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額賀澪のメシノタネ小説家と抹茶葛ねり――趣味が仕事になったら趣味がなくなった

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小説家・額賀澪が「好きなことを仕事にする人たち」をテーマに書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#12のテーマは、「好きを仕事にしたら趣味がなくなる?」です。

 作家として取材を受けるとき、ものすごく答えに困る質問がある。

 新作の手応えは? 執筆のきっかけは? どんな人に読んでもらいたいですか? そんな質問ならいくらでも答えられる。

 私が一番恐れているのは、「趣味はなんですか?」だ。

 答えたところで、それが記事になることなどほとんどない。取材される私も承知しているし、取材する記者やライターだってもちろんわかっている。

 記事のメインは本の話題だから、作家の趣味なんてのは取材を和やかに進めるための世間話のようなもので、別に大真面目に答えるものでもない。

 ――なのだが。

 私はいつも「趣味はなんですか?」という質問に「……ないです」と絞り出してしまうのである。

 本当に趣味がないのだから困る。

  *

 例えば子供の頃、趣味といったら読書と小説を書くことだった。大学生になり、就職活動が始まった頃、「読書は社会人として常識なので趣味にならない」という謎の風潮により、趣味は小説を書くことのみになった。

 ちなみに、就活の面接で「趣味はなんですか?」と質問されても「小説を書くこと」と答えない方がいいと、私は死ぬまで声高に言っていきたいと思っている。

 答えたところで全く盛り上がらないし(私は面接官から本気の「ほーん……」を食らったことがある)、なんなら触ると面倒なやつ認定をされて終わりである(私は面接官から本気の「なかなか痛い趣味ですね」を食らったこともある)。

 そんなこんなで就活を乗り切り、広告代理店に入社して社会人になった私の趣味はまだ辛うじて「小説を書くこと」だったのだが、念願の作家デビューを果たしたことで「小説を書くこと」は仕事になった。

 ついでに読書も見事に仕事としてカウントされるようになり、名実共に私は趣味を失ったのだ。

 この話をすると多くの人からこう言われる。

「でも額賀さん、スポーツ観戦は好きでしょう? それは趣味なのでは?」

 確かに私はスポーツ観戦が好きだ。駅伝やマラソンをはじめ、陸上競技を特に好きだし、春と夏の高校野球はずーっと追いかけている。

 趣味と言っていいような気がしなくもないのだが、ここでルームメイトの黒子ちゃんの証言を聞いてほしい。

「額賀さん、昔は駅伝もマラソンも『がんばれー!』って応援しながら観てたけど、最近はずっと取材する目で観てるよ。応援ももちろんしてるけど、優先順位一位は取材になってるよね」

 そうなのである。作家デビューしてから……正確にはスポーツ小説を書かせてもらえるようになってから、私は常にメモを取りながらスポーツ観戦をしている。執筆の予定がない競技だろうと関係なく、すべて。

 現地観戦に行ったとしても同じだ。そのうち小説を書くときに必要だからと、競技場の作りがどうなっているかフロアマップを写真に撮り、どういう人が観戦に来ているかメモし、試合の内容だけでなく観客の動向も記録する。そういうところが小説の描写で必要になるのだ。

 こうなると、やはり趣味ではないなと思ってしまう。好きではあるが趣味ではないのだ。

  *

 思い返してみれば、2015年にデビューしてからおよそ10年、〆切のない状態は1日もなかった。というか、丸一日仕事をしなかったことがない。毎日PCに向かって何かしら書く10年だった。

 だが、ふと仕事のエアポケットに入る瞬間がある。手持ちの原稿やプロットやゲラをすべて担当編集に投げ、こちらが一時的に(数時間~長くて半日ほど)手ぶらになるときだ。

 もちろん、来月、再来月が〆切の原稿もあるのだが、半日のエアポケットで手をつけるのも中途半端だ。

 こんなときに趣味がない人間はやることがないのだ。猛烈に手持ち無沙汰な気分になって、ソワソワして、結局まだやらなくていい先の仕事の準備をし始める。

 こういうときに趣味の一つもあれば……と思ったのは、前回のエッセイで自分の1日のスケジュールを書き出したとき、あまりに仕事しかしていない趣味=仕事人間で、忙しいけれど豊かではない生き方をしているように見えてしまったからだ。

 無理矢理にでも趣味を作ってみようと思い立った私に、大学時代の友人が「今更趣味を探すなら、体にいいことを趣味にしなよ。運動とか、サウナとか」と助言してくれた。

「よし、じゃあ私、今日からサウナを趣味にするわ」

 そう宣言した2週間後、私は都内某所の京はやしやで抹茶葛ねりをいただきながらこのエッセイを書いている。

 宣言通りサウナに行き、たっぷり汗を流して、ついでにお風呂にも浸かったら、ねっとりとした葛ねりが食べたくなった。京はやしやの抹茶葛ねりは宇治抹茶がたっぷり使ってあって、ほろ苦く、でも苦すぎず、ほんのり甘く、でも甘すぎずな絶品葛ねりなのだ。

 ぷるぷるの葛ねりを堪能しつつ、サウナを出たその足でエッセイを書きに来たのには理由がある。

 サウナはいいものだった。メールもチェックできないし、電話もかかってこないし、みんな黙って暑さに耐えているし。これはもう仕事を忘れて存分に整ってやろうじゃないかと思っていたのだが、残念ながらダメだった。

 サウナ室で黙々と暑さを凌いでいるとき、水風呂に頑張って浸かっているとき、外気浴をしているとき、ずーーーっと小説のことを考えているのである。帰ったらあのシーンを書いて、あそこのシーンはこうしてああして……誰にも邪魔されないのをいいことに、小説の構想を練る時間になってしまった。

 よくよく考えてみれば、私は子供の頃から無心になるのが大の苦手なのだ。ボーッとするのも苦手なのだ。私がボーッとしているときは、大概小説のことを考えているのだ。

 これではサウナは「仕事を忘れるための場所」ではなく、「人に邪魔されず仕事について考えごとができる場所」になってしまう。それではもう趣味ではなく仕事なのである……というか、このエッセイを書いていたら、絶対になるという確信が湧いてきた。

 書いては葛ねりを食べ、また書いては葛ねりに手を伸ばしを繰り返してきたが、ついに葛ねりがなくなってしまった。

 もういっそ、潔く「趣味は仕事です」と言い張って生きていこうか。

白桃ほうじ茶についてきたカワイイ砂糖菓子(写真:額賀澪提供)

この記事を書いた人

額賀澪
額賀澪小説家
小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。

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