ChatGPTには書けない、自分らしい文章術・超入門わかりやすい文章を書くコツは「簡潔にディテールを書く」。文章のプロが名作小説で解説
文章のプロフェッショナル・前田安正氏が教える、AIが主流になっても代替えのきかない「書く力を身につける」文章術講座。第13回は「わかりやすい文章を書くコツ」についてです。
文章が下手と悩む人のための超文章入門。生成AIが当たり前になった今だからこそ、ChatGPTには書けない、自分の言葉で文章を書く力を身につけたい。朝日新聞社の元校閲センター長で、10万部を超えるベストセラー『マジ文章書けないんだけど』の著者・前田安正氏による文章術講座。今回は「わかりやすい文章を書くコツ」についてです。
目次
わかりやすい文章を書く第一歩は「箇条書き」
文章の書き出しは難しい。いろいろと書こうと思っていることが頭の中を経巡って、初めの一歩が踏み出せません。「書けない、書けない」という感情で頭の中がいっぱいになって、結局、書くことを諦めてしまう原因にもなる部分なのです。
実は、こういうときこそ、箇条書きで書くことが、お勧めなのです。
僕はそういう時に、参考にしている文章がいくつかあります。今回は、その文章書き出しを紹介しながら、無駄な部分を極力削り落として箇条書きに近づけ、文を簡潔にする方法について考えていきたいと思います。
【わかりやすい文章例 1】 『枕草子』
短い文章でも情景が浮かぶ
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明かりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
『枕草子』(清少納言)の書き出しです。
高校時代、ひねくれてひん曲がった日々を送っていた僕は、哲学ということばに引き寄せられて、小難しい本を読んでいたのです。文字を追うばかりでまったく内容も頭に入らないし、理解もできない。ただ、それふうのものを読んでいる自分に満足していただけでした。
ところが、古典の教科書に載っていたこの短い文章を読んで、なんてかっこいいんだろうと、思ったのです。こんなに簡単なことばなのに、スーッと情景が思い浮かぶ。
最初の一文は「春はあけぼの、いとをかし」と続くところかもしれません。しかし、そこを「春はあけぼの」だけで止めています。
次に夜明けの様子をたたみかけていきます。次第にあたりが白くなって、山と空の境が少し明るくなる、紫がかった雲が細くたなびいている、と。
修飾を極力減らして、言い切る。そんな書き方ができるんだ、と僕は思ったのです。古語辞典を引き引き読んでいた古典文学が、非常に身近に感じたのです。しかも、ここに書かれた一連の主題をポンと最初に置いたところが、潔いと感じたのです。
たとえば、
やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明かりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる、春のあけぼのいとをかし。
とすると、印象は全く異なります。「春はあけぼの」を「春のあけぼの」として最後に持ってきて、さらに「いとをかし」という形容詞を加えたため、説明的で退屈な文になっています。
慣れないことばを使うとわかりにくい文章になる
高校時代の僕は、重厚でデコラティブな方が、説得力のある文章だという思いがあったのです。当時の西洋文学の翻訳は、「〜するところの・・・」などのように直訳調が多かったので、すっと頭に入ってきませんでした。ところが、そういう方が、ありがたい文章だという刷り込みがあったのです。小難しい文章を読むことが、大人の教養だと思っていました。
語彙もないのに、やたらと小難しいことばを使おうとしてつまずいていた自分の愚かさを思い知らされたのが『枕草子』だったのです。
「身の丈で書けばいい」。それができてから、次のステップを踏むべきなのです。無理をして背伸びをしても、すぐに馬脚を現します。語彙が少ないなら、それをどう組み合わせてどう表現するかを工夫すればいい。四字熟語や難しい熟語を使っても、そのことばの意味やその背景にある故事が却って文章の流れに不自然な渦をつくってしまいます。
柔らかい木の造作の一部に、不似合いな金属を埋め込んだような違和感が出る場合もあります。計算されたものならば、そうした表現も斬新なものになるかもしれません。しかし普通は、そこまで文章を突き詰めて考えることは難しいので、どこか付け焼き刃のような不自然さが出てしまうのです。
【わかりやすい文章例 2】 『吾輩は猫である』
「一つの要素で一つの文」
僕は一つの要素で一文を書いて、文脈を追って積み重ね、ミルフィーユのように文章を書いていこう、と心がけています。
さらに、文においても文章においても、言いたいことはできるだけ前に出そうとも思っています。そうした考えの原点になったお手本を紹介します。夏目漱石の『吾輩は猫である』の書き出しです。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
