Interview
インタビュー

「99歳まで生きるつもり」の東儀秀樹の焦らないマインドの作り方と挫折しない仕事論。

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人生の中で焦ることも、挫折を感じることもないと言い切る東儀秀樹さん。雅楽で様々な栄誉を手にしながら、今後は音楽家にとどまらず自身を変えていく可能性さえあると話します。

プロフィール

雅楽師東儀秀樹

1959年生まれ。高校卒業後宮内庁楽部に入り、篳篥(ひちりき)を主に、琵琶、太鼓類、歌、舞、チェロを担当。宮中儀式や海外での演奏会に参加する一方、ピアノやシンセサイザーとともに雅楽の持ち味を生かした独自の曲の創作にも情熱を傾ける。1996年デビューアルバム「東儀秀樹」で脚光を浴び、2000年「TOGISM2」で日本レコード大賞企画賞を受賞。著書に『すべてを否定しない生き方』『雅楽:僕の好奇心』など。

奈良時代から続く雅楽師の家に生まれ、新たな音楽に挑戦し続ける東儀秀樹さん。余命1年の宣告を乗り越え、後悔することも、焦ることも、挫折することもないという独自の仕事論を語りました。

恵まれた環境を「当たり前」と思わない

好きなことが仕事になっているので、生きるため、食べて行くために仕事をしているという意識を持ったことは1度もありません。でも、好きな仕事を続けていくためには僕だけが頑張ってもダメ。家族やスタッフなど周りの人たちに支えてもらえているから今があります。仕事について考えるときはいつも、僕が置かれている状況は当たり前のことではないとしみじみ思うんです。すごく恵まれているし、縁が繋がっていることにも感謝しています。

全てを受け入れ「Let It Be(なるようになる)」

よく「あのときこうしていれば」と口にする人がいますが、時間を巻き戻すことは誰にもできないですよね。後悔するよりも、起きた現状を全部受け止めて、楽しいことにつながる道を考える方が良いと思っています。なるようにしかならない。僕がザ・ビートルズの「Let It Be(レット・イット・ビー)」という曲が好きな理由もそこにあります。

「余命1年」でもコロナ禍でもワクワク探した

挫折って、周りがうまくいっているのに、自分だけがうまくいっていないなど周囲と比較して落ち込んだりすることですよね。コロナ禍で決まっていた公演や仕事がキャンセルになったときは、1番ワクワクして楽しいと感じるライブがなくなってしまいましたが、みんな同じ状況でしたから、今できることをやろうとすぐに頭を切り替えました。僕は25歳のときに病で「余命1年」と宣告されたことがあったのですが、そのときでさえも、悲観的にはならず、「残されたあと1年を楽しんでやろう」と考えていました。置かれた状況の中で、ワクワクできることを探す方が、悩み続けるよりもずっと良いと思います。

死ぬときは「陶芸家」かも? 変化を楽しむ人生

目標を持っていると、うまくいかなくなったときに焦りますよね。どんな状況でも、自分が最善だと思う選択ができるのが人生。僕は常に未知の自分に出会いたいと思って動き続けています。僕は今60代ですが、99歳までは生きようと思っているので、あと30年以上あります。現在の肩書は「音楽家」ですが、陶芸や絵を描くことに興味を持ったとしたら、僕ならば今の年齢からでもその道を究めることができる。人生を終えるとき、そちらの方が、音楽家よりも名が知れるようになっていたら、“陶芸家で音楽もやっていた東儀秀樹”と肩書が変わりますよね。これからも変化する自分を楽しんで生きたいです。

医者も絶賛する「体形変わらず老け込まない理由」

どんなときも楽しんで生きようという思考は生まれつきです。「プラス思考で、人生を楽しむ天才だね」と言われるけれど、プラス思考って考える人は実はネガティブなんじゃないかな。僕は、そんな思いもわかないくらい、毎日を楽しく生きている。いつも身体を動かしていないとダメな性格なので、アンプ作りでは手をケガしてしまうハプニングもありましたが、常に新しい可能性について考えていたい。特別なことをしていなくても体形を維持できていたり、老け込んだりしないのは「常に脳をフル回転させているから」だって医者が言っていました。頭を使い続けていると、代謝が良くなるみたいです。

「これからも変化する自分を楽しんで生きたい」

取材・文・写真/翡翠
編集/MARU

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