Interview
インタビュー

「好きなことを捨てる」八代亜紀の仕事論。バスガイドから歌手へ。鳴かず飛ばずで、死ぬ気が挑んで勝ち取った「なみだ恋」から50年。

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「歌手になりたい」という夢を諦められなかった八代亜紀さんが挑んだ「全日本歌謡選手権」でグランドチャンピオンになれた理由を語り、諦められない夢を持つ人たちへのメッセージを紡ぎます。

プロフィール

歌手八代亜紀

熊本県八代市出身。1971年にデビューし、1973年に出世作「なみだ恋」を発売。「愛の終着駅」「もう一度逢いたい」「舟唄」等のヒット曲を出し、1980年に「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞・大賞を受賞。

バスガイドから歌手への夢を叶えた八代亜紀さんが、出世作「なみだ恋」から50年の今年3月にシングル「想い出通り」をリリース。歌い手として、画家として、活躍し続ける八代さんが、夢を追うことや元気の源について語ってくれました。

キャバレーのバイトがバレて勘当。歌手を諦められずに単身上京

地元の中学校を卒業後に、バス会社に就職し、ガイドとして仕事を始めました。でも人前で話すのが苦手で、苦痛でね。ガイドを辞めてキャバレーで歌っていたのがバレたときには、父親に勘当されました。でも、「歌手になりたい」という夢を諦められなくて……。熊本から上京して、銀座のクラブシンガー時代にスカウトされ1971年にデビューしたんですが、鳴かず飛ばずで、売れなくて……。

22歳のときに、アマチュアとプロ歌手が参加する「全日本歌謡選手権」にエントリーしました。10週勝ち抜くとグランドチャンピオンになれるのですが、プロに向けられる目は厳しくてね。歌手として生きていくことを諦めるのか、歌い続けてもいいと評価してもらえるのか、自分を試そうと思いチャレンジしました。幸い10週勝ち抜くことができて、「なみだ恋」のヒットにつながりました。好きなことを捨てる覚悟で、死ぬ気でやったことで、道をひらくことができたんだと思います。

「大好きなこと」でも、ときには手放すという選択も必要

大好きなことだけど、うまくいかないこともあると思うの。私もそうだったから気持ちはよく分かります。自信をなくしそうなときは、ちょっとだけ踏ん張ってみて、でもダメだったらけじめをつけることも必要です。「好き」が執着になっていると感じたら、次に行く勇気も大事です。恋愛だってそうなんじゃないかしら。新しいことに目を向けると、それまで視界に入らなかったことに気が付くことだってあるし、違う世界の人と出会える可能性だってある。手放したことで、つかめるものもあると思います。

歌は命、絵はそれを支える精神。「好きなことを仕事にする」ための両輪

父が買ってきたジュリー・ロンドンのLPのジャケットを目にしたとき、「何てカッコいいんだろう」と感激して、歌手という仕事にあこがれを抱きました。小学校5年生のときです。歌手になってからずっと歌い続けて、喉を酷使しているので、私にとって歌うことは肉体労働でもある。でも歌わなくなってしまったら、八代亜紀ではなくなってしまう。私にとっては命のようなものです。そしてその命を支えているのが、絵を描くこと。絵を始めたのも、父の影響なんです。野の花や一緒に暮らしている保護猫たちを描いていると、時間を忘れてしまいます。絵筆をにぎって没頭している時間は、喉を休めることができるので、歌うこと、絵を描く時間。両方があって、いまの私があると感じています。

周りの人の笑顔と「ありがとう」が支え

元気の源はと聞かれたら「周囲の人の笑顔」と応えています。元気ももらうし、笑顔に支えてもらっています。歌い続けて50年以上。大好きな歌を歌えることはもちろん、歌うことで「ありがとう」と言ってもらえることもうれしい。いつも元気をもらってばかりなので、今度は私から「ありがとう」を言おうと、少し前から「八代亜紀コンサート~ありがとうを 私から~」と題したコンサートを企画して、全国を回っています。全国の方と「ありがとう」を交換することが、今の私の目標です。

2023年3月15日にリリースした「想い出通り」

取材・執筆/翡翠
編集/MARU

この記事を書いた人

翡翠
翡翠執筆・写真
音楽や映画、舞台などを中心にインタビュー取材や、レポート執筆をしています。強み:相手の良いところをみつけることができる。弱み:ネガティブなところ。

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