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独立起業の先輩たちからノウハウを学ぶ#04〈起業家・亀岡利寛さん/前編〉会社員として働き続けても「やりたいことが見つからない」と起業を決意。考え抜いた末に気づいたのは「起業とはどんな課題を解決するか」

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起業の先輩たちからノウハウを学ぶシリーズの第4回は、亀岡利寛さん(41)。「自分が決めたことをやっていきたい」と起業を決意し、民間学童保育サービス「ラボアンドタウン」を起業。前編では、起業すると決めてから起業するまでの道のりを聞きながら、成功の秘密を探ります。

先輩起業家Profile

亀岡利寛(かめおか・としひろ)
株式会社ラッキーモンスター代表取締役。ナチュラルおやつ「BuddyNuts(バディナッツ)」の販売事業を手がける。大学卒業後は総合人材サービス企業へ入社。2013年4月から民間学童保育を運営し東京都内3校に拡大。2020年7月からナチュラルおやつという新たな世界への挑戦を始めている。

がんばりきれず中途半端だった学生時代

 亀岡さんは2013年に東京ではほとんど例がなかった民間の学童保育サービスを立ち上げ、祖師谷大蔵校、成城校、千歳船橋校の3拠点で計800人超の会員を抱えるまでに成長させました。順風満帆に見えた経営者人生でしたが、2020年社長を辞任。再びゼロから、人々のウェルビーイングのための、ナチュラルおやつを販売する事業を始めました。

 驚きの決断を導いたのは、起業を目指し始めた大学時代から抱えていた、ある葛藤でした。

「中学時代からラグビーをやっていたのですが、がんばりきれずレギュラーには手が届かず、大学ではラグビー部ではなくラグビーサークルに入るなど、どこか中途半端で……。思えば勉強も中学時代は得意だったのに、高校では周囲のもっとできる人たちを見て『あぁ、自分はダメだ』とあきらめてしまうなど、自分自身を信じ切れないまま大学卒業を迎えようとしていました。就職活動を控えて自分を見つめ直したことでそれに気づき、社会人になったら自分を変えたいと思ったんです」

 当時は堀江貴文さんらIT起業家に注目が集まり、学生の間でも起業熱が高まっていた時代でした。

「誰かに言われて仕事をするのではなく、自分が決めたこと、信じたことをやっていきたいという思いを強く持ちました。頑張りきれないという自分の弱点を克服するためにも、起業すれば、自分を逃げられない状況に置けると思ったんです」

仕事に打ち込みつつ感じた疑問

 とはいえ、学生時代に起業できる人はごく一部。亀岡さんも「まずは就職して、自分やりたいことを探そう」と就職活動を始めます。そして就職先に選んだのは、創業から数年という新興の総合人材サービス会社でした。

「そもそもリクルートやインテリジェンスといった大手を辞めた人たちが起業した会社だったこともあり、企業訪問で話を聞いたときも『うちは起業する人が多いよ』と紹介していただいたのが魅力でした。実際に働いてみても、先輩や上司の半分ぐらいは起業したと思います」

 就職後は営業や新規事業開発の仕事に打ち込んだ亀岡さん。仕事のスキルを磨き、週に3日は会社に泊まり込むなど、忙しいながらもやりがいを感じて働いていました。ただ一方で、自分自身のことを考える余裕が全くない日々に疑問を感じ始めたといいます。

「このまま全力で走っていても、自分のやりたいことって見つからないなと思って。働いているうちに何か起業のタネが見つかればと思っていたけど、会社だって、入社数年の若造に簡単にそんなもの見せないよなぁと思い、3年で退職することにしました。今思うとこのときに見聞きしたことが後に起業するビジネスの核になったのですが、このときはまだ自分で気づけていなかった」

新卒3年で退社しあてなき浪人生活へ

 亀岡さんは手がけていた新規事業が黒字化したのを機に、勤め先を退社。このときはまだ、後の起業につながるヒントを見逃したままでした。そして、会社員時代にはできなかった「自分のこと考える時間」を作るため、なんと再就職先は探さず、浪人生活を始めます。

「3月末で退社して、4月から本当に何の予定もない状態で。貯金は100万円以下しかなかったので、家賃を払っていたらすぐにお金がなくなるのはわかっていたのですが、まぁ、何とかなるだろうと。若かったですよね(笑)」

