「君にはできない」と言われても自分を信じる力
誰もが「不可能」と言われた中での決意 祖父に様々なレストランに連れられた喜びが原体験となり、飲食のキャリアをスタートさせた石原明さん。商売人の家に生まれ、漠然と会社で雇われるより自分で事業したいと思っていました。専門学校 […]
プロフィール
イタリアン・冷凍無人餃子販売石原明
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誰もが「不可能」と言われた中での決意
祖父に様々なレストランに連れられた喜びが原体験となり、飲食のキャリアをスタートさせた石原明さん。商売人の家に生まれ、漠然と会社で雇われるより自分で事業したいと思っていました。専門学校を出てフレンチで修行を始めますが、当初これといった目標はありませんでした。
修行の日々は思ったようにいかず、店の収益が悪いと事業から撤退。また別の店では突然イタリアンからキャバクラに転身。本腰を入れて修行が出来ず、店を転々とする日々が続いてしまいます。
その後、身体を壊し、実家で約1年間静養。今度は雇われの身ではなく、自分で地に足をつけて商売がしたい。独立を決意します。しかし当時27歳で独立は異例の若さでした。先輩や同期にも「お前にはできない」と猛反対されます。「不可能を可能にしたい」その思いがモチベーションとなりました。
独立は誰でもできる、でも継続は覚悟がないとできない
西武池袋線の大泉学園に1号店「ピッツェリア&バー・リオーネ」をオープン。地主や富裕層が多い地域ながら洒落たカフェレストランがなかったことに目を付け、狙いは当たります。駅前には大手飲食チェーンが数多ある中、地元密着で地域の人に愛されるイタリアンとして定着します。
1年目滑り出しは良かったものの、スタッフ達との衝突で離職が続き、年々売上が減少。とにかく独立するという思いで勢いでのスタートだったため、店の一体感などもなく始めてしまいました。
店を良くするために、コーチングの導入や企業理念を策定しスタッフ共有のゴールを作ったり、出来ることは何でもしたといいます。独立はお金さえあれば誰でもできる。しかし継続は覚悟がないとできないと痛感しました。
今振り返って、自分の思いをスタッフ全員が引き継ぐことはできないと感じたといいます。働いているスタッフは皆それぞれ。モチベーションも様々。それなら一緒に働ける喜びを感じてもらうことが先決だと感じました。またイタリアンだけでなく、別業態への参入も行い、スタッフの可能性を引き出すことにも注力しています。彼らの満足度で店の一体感に繋がればと考えています。冷凍餃子の無人自動販売「ジュワット餃子」もその一環としてスタートしました。
コロナ禍、新たな挑戦での紆余曲折
コロナ禍「非接触で無人自動販売」という手法で新しいことをしたいと感じ、コロナ禍「非接触で無人自動販売」という手法で新しいことをしたいと感じ、縁がきっかけで餃子の販売をスタートさせます。
今までこだわり続けたピッツァ生地作りを基に、皮にこだわった餃子レシピを石原さんが考案、そのレシピをOEM方式で工場ラインを借りて製造するというところまでこぎつけました。しかし突然、工場が使えない事態となってしまいます。すでに600万もの資金が動いていた中でなんとか自社で製造する道を模索します。
浜松の餃子の製造元にいくつか掛け合い、製法や機材などを学ばせてもらうため泊まり込みの修行にも出向きました。一から自社製造できる仕組みを整え、なんとかスタートします。
同時に店のコンセプトも重要でした。
冷凍餃子店の競合が多い中、いかにも餃子屋という体裁ではなく、当時流行していた高級食パン屋のブランディングを参照し「何だこれ?」と足を止めてしまうようなインパクトを重視しました。
しかしただインパクト押しだけではお客様の足は止まらないと感じ、ネーミングは「餃子」を販売していることがきちんと伝わる「ジュワット餃子」にしました。
パッと目をひく黄色のベースカラーで「変化球」のインパクトとジュワット溢れる肉汁をイメージさせる「直球」の安心感が織りなすバランスでコンセプトが出来上がりました。
満を持してオープン初日、待ち時間でお客様からクレームが出るほどの行列。タウン誌や折込チラシなどの効果もありました。不可能を可能にしたいという思いがここにも活かされました。
今後「ジュワット餃子」は日常の風景に馴染むのではなく、店構えのインパクトに見合う「何だこれ?」を発信できるように様々な挑戦していきます。
取材・写真・文/I am編集部
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この記事を書いた人
- 「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。