額賀澪のメシノタネ小説家と生しらす丼――フリーランスは割とすぐピンチになる
小説家・額賀澪が「好きなことを仕事にする人たち」をテーマに書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#12のテーマは、「フリーランスのリスクヘッジ」です。
読者の皆様、あけましておめでとうございます。2024年も「メシノタネ」をどうぞよろしくお願いいたします。
こんな新年のご挨拶をしていますが、このエッセイを書いている私はまだ2023年にいます。
2023年を振り返ってみると、真っ先に「いろんなトラブルの話を聞いたな……」という感想が思い浮かびました。
せっかく書いた原稿が出版社の判断でボツにされたとか、順調に進んでいたはずの企画がよくわからない理由で突然立ち消えになったとか。
それだけ出版業界にとって苦しい1年だったということなのか、もしくはたまたま私にそういう話が頻繁に聞こえてきただけなのか。
どちらにしろ、フリーランスとして仕事をしていると、そういう「唐突に仕事が消える=それまでの労働が無駄になる」というピンチがいつ自分に降りかかってもおかしくないと常々思います。
例えば先日、知り合いの作家Aさんと二人で江の島に取材にいったのですが――。
*
私もAさんもたまたま江の島近辺を舞台にしようとしている企画があって、「せっかくなら一緒に取材に行こう」ということになったのです。
片瀬江ノ島駅から江の島大橋を渡って、弁財天仲見世通り、江島神社、サムエル・コッキング苑、シーキャンドル、稚児ケ淵とお馴染みの観光スポットを巡り、一番見たかった住宅地もぐるぐる歩きました。
観光客が多いスポットはネット上にいくらでも写真があるんですが、住民が普通に暮らしている場所は現地に行かないとなかなか情報が得られないんですよね。
「この取材にかかったお金、無駄にならないといいなあ……」
Aさんがそんなことをぼやいたのは、江の島の奥地にある磯料理のお店「魚見亭」で昼休憩をとっているときだった。
その日は猛烈に天気がよくて、魚見亭からは富士山がよく見えた。
注文した生しらす丼(カニのお味噌汁つき)が太陽の光でキラッキラに輝いていた。その日の朝に獲れたしらすを使っているだけあって、一匹一匹にものすごく弾力があって、ほんのり甘い。
「Aさん、そんな悲しい話をしないでくださいよ」
「でもさあ、東京から江の島だから交通費はそんなにかからないけど、それでも1件取材に行くだけでそれなりの出費じゃないですか。で、もしこれが本にならなかったら、我々の取材は無駄になるわけです。額賀さんと二人で江の島観光に来ただけになります」
このエッセイでも何度か書いているが、作家は自分の書いた原稿が本になったり雑誌に掲載されたりして初めて報酬を得られる。
1年がかりで取材をした企画があったとして、もしそれがどこかのタイミングでボツになっても、1年分の取材費は返ってこない。その企画にかけた時間も、当然ながらタダ働き扱いになる。
ときどき出版社が取材費用を出してくれることもあるのだが、毎度ではない。基本的に作家は自腹で取材をし、自腹で資料を集め、原稿を書く。原稿が無事世に出ることで、やっと労働時間がお金に替わる。
そんなわけで、こうして楽しく江の島を取材して生しらす丼を食べていても、頭のどこかに「この取材が無駄にならないといいなあ……」という心配がつきまとうのである。
「とりあえず、このあと弁財天仲見世通りで今回の企画の担当編集にお土産を買いましょう。できれば担当だけじゃなくて編集部全体にも」
生しらす丼を掻き込みながら私は提案した。
取材のお土産は日頃の感謝の印であり、ついでに言えばアピールである。「この作家はこの企画のために自腹で取材に行っている」と印象づけるのだ。
編集部全体へのお土産を用意することで、編集長や他の編集者に「額賀澪は今、江の島を舞台にした企画を進めています」と周知できるわけだ。
これは広告代理店に勤めていたときに嫌というほど学んだことなのだが、影の薄い企画ほどボツが発生しやすい。
偉い人が詳しくチェックすることなくなあなあでOKが出てしまった案件や、周囲の人が「え、そんな企画が進んでたの?」となるような案件は危険だ。
だから、自腹取材にはお土産なのである。できるだけ多くの人に「こういう企画を御社で進めてますよ~」とアピールすることで、自分の企画を「影の濃い企画」にするのだ。
「なんてみみっちい策略だ。クリエイターらしくない」と思う人もいるかもしれないが、クリエイターであると同時に我々は社会人なのである。
みみっちいことでも仕事をスムーズに進めるために大切なことは徹底してやるのが社会人である――ということを学べたのが、兼業作家として会社勤めをしていてよかったことだと今は心底思っている。
「お土産だけじゃなくて、有事に備えてボツにされた企画を持ち込む別の出版社も考えておいた方がいいですよね」
私と同じように生しらす丼を食べながら、Aさんは声を潜めた。さすがに側のテーブルに出版関係者がいるなんてことはないだろうが、こういう話題はどうしたって声を潜めてしまうものだ。
私も自然と声のトーンを落とした。
「いっそその出版社宛にもお土産買っていった方がいいですよ。有事の際に『あのときお土産をお渡しした江の島の企画が他社でボツになったんですけど、見てもらえませんか』という話ができるから」
A社と進めていた企画がボツになった。このままでは企画にかけた時間や労力が無駄になってしまう。ならばB社に持ち込んでみよう。
こういう対応をするには、いろんな会社に信頼できる担当編集者を持っておく必要がある。
ひとつの会社、ひとりの編集者としか仕事をしていないと、万が一その会社・編集者に梯子を外されたとき、途方に暮れることになる。
だから、複数の会社に信頼できる担当編集者を作る――ということを、作家生活が5年目に入る頃から意識するようになった。尊敬する先輩作家の本にそう書いてあったのだ。
フリーランスはちょっとのことでピンチに陥るから、とにもかくにもリスクヘッジが大事。
取材とはまったく関係ないことをしみじみと実感しながら、私とAさんは担当編集者へのお土産を買うために弁財天仲見世通りへ向かった。
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この記事を書いた人
- 小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。
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