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白川密成のお悩み駆け込み寺 僕にもわかりません好きなことを仕事にすると嫌いになる?楽しめなくなった時にするべきこと

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読者から寄せられた働き方や仕事のお悩みに白川先生がお答えする癒しのコーナー【白川密成のお悩み駆け込み寺― 僕にもわかりません―】

白川密成

プロフィール

四国第57番札所栄福寺住職白川密成

住職。「ほぼ日刊イトイ新聞」に「坊さん。」を連載。その後、著書『ボクは坊さん。』(ミシマ社刊)が映画化。著書多数。

++ 今日のお悩み ++
36歳 女性 音楽関係 フリーランス
今年ももう終わってしまいますね。私はフリーランスで音楽関係の仕事をしていて、もう6年になります。この季節になると、今年の仕事の振り返りをノートに書くようにしています。ふと昔書いた振り返りを読んでいて、気がついたことがあるのです。フリーランスになったばかりの頃の私は、音楽を仕事にできて、大変だったけれど楽しくて仕方がなかった。好きで始めたはずの仕事。しかし、本来好きだったはずの音楽が、今楽しいと思えなくなってしまっているのです。好きどころか、もう嫌いと感じる瞬間もある……かもしれません。純粋に趣味として音楽を楽しんでいた頃が懐かしく、その頃に戻りたいと思いつつ、もうあんな風に音楽を楽しめないだろうと思うのです。「好きを仕事に」は、素敵なことですが、仕事にするとどうしても嫌いになるリスクもあること、このことについて、何かお言葉頂けないでしょうか?

白川先生からあなたに贈る言葉
「従善如流」

この悩みは、多くの人に起こり得ること

そうですね。やはり「好きを仕事にする」ということは、喜びばかりでなく、「昔はもっと純粋に好きだったのに・・」という思いにかられることもあると思います。僕自身も、本を書く僧侶ですから、子供の頃から文章を書くことが好きでした。しかし二冊目の本を準備している時に、なにも手に付かなくなって、奇特な出版社が、「原稿を書けない密成さんを応援しよう」というイベントまで開催してくれたことがありました。あなたが経験していることは、多くの方にあり得ることだと思います。

“仕事以外”に「不思議な充実感」があるものと出会う。

まずは最近の経験から、思ったことがあります。僕の知人で、仕事のことで悩みが多く、頻繁に相談を受けることが多かった人がいました。彼が久しぶりにお寺に来て、話していると、たしかに今までと同じような悩みはあるのだけど、なにか雰囲気や態度、言葉に余裕があるんですよね。


「困った、困った、どうしよう」といった感じから、「まぁ、たしかに壁ですけど、突破するべき壁だと思います」といった調子です。よく話を聞いてみると、「仕事」以外で、はまって夢中になっていることがあることに気づきました。


あなたも音楽関係の仕事ということで、なかなか時間のやりくりが難しいかも知れませんが、「仕事」以外に、「思わず夢中になってしまう」「不思議な充実感がある」というようなものがあってもいいように思いました。そうすることで、もしかしたら「音楽」に対して、少し「必要な余裕」のようなものが、芽生え始めるように思います。


僕も年齢が十代、二十代の頃にが、そういうものが自然と見つかっていたのですが、その後は、「ある程度、意識的に」そういことを、念頭に置いていたほうが出会いやすいようです。音楽と並行に進めている、大事なものがあれば(もしくは増やせば)、あなたにとって「本丸」である、音楽との接し方にも変化が生じ、新しい距離感のようなものが、見えてくるかも知れません。

「ひとまとまりの時間」を用意する。

次にお聞きしたいと思ったのは、「細切れの時間が増えすぎていないですか?」ということです。動画コンテンツや他のメディアの増加もあり、今までに較べると明らかに、「時間」の区切りが短くなっているように感じます。これは、「音楽」と接するうえでも、あまり適さないシチュエーションが多いようです。


用意できる「ひとまとまりの時間」というのは、人によって、差がありますが、今までよりも「長いひとまとまりの時間」、音楽に「どっぷり」と浸る、ということも、とても大事なことのように思います(既にそうされていたら、ごめんなさい)。


僕自身も「ひとまとまりの時間」を大切にしていますが、その時に、大事にしていることは、その「決めた時間」の中では、「他のことを始めない」ということです。「やるべきこと(あなたにとっては音楽)を始める気がしない」というのは ok。よくあることです。でもその時に、退屈だとしても、メールを読んだり、動画を見たり、「他のこと」をはじめない。


「なにもしない時間」をたっぷり味わう。これは、僕が本を書く時などに使っている方法で、わりにおすすめです。

仏教やお寺においても、「日々こそが修行」と言いながら、やはり「道場での集中的な修行」というものが、大事にされるのは、その「他のことをしない」ということの意味と効果を知っているからのように思います。

「従善如流」

あなたに贈る言葉は、「従善如流」です。書き下すと「善に従うこと流るるが如し」と読み、じつはこれは仏教語ではなく、魯の左丘明著と伝わる『春秋左氏伝』にみえる言葉です。
なぜこの言葉を知ったかと言うと、先日、あるお坊さんから、小さな袈裟をプレゼントして頂いて、その裏側にこの言葉を筆で書いてくださっていたからです。意味は、「善と知れば、それに従うことが少しも滞ることが無く速やかであること」となりますので、「仏教的」な雰囲気は持った言葉であると思いますので紹介します。


この言葉から、3つ目のアドバイスなのですが、どの世界にも「興味や情熱を失っていない人」というのがいます。あなたの関わっている世界でもおられるのではないでしょうか。
それが実際に知っている人であっても、作品やドキュメンタリーから知る人もいるでしょうけれど、そういった人が、「なぜそうあれるのか?」を少し考えたり、感じたりしてみてください。会える人なら、食事でも囲みながら悩みを打ち明け、作品のみから知る人であれば、その人の書いた物や関わった作品に、繰り返し触れてみてください。

「音楽」というのは、オリジナリティーが求められる世界でしょうけれど、時に、「自分」という枠をはずして、好きな人や憧れの人に「従って」みるというのも、おすすめの態度です。

【今日のまとめ】

・音楽以外で、不思議な充実感があるものを意図的に探す。
・「細切れでない」時間を意識して、音楽に触れる。
・“モチベーションを保っている人”と話したり、作品に触れる。

【直感・運気アップ】

・知り合いで仕事の参考にしたい人を思い浮かべ、3人と実際に会いましょう。分野に限らず大好きな人のドキュメンタリーを3作品、観てみましょう。

この記事を書いた人

白川密成
白川密成四国第57番札所栄福寺住職
「ほぼ日刊イトイ新聞」に「坊さん。」を連載。その後、著書『ボクは坊さん。』(ミシマ社刊)が映画化。著書多数。他の連載に「密成和尚の読む講話」(ミシマ社「みんなのミシマガジン」)、「そして僕は四国遍路を巡る」(講談社、現代ビジネス)など。執筆や講演会などで仏教界に新風を巻き起こすべく活動中。趣味は書店で本の装幀デザイナーを当てること。1977年生。

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