 自分のことを見つめ直し、起業のネタを探そう。そう決意した亀岡さんは学生時代や会社員時代の友人、先輩らを次々に訪ね、食事をおごってもらったり、家に居候させてもらったりしながら会話を重ねました。上海に移住した友人の家には約2カ月も滞在し、発展し続ける上海の勢いを目の当たりにして刺激を受けたといいます。

「起業とは?」人生を変えた気づき

 タダ飯と放浪の毎日を送り、すでに起業した先輩たちからも数多く話を聞く中で、亀岡さんは今後の人生を一変させる重要な気づきを得ます。

「起業って、どんな課題を解決するかなんです。そして、その課題は、自分が知っていることの中から探すしかないんだなって」

 自分が知っている課題って何だろう--。新たな目で自分の人生を振り返ったとき、よみがえってきたのは人材派遣会社時代、転職先を紹介した人たちから幾度となく受けた相談でした。

「転職する女性のほとんどから相談されたのが、『出産しても働きやすい職場かどうか』という点でした。当時は大企業でも、時短勤務や育休がまだまだ浸透しきっていない時代で、仕事と子育ての両立が働く人々にとってとても大きな課題だったんです」

会社員時代×少年時代の経験生かす

 自身の経験から見つけた課題を、どう解決するか。まず考えたのは保育園。ただ、施設、人員、許認可などなど参入障壁がものすごく高い。そこではっと思いついたのが、小学校を下校したあとの児童を預かる学童保育でした。

「当時、東京には民間の学童保育施設が少ししかありませんでした。調べてみたら、許認可などの問題も何とかクリアできそうで、これはいけるんじゃないかと」

 もう一つ、自身の少年時代の経験もこのアイデアを後押ししたといいます。

「実は僕自身、母が保育士で忙しかったため公立の学童保育に通っていたのですが、あまり楽しくなくてすぐに行かなくなってしまった経験がありました。調べてみたら、公立小学校の学童保育はその頃とまったく変わっていなくて。民間ならではの、子ども自身が楽しくて、毎日行きたくなるような学童保育をつくれば、きっと社会的ニーズがあると確信しました」

 民間の学童保育サービスを起業する。そう決意した亀岡さんは、まず現場での経験を積むため学童保育でアルバイトを始めます。さらに、小学生とふれあう経験のために、学習塾でも働き始めました。

成功の秘密はデータ駆使した開業地選定

 ついに明確な目標を見つけ、準備をスタートした亀岡さん。

「問題はどこで開業するか。学童保育のニーズがあるのは子どもが多く、共働き世帯の多い地域です。最適な場所を決めるため、国勢調査をもとにした人口分布図や小学校の所在地データを使い、都内の地域ごとの子どもの数を算出ししました。さらに世帯ごとの可処分所得、核家族の比率、待機児童数のデータも組み合わせることで、共働きが多く、多少お金を払っても学童保育を使いたい家庭が多い地域が見えてきました」

 そうして導き出した開業の地が、世田谷区の祖師ケ谷大蔵でした。2013年4月、30歳にしてついに民間学童保育をスタート。スタート時の登録者は15人でしたが、年度末には100人に拡大。次年度も定員いっぱいの盛況が続き、2年目から黒字化することが出来ました。15年には成城校、18年には千歳船橋校を設立し、総会員数は700人超に。亀岡さんは安定した経営者の立場を手に入れました。

「教育方針は『強い個を作ることで、可能性に挑戦する』。中途半端でがんばれなかったかつての自分自身への反省と、その後の経験も反映しています。子どもが毎日行きたくなる場所になること、そして、保護者のみなさんが『通わせてよかった、ありがとう』と感謝してくれるのが本当にうれしくて」

突然の辞任の原因は自分への疑問

 ところが会社設立後、9年目の2020年7月、38歳になった亀岡さんは突然、社長を辞任します。会社の業績も好調で、周囲からは何の問題もなさそうに見える経営者人生を送っていた亀岡さんですが、胸には学生時代に起業を目指したときの「あの思い」がよみがえっていました。

「誰かに言われて仕事をするのではなく、自分が決めたこと、信じたことをやっていきたい。そのために起業したはずなのに、今の自分は本当にそれができているのかなと。そして、自分自身が可能性に挑戦するということを体現できているのか、ということに疑問を感じてしまったんです」

(後編はこちら)

この記事を書いた人

華太郎
華太郎経済ライター
新聞社の経済記者や週刊誌の副編集長をやっていました。強み:好き嫌いがありません。弱み:節操がありません。

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