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プレゼンはエンターテイメント! 大企業を辞めて講師業で起業、掴(つかみ)・森田翔インタビュー

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プレゼン+エンタメを掛け合わせたスキルを教える講師として独立。初年度で800人以上の方が受講し、ストアカ「プレゼン・資料作成」講座のランキングで1位! 不安はなかったのか? リアルな話をうかがいました。

森田翔

プロフィール

掴(つかみ)代表森田翔

プレゼンを面白くする研究所 掴(つかみ)代表。1984年石川県生まれ。2008年明治薬科大学を卒業し、エーザイに入社。2020年独立し、掴(つかみ)を創設。国内最大級の研修サイト「ストリートアカデミー」において、主催セミナーの年間受講者数は800人を超え、1年連続で人気ランキング第1位/500講座(カテゴリー:プレゼン・資料作成)を獲得する。花火大会で3万人の前でプロポーズを行う(フジテレビ、とちぎテレビ・ラジオ出演)等、公私共に様々なシーンのプレゼンを経験しており、個人・法人を問わず研修・コンサルティング活動を行う。

大企業とはいえ、永続的に会社が存続できる保証はない今の時代。

コロナ禍で、「プレゼンテーション」と「エンターテイメント」を掛け合わせたスキルを教える講師として独立した掴(つかみ)代表の森田翔さんは、もともとは製薬会社大手に勤める会社員。独立した今は、ストアカ「プレゼン・資料作成」講座のランキングで、講師を始めてから約1年間にわたり人気ランキング1位を獲得する大人気講師です。

これからは、肩書や給料ではなく「自分の名前」で指名され、自分で稼ぐことがより重要になる。とは言え、大企業の高収入を捨て、家族がいてもなぜ独立に踏み切れたのか?不安やプレッシャーはなかったのか?そして重要なお金は?大企業から独立してみた、リアルな話を伺いました。

体育会系ノリが通用せず自信をへし折られる日々

私は製薬会社『エーザイ』で営業をしていました。

小・中・高・大学を通じてサッカー部という、バリバリの体育会系人間だったので、体力勝負の営業という仕事に、内心自信を持っていました。

ところが、埼玉出身の私が入社1年目で配属されたのが大阪。慣れない土地での勤務に加え、同期がどんどん結果を出すなか、私だけ数字を伸ばせず、焦りを募らせていました。

ただ、「量が足りない」だけだと思っていたので、朝は6時に出社し、夜は毎晩夜中まで接待。その後も会社に戻って事務作業と、誰よりも得意先を回りました。しかし結果につなげることはできませんでした。営業は数字がすべて。結果を出せなければ会議での発言権はなく、話さない奴は会議にいらないという世界。

自信を持って飛び込んだだけに、自分の不甲斐なさにショックを受けたことを覚えています。

また、製薬会社の『MR』のプレゼンにも手こずりました。(MRとは医療関係者に自社の医薬品の情報を伝える職種で、1対1のときもあれば、大勢の方を対象に話をする場合もあります。)

社内でMRを何十人も集め研修をするのですが、大抵最初に指名されるのが私でした。きっといじりやすいキャラだったので、上司も当てやすかったんだと思いますが、とにかくダメ出しの連続で、毎回公開処刑。

「だからお前はダメなんだ」と浴びせられた言葉が悔しくて、見返したくて、でも結果を出そうとする努力が空回り。私の唯一の長所だった明るいところがどんどん失われていきました。ついに自慢の体力も限界を超え、40度の発熱と憩室炎を発症。部屋で一人倒れていたところを同期に発見され、緊急入院するまでに至りました。

「笑い」を味方にしてチャンスが巡ってくる

森田翔

転機のきっかけは、そんな私を見かねて先輩が連れて行ってくれた『吉本新喜劇』でした。とにかく面白くて、思いきり笑っているときは、あれだけ頭から離れなかった嫌なこともすっかり忘れていました。すると、根をつめて、仕事がうまくいかないと思い悩んでいたことが小さく感じられて肩の力が抜けたようでした。

このとき「喜劇役者って、笑って泣かせて、本当にカッコいい」「自分も落ち込んだ人を笑顔にできるような人間になりたい」と強く思いました。

変わりたい。きっと、講師業で起業しようと思った始まりは、このときの“笑い”だったのでしょう。「仕事中ももっと笑っていたい」という思いから、それを実現するために毎日行なっているプレゼンを武器にするという流れが、このときにできはじめたという気がします。

加えて、尊敬する先輩のプレゼンを見る機会があったことも、一つの大きな転機になりました。同じ商品を扱い、同じスライドを使っているのに、「こんなにも違うのか!?」と衝撃を受けました。人を引きつけてワクワクさせるプレゼンは私にとってまさにエンターテイメントでした。それをきっかけに、「どういうスキルを身につけたら、先輩のような人を魅了するプレゼンができるようになるか」を考えるようになり、その先輩の行動を事細かに観察して、話し方から持ち物までそっくり真似していました。

