とアドバイスを受けたといいます。

会社員として大活躍……やがて生まれた独立への思い

「専門学校に進んだ時点ではデザイナーになりたいという気持ちだったのですが、当時のデザイナーはどちらかというとCADやイラストレーターといったコンピューターソフトを使いこなす人という色合いが強くて。僕自身は、たとえば紙に手書きでイラストを描いて、『こんなグラスを作りたい』と提案する仕事の方が魅力的だと感じました。周囲のアドバイスもあり、インテリア雑貨の企画ができる会社に就職しました」

就職したのは、創業から3年足らずと若く伸び盛りのインテリア雑貨メーカー。稲葉さんは自社オリジナルのルームフレグランスブランドを立ち上げて全体売上の3分の1を占める規模の事業に育てたり、有名アーティストや世界的自動車メーカーのキャンペーングッズを企画したりと、様々な仕事を手がけます。

「本当に何でもやりました。製品ができあがるまでは工場に行って現場の人と何度も打ち合わせますし、100軒ぐらいのお店の営業も担当していたので、そこに商品を売り込んだり、請求書の発行までもしていましたね」

ここでも、大切にしたのはバイト時代と同様、顧客としっかり会話し、ニーズをくみ取ることでした。消費者が何を求めているのか、クライアントが何を訴えたいのかを把握して、それに合った商品を企画・提案する。稲葉さんは次々にヒット商品を生み出したり、大企業とのコラボを成功させたりと会社員として活躍の場を広げていきました。

結局会社には12年間勤めることになりますが、実は入社6、7年目のころから、「このまま会社員を続けていていいのか?」という思いと闘い続けていたといいます。

「会社に迷惑がかかる」と退職に踏み切れず

きっかけは、取引先の中小企業の経営者たちとの日常の会話だったり、食事に行ったときにかけられたりした言葉でした。

「社長さんたちから、『今と同じ仕事をして会社員のままでいるより社長になった方が年収が3~4倍になるぞ』と言われたこともありますし、『独立したら自由だぞ』そして『買い付けや視察で海外に出張に行ったとき昼からホテルのラウンジで海を見ながらうまいワインが飲めるぞ』なんて言われたこともあります。えー、いいなぁって感化されてました。最初はけっこう不純な動機でしたね(笑)」

それでも当時の稲葉さんが独立に踏み切れなかった理由は、大きく三つありました。

「最も大きかったのは、辞めたら会社に迷惑がかかるという点でした。大きな会社ではないため、実際に会社のスタッフが辞めたときには、売り上げへのダメージがあった。自分が辞めたら会社が困るなと思っていました。二つ目は、権限の大きさ。自分の決定で億単位というビジネスを動かせるのはおもしろかった。そして三つ目は、仮に失敗しても自分が借金を背負うわけじゃないというリスクの小ささですね」

「大展示会への出展こそ正義」 会社の方針に疑問

悩みを抱えながらも会社員を続ける稲葉さんでしたが、入社8年目の2012年、ついに後に起業のタネとなる展示会事業を立ち上げることになります。

稲葉さんが勤めていた会社は、受注拡大の機会として、東京ビッグサイトなどで開かれる大規模な展示会への出展を重視していました。創業から間もなく知名度が低かったころは、そのような大規模展示会で多くのバイヤーたちの目に触れることで、ぐんぐんと販路を拡大する効果があったといいます。

ただ、稲葉さんが出展に関わるようになった時期には、その効果は大幅に薄れていました。

「来場するバイヤーのうち、5割ぐらいはすでに取引がある相手になっていました。実際にうちの出展ブースを訪れてくださるお客様のうち新規顧客は1~2割程度。ほとんどを占める既存顧客は、新規の仕入れ先を見つけるのが主目的で来場しているので、うちのブースで新商品に興味を持ってくれても『時間がないから今日はごめんね。また商談に来てね』といった対応です。これはもう完全なミスマッチで、うちにとってもバイヤーさんにとっても、コストと効果が見合わないのは明らかでした」

誰も思いつかなかった「既存顧客を呼んで自分で展示会を」

展示会立ち上げの4年前にあたる2008年、稲葉さんはコペルニクス的な発想の転換を思いつきます。「全体の1~2割しかいない新規顧客をターゲットにするからミスマッチが起きる。実際には既存顧客がメインなんだから、自分たちで既存顧客向けの展示会をやればいいんだと考えたんです」

ちょっと待って、それって単なる自社の新商品発表会では……? 「そうだとしても、うちの商品に興味があるバイヤーさんから見ると訪れる価値があるはずです。また、うちだけでなく複数の会社が合同でやることで、より一層、バイヤーのみなさんが来たくなる展示会になると考えました」

稲葉さんはまずは同業の2社に声をかけ、自分の会社のショールームで初めての3社合同展示会を開きました。業界でも目新しい取り組みとなり、バイヤーたちからは大好評。3日間で約100社が来場し、結果としてその3割は新規の取引先だったといいます。

3社それぞれが自身の既存顧客を呼んだところ、他の2社にとってはその一部が新規の取引先だったことから、売り手・買い手双方にとって大きなメリットがあったのです。

「評判を聞きつけた会社が参加がどんどん参加するようになり、2012年からは今につながる『MONTAGE』というイベント名で年間4回の開催になりました」。ただ、会社の役員からは、必ずしも歓迎されていなかったといいます。

イベントが急成長するなかで生じ始めた会社との意見の食い違い、そして退職に至るお話は、後編で。

先輩起業家Profile

稲葉健浩
(いなば・たけひろ)
INIT株式会社C E O。ライフスタイル関連のプロダクツを中心としてBtoB見本市リアル/オンライン「MONTAGE(モンタージュ)」を運営するほか、インテリア商品、キャンプ用テントなどオリジナル商品も開発、販売。2023年より新規事業でオンライン展示会システムを立ち上げる。自動翻訳機能を備えた海外向けにも公開できる仕様で、秋から本格運用の予定。日本と海外のマーケットをつなぐ橋渡し役として注目され、米オレゴン州やポートランド市が主催するウェビナーの講師としても登壇。

【後編はこちら】

この記事を書いた人

華太郎
華太郎経済ライター
新聞社の経済記者や週刊誌の副編集長をやっていました。強み:好き嫌いがありません。弱み:節操がありません。

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