ChatGPTには書けない、自分らしい文章術・超入門文章力がないとビジネスで損をする? 文章のプロが教える、伝わる文章を書くコツは「一文を短く」
文章のプロフェッショナル・前田安正氏が教える、AIが主流になっても代替えのきかない「書く力を身につける」文章術講座。第14回は「一文を短くすると伝わる文章になる」についてです。
文章が下手と悩む人のための超文章入門。生成AIが当たり前になった今だからこそ、ChatGPTには書けない、自分の言葉で文章を書く力を身につけたい。朝日新聞社の元校閲センター長で、10万部を超えるベストセラー『マジ文章書けないんだけど』の著者・前田安正氏による文章術講座。今回は「伝わる文章を書くコツは、一文を短くすること」についてです。
目次
伝わらない文章の特徴
違う意味のことばを記号でつないでいる
最近、似たような意味のことばを並べて四字熟語のように使う傾向があります。ところが、ことばの意味を確認せずに雰囲気で使っている場合も多く、ネットなどで形容矛盾に陥った文に遭遇することがあります。次の例を見てください。
ご不便をおかけしますが、健康・感染を防ぐため…
健康と感染は、それぞれが独立したことばです。それが中黒(・)でつながれているので、「健康・感染」が四字熟語のようになっています。
ところが、中黒は並列を表す記号です。これを使っても四字熟語にはなりません。
ことばを並べて書くと、往々にして一つのことばにだけ述語(述部)が掛かる傾向があります。
「健康・感染」とつながるので、「感染」を受ける「防ぐ」が、この文の述語となっています。そのため「防ぐ」が「健康」を受ける述語にもなって、「健康を防ぐ」という奇妙な意味が生まれてしまったのです。やはり、
感染を予防し、健康を守る
というふうに、それぞれに合う述語を取らないと、文として成り立ちません。
アピールするはずが逆効果になっている
コロナ禍以降、よく見かけるようになった「安心・安全」も同様の表現です。
安心・安全な魚をお届けしたい。
これは、安心・安全が魚にかかるので、「安心な魚」と「安全な魚」という意味になります。「安心な魚」と「安全な魚」の違いがわかるでしょうか。まさか、この魚は安心だけれども、あの魚は安全だ、という分け方をしているわけではないはずです。
「安心」は「心が安らかに落ち着いていること」を言います。「安心な魚」は「心が安らかで落ち着いた魚」という意味になります。
「安全」は「危害または損傷・損害を受けるおそれのない。危険がなく安心なさま」を言います。「安全な魚」は「危害を受ける恐れがない魚」という意味になります。ピラニアのような危険はありません、ということを言っていることになります。
常識的には「安心して食べられる魚」「安全に食べられる魚」という意味を重ねて、強調した表現なのでしょう。しかし、
安心して食べられる魚をお届けしたい。
とすれば、「安全」を省略しても成り立つし、どんな魚を届けたいと思っているのかが、はっきりします。
並立表現で文を複雑にしている
ことばを無意識に重ねることによって、誤解を招く表現にもなります。こうした例は、気づかないうちに文の中に潜り込んでいることがあります。たとえば、
例1)このバッターは選球眼がいいので三振とフォアボールをよく選び、打率と本塁打が多いバッターだ。
という文です。ハッシュタグを使って、この文を分解してみましょう。
#1.三振とフォアボールをよく選び
#2.打率と本塁打が多い
となり、その理由は、選球眼がいいからだ、というのです。
#1の「選び」という述語は「フォアボール」には対応していますが、「三振」を選ぶ選手はいません。矛盾した述語になってしまいます。
同様に、#2の「多い」という述語は「本塁打」に対応していますが、「打率」には対応していません。本塁打は「多い・少ない」で表現できますが、打率は「高い・低い」で表します。
さらに例1は、
このバッターは…バッターだ
という構造になっているのです。「バッターは…バッターだ」の間に、「三振」「フォアボール」/「打率」「本塁打」に関する説明を挟み込んでいます。これが、文を複雑にしている要因なのです。
伝わらない文章を改善する
Step1:「骨」の部分を言い切る
何となくわかりにくい文だということはわかるけれど、「どこがわかりにくいのかが、わからない」というときは、まず骨の部分を言い切るのです。もう一度、例1を見てみます。
例1)このバッターは選球眼がいいので三振とフォアボールをよく選び、打率と本塁打が多いバッターだ。
まず、
このバッターは選球眼がいい。
と骨の部分(一番伝えたい部分)を言い切ります。次にその理由を肉付けします。
だから三振が少なく、フォアボールも多い。
「三振」と「フォアボール」に対応するそれぞれの述語が加わりました。
打率も高く、加えて本塁打も多い。
と続けます。ここでも「打率」と「本塁打」に述語が対応できています。通してみると
このバッターは選球眼がいい。だから、三振が少なく、フォアボールが多い。さらに打率も高く、本塁打も多い。
という具合に3つのパーツに分けて書けばいいのです。
Step2:主語を表す「は」と「が」の違いに注目する
とは言うものの、どうやって3つのパーツに分けていけばいいのか。これにもヒントがあります。それは、
主語を表す係助詞「は」
接続助詞「ので」
です。「は」が、主語を表す助詞だということは、わかると思います。しかし「が」も主語を表す助詞です。この違いを理解しておきましょう。
主語を表す「は」と言いましたが、文法的には「主題」を表す副助詞です。