時を同じくして、仕事を面白くするにあたって、何か習い事をしようと思って始めたのが『落語』でした。落語は何回同じ話を聞いても同じところで笑ってしまう面白さがある。その理由を突き詰めると、再現可能なスキルがあることを知りました。そんな落語独特の“間”や”視線”の手ほどきを受け、体得した話術や笑いのスキルを営業に応用することで、現場での会話の盛り上がり方が変わり、研修でも自信を持ってプレゼンできるようになっていきました。

さらに、自信を持って話せるようになったことで、心に余裕が生まれ、笑顔が戻り、仕事で楽しみを感じることが増え、少しずつ結果が出始めました。社内のプレゼン大会でグランプリを取ったり、ヘッドハンティング企業からオファーをいただいたり、後輩の指導を任されるなど、社内外での評価が高まり、チャンスがどんどん巡ってくるようになりました。

人事異動が起業を考える一つの節目に

私の人生の大きな転機は、入社8年目に訪れた人事異動でした。

日本でも屈指の大学病院の担当となり、世界で活躍する一流の医師に同行して、土日もなく日本中を飛び回るという、忙しいけれど刺激的な毎日にやりがいを感じていました。

ただその一方で、自分はこのままでいいのだろうか、という思いも芽生えていました。死を目前にした人の後悔は「やりたいことをやらなかった」ことが多いと言われています。 また、今の時代、どんなに大きな会社であっても終身雇用や年功序列が崩壊している中、40歳、50歳を過ぎて同じような働き方を続けることにも疑問を抱いていました。それならば、自分がもっと心の底から情熱を注げるものを見つけ、稼ぐ力を早い段階から身につけておいた方がいいのではないかと考えるようになりました。自分なりに自己啓発や起業関係の書籍を隙間時間に読んだり、営業車の中で聞き流したりするなど、知識をつけていきました。

起業決意からの停滞期を乗り越えるためにしたこと

ご本人提供

しかし、日々の忙しさや(当時の会社が)副業禁止を言い訳に、行動を起こさず知識のインプットだけで前に進んでいるような気分になってしまいました。独学をしたり、情報収集をしたり、インプットをしたりしていると、何となく充実感があり自己満足に陥ってしまいます。その結果、具体的な行動は何もしないまま1年経ち、2年経ち……。行動してないので、失敗もないし、ある意味とても気楽なのですが、結局は1ミリも成長していないことと同義だと気付きました。

このままではまずいと思い、読んだ本の中から「この人に会いたい」と思った起業家やファイナンシャルプランナー、プレゼンの講師の方などに、あらゆる手段を使って「話を聞かせてください」とアプローチしました。

もちろん、実際に会ってもらえるかも分からず、会ってもらえたとしても何を言われるのか不安もありました。ただ、ずっとこのまま動けないことに対する不安もあり、思い切って行動に出ることで自分の覚悟が決まり、その覚悟が熱意となり先方に伝わったのか、親切に会ってくださいました。アドバイスをいただいたことで、素人が一人で悩んでいることがいかに時間の無駄であり、プロに聞くのが一番かということを痛感しました。

昔から人を笑わせることが大好きでした。難しく考えすぎず、シンプルに、好きなことを追求しよう。やるべきことがはっきりして、起業に向けての機運が一気に高まりました。

また、成功している経営者は収入口が一つではないという気付きもありました。私も入社を機に資産形成にはげんでいましたが、「自分の許容できるリスクを理解した上で、キャッシュは積極的に投資に注ぎ込む」という考えをもとに、起業に向けてさらに新しい投資を始めました。

これは後々、親や家族に起業を切り出す際にも、複数の収入源があるという安心材料の一つとなったので、この時期に始められたのはとても良かったと思います。

コロナ禍、大しけの中の船出

本来であれば本業の収入を超えた頃に独立することが望ましかったのですが、そもそも『エーザイ』は副業禁止でした。

なのでリスクを最小限に抑えようと、まず最初に選んだのは講師業でした。講師業は経験やスキルのマネタイズであるため、原価もかからないし、在庫も抱えない。無理なく始められる手堅い職業だと思いましたが、独立直前までまったく稼げていない状態でした。

会社を辞めるのは周りから見たらあまりに時期尚早で、無謀そのもの。
社内では数えきれないほどの方々に親身になって考え直すよう引き止めていただきました。私はただただ本気であることだけを伝えました。

ずっと一緒に仕事がしたいと言ってくれた人もいました。
私は退職しても関係が切れることは絶対ないと伝えました。
そして、今までの職場でこれだけの信頼関係を作ることができたのだから、これから進む道も絶対に大丈夫だと信じました。

試しに『ストアカ』に講座を出してみたところ、すぐに満席に。ニーズは確実にあると実感。そして、受講生が目の前で喜んでいる姿を見て、ありがとうと笑顔で感謝されたとき、もう(起業の)衝動を抑えられなくなりました。

あとは最悪無収入で向こう何年生きていけるのかを計算して、腹を括って将来の自分の伸びしろに賭けました。

今思えば、毎日の食事分すらままならない非常事態の環境だったからこそ、追い込まれて休みなく動き続けて、初年度から黒字発進できたのかもしれません。

私は退路を断つ意味でも退社を2020年の3月末日と決め、上司にはその3カ月前に辞意を伝えていました。その後のコロナ禍、まさかこれほど長期に渡って感染流行するとは思ってもいませんでした。百戦錬磨の事業家の先輩方にも「こんな大しけの中、船を出すヤツがいるらしいぞ」と言われたほど、想定外での船出となりました。

緊急事態宣言で予約していた会場をすべてキャンセルせざるをえなくなりましたが、すぐに講座をオンラインに切り替えたところ、都内だけでなく全国、さらには海外の方にまで受講してもらうことが可能になり、結果的に初年度1年間で800人以上の方に受講していただくことができました。

また、会社員時代にお世話になった同期や先輩、後輩が法人研修を紹介してくれたことも、初年度からいい波に乗れた要因の一つです。一流企業の社内研修や新人研修を行なえるというのは金銭的に大きいだけでなく、対外的な信頼度が格段に上がります。

つらくても、時間がなくても、最後まできちんと仕事をして退社することに努めたことが、今の仕事につながっていると感じています。 そして何より、今までご縁をいただいた方々には、本当に感謝の気持ちしかありません。

応援してくれる友人や家族、一緒に切磋琢磨する仲間の存在がなければ、あり得なかった仕事ばかりです。

起業から1年経って感じること

会社を辞めてまず初めに強く感じたのは、社会は自分にまったく興味がなく、自分から情報を発信したり、自分から人に会いに行ったりしなければ、誰にも気付いてもらえないということでした。そういう意味でも、『エーザイ』という会社のありがたみや、看板の影響力の大きさを痛感しました。今思えば、何も分かっていない新人の頃から『エーザイ』の社員ということで、わざわざ時間を取って話をしてくれていたわけですから。

さらに、これからの私の行動は、100%自分に責任があるということ。そのうえで好きなことに思う存分挑戦できる自由とロマンを感じています。

起業に躊躇する人の多くは、「妻子がいるから難しい」と言われますが、私の場合、「妻がいるからこそ、必ず成功させなければならない」と思っていて、その思いがしんどい時にも力になり、今があるんだと確信しています。

どれだけ人に影響を与えられるかが勝負

会社員時代、私はよく研修や会議で寝てしまい、上司に怒られていました。確かに寝るのはよくない。でも今は寝させない努力も大切だと思っています。徹夜明けでも聞かないともったいないと思うような面白い研修や会議だったら、絶対に寝ません。

講師の仕事はその科目の内容を教えることより、まずはその科目を好きにさせること。プレゼンが面白ければ、きっとより興味を持つ。プレゼンテーションとエンターテイメントを掛け合わせた、ちょっと面白いプレゼンができたら、いつもの業務が少しだけ楽しくなり、伝えたいことがもっと伝わるようになると思います。

ニッポンのつまらない研修や会議を撲滅することが、私の使命です。

「お金」「時間」「資格」「経験」がない、起業は今じゃない、家族が反対、副業禁止、新型コロナ……、私自身もほぼすべて当てはまりました。

壁にぶつかったとき、「だからできない」と考えるのか、「だから面白い」と考えるのか。コロナ禍でもポジティブに考えたからこそ、想定以上にたくさんの人と出会い、実績を積むことができたのだと思います。

しかしながら、ただたくさんの人に会うことが良いわけでは決してないということも知りました。大切なのは、どれだけその人の人生を変えることができたのか、どれだけその人に良い影響を与えることができたのか。

正社員登用がかかった大事なプレゼンに向けてスライドやストーリーをイチから共につくり、見事に合格を勝ち取った受講生から、「小さい頃からの夢が叶いました」と連絡があったときは、自分の人生にも意味があったのかなと感じられて、震えました。

人数よりもまずは目の前の一人一人と本気で向き合い、その人の人生をもっと面白くすることに集中する。

この一年半、とにかく勢いだけでがむしゃらに駆け抜けてきましたが、自分にとって本当に大切なことが少しだけ見えてきたような気がします。

どれだけ人を笑顔にできるか、どれだけ影響力のある人間になれるかが勝負であり、いつまでもどこまでも挑戦し続けられる人間でありたいと思っています。

取材/I am編集部
写真/本人提供・I am編集部
文/岡田マキ

この記事を書いた人

岡田 マキ
岡田 マキライティング
ノリで音大を受験、進学して以来、「迷ったら面白い方へ」をモットーに、専門性を持たない行き当たりばったりのライターとして活動。強み:人の行動や言動の分析と対応。とくに世間から奇人と呼ばれる人が好物。弱み:気が乗らないと動けない、動かない。

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