「象は鼻が長い」の「象は」は、「動物の中でも象はとりわけ」という主題を提示しています。実質的な主語と述語は「鼻が長い」です。こうした特徴を持つ動物が「象」だということです。
とはいえ、「何はどうだ」という主語と述語の関係があるので、この場合は「主語」といってもいいと考えています。また、「は」を副助詞ではなく、係助詞としているのは、その働きによるものです。これについては、後ほど説明します。ここでは、「は」と「が」について、述語(述部)への掛かり方の違いを取り上げます。
例2)君がため息をつくたび、やるせない気になる。
この例では「やるせない気になる」のは、隠れた主語の「私」です。
ところが、
例3)君はため息をつくたび、やるせない気になる。
のように「君が」を「君は」に変えると、「やるせない気になる」のは「君」です。
この違いは、係助詞「は」の役割にあります。「は」は遠くの述語(述部)に影響を及ぼします。これは、一つの文だけではなく、文をまたいで影響します。たとえば、夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭は、
例4)吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
となっています。一文目の「吾輩は」が2文目以降の主語にもなっています。
吾輩は猫である。(吾輩は)名前はまだ無い。(吾輩は)どこで生れたかとんと見当がつかぬ。(吾輩は)何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
例4は、2文目以降の主語を省略しているのです。それでもすべて主語は「吾輩は」で通っています。文をまたいで主語を担っています。遠くに係るという意味で、係助詞と呼んでいるのです。これが「は」の特徴です。
一方、「が」は主語を表す格助詞です。この特徴の一つは、直近の述語にのみ影響を与えることにあります。そのため、例2)では「君がため息をつくたび」の主語「君」は、「ため息をつくたび」にのみ影響し、「やるせない気になる」という後半の述部には、影響を及ぼさないのです。
例1に戻すと、
このバッターは選球眼がいいので三振とフォアボールをよく選び、打率と本塁打が多いバッターだ。
書き出しの「このバッターは」が、文末の「バッターだ」に影響するため、
このバッターは…バッターだ
という構造になってしまうのです。
Step3:接続助詞「ので」の働きを理解する
さらに、
このバッターは選球眼がいいので
という具合に「ので」という接続助詞が使われています。接続助詞は、文字通りその前後を繋ぐ働きがあります。つまり接続助詞を挟んで異なる要素が並んでいると言えるのです。図式で表すと
Y+接続助詞+Z
となります。接続助詞を使うと文はどんどん長くできます。そのため、主語が不明確になり、最後にまた主語を置かざるを得ない場合がでてきます。それが例1)なのです。
「ので」「だが」「が」などの接続助詞があったら、その前後で異なる要素の文がつながっているのだと思いましょう。そして、前後を分割して独立した文にします。
Step4:接続助詞の前で文を切る
例1)このバッターは選球眼がいいので三振とフォアボールをよく選び、打率と本塁打が多いバッターだ。
この例で言えば、接続助詞「ので」の前にある「このバッターは選球眼がいい」というところで、句点(。)を入れて文を切るのです。
このバッターは選球眼がいい。
これが、例1の骨に当たります。ここに気づいて分解できれば、後はその骨に肉をつけていけばいいのです。
【まとめ】一文を短くして伝わる文章を書く方法
係助詞「は」の働きを理解し、できるだけ接続助詞を使わないようにすれば、必然的に文は短くなるのです。極端な言い方をすれば、箇条書きでいいのです。一つの要素で一つの文を書くことを意識しましょう。
冒頭の「ご不便をおかけしますが健康・感染を守るため・・・」も「安全・安心な魚をお届けしたい」という文も、中黒(・)を使って並列させてことばを重ねたために、述語が合わなくなってしまったのです。文意を通すには接続助詞と同じように、「健康・感性」といいうことばを分割することが必要だったのです。
文を削るというのは、単に無駄なことばを削るということではありません。簡潔な文をつくるために、主語と述語を明確にすることなのです。同じようなことばが並立された場合も、その意味を整理し分解すると、それぞれに対応する述語が必要だということが理解できます。
文を簡潔にするということは、主語と述語を一組にそろえるということに尽きるのです。
執筆/文筆家・前田安正
写真/Canva
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この記事を書いた人
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早稲田大学卒業、事業構想大学院大学修了。
大学卒業後、朝日新聞社入社。朝日新聞元校閲センター長・元用語幹事などを歴任。紙面で、ことばや漢字に関するコラム・エッセイを十数年執筆していた。著書は 10万部を突破した『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)など多数、累計約30万部。
2019年2月「ことばで未来の扉を開き、自らがメディアになる」をミッションに、文章コンサルティングファーム 未來交創株式会社を設立。ことばで未来の扉を開くライティングセミナー「マジ文アカデミー」を主宰。