小学校の頃に初めて手にしたときは、夏目漱石のしかめっ面の肖像と明治文学という時代の印象が重苦しい印象を醸していました。しかも当時、旧仮名遣いで書かれていたので、読むのが難しくて苦痛だった印象しかありませんでした。結局、読めませんでした。
ところが、高校時代に再度読み直すと、驚くほど単純な文の連続だったことがわかり、驚いたのです。
短文でも情感は伝わる
1文目=吾輩は猫である。
「何は何である」という形で、自己紹介しているだけの文です。
2文目=名前はまだ無い。
「何はどうだ」という内容で、「名前が無い」ではなく「名前はまだ無い」。ということは、この先に名前が付く可能性があるのかもしれない、という先の展開を示唆する書き方になっています。
3文目=どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
これだけで、吾輩が野良猫であることがわかります。
ここまでの三つの文は、ごく単純な箇条書きです。それでも吾輩が名前もない野良猫であることがわかるようになっています。そしてその次に、
4文目=何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
と続き、その生い立ちが示されています。
これだけで、野良猫を主人公とした物語であることを、読者に伝えているのです。極限までそぎ落とした文をつないでいっても、内容ばかりか情感すらも伝えることができる、ということを肝に銘じておきたいと思うのです。
【わかりやすい文章例 3】 『クライマーズ・ハイ』
真似できそうでできない文章の書き出し
もう一例紹介します。『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫著・文藝春秋)の書き出しです。これは、御巣鷹の尾根に日本航空機が墜落した事故をモチーフに書いた、地方紙の記者の物語です。
旧式の電車はゴトンと一つ後方に揺り戻して止まった。
JR上越線の土合駅は群馬県の最北端に位置する。下り線ホームは地中深くに掘られたトンネルの中にあって、陽光を目にするには四百八十六段の階段を上がらねばならない。それは「上がる」というより「登る」に近い負荷を足に強いるから、谷川岳の山行はもうここから始まっていると言っていい。
「ゴトンと一つ後方に揺り戻して止まった」という部分が、まず旅愁を誘います。列車が止まるときの車輪やブレーキの音が聞こえてきそうです。
次の土合駅がどういう場所なのかが分かる読者には「ははーん」と思わせ、知らない読者には「群馬県の最北端」への想像の呼び水になります。
そして、そこが「地中深くに掘られたトンネルの中」で、地上へ出るには486段の階段を上がらなくてはならない場所だということが提示されます。ここで、通常の駅とは異なることがわかるのです。486段という数字が、想像の具体性を高めるのに効果的です。
さらに、その階段は「上がる」というより「登る」に等しいのだということが書かれ、「谷川岳の山行はここから始まっていると言っていい」と結ぶのです。これだけで、読者は一気に谷川岳に連れていかれます。
一つの要素で一つの文を書いている典型例だと言ってもいいのではないでしょうか。文の構成を見ていきます。
端的な文の積み重ねで読者を惹きつける
1文目=旧式の電車は揺り戻して止まった
これが文の骨です。ここに「ゴトンと」「一つ後方に」という簡潔な説明がつきます。
2文目=土合駅は群馬県の最北端に位置する
土合駅を説明するために「JR上越線」が付いているだけです。
3文目と4文目は、読点をうまく使って、その前後で要素を書き分けているので、読者を誤読に陥らせたり混乱させたりすることはありません。
3文目=ホームはトンネルの中にある/陽光を目にするには階段を上がらねばならない
これに「地中深く掘られた」、「四百八十六段」という具体的な説明がつきます。
4文目=それは「上がる」というより「登る」に近い負荷を足に強いる/谷川岳の山行はもうここから始まっていると言っていい
ここは、前半部分が一つの要素となって、後半の説明になっています。
非常に端的な文の積み重ねで、少しずつ読者の気持ちを谷川岳に誘導していきます。箇条書きを積み重ねたような文には、無駄がありません。この四つの文は、土合駅を説明しているだけです。それにもかかわらず、ここから始まるドラマの予兆を感じさせるのです。この書き方は、なかなか真似できるものではないかもしれません。
わかりやすい文章を書くためのスキルアップ法
必要なことばを簡潔に書く
こうして見ると、『枕草子』『吾輩は猫である』『クライマーズ・ハイ』は、一文の書き方に共通点が多いことにお気付きかと思います。
大学の講義や企業の研修などで「文章を削って簡潔に」と言うと「それでは無味乾燥な文になってしまう」という意見を頂戴するのですが、それは、まったくの勘違いです。
総じて小説家の文は短く、簡潔に書かれています。情感を表すのは、形容詞や副詞に頼らず、ディテールを書き込んで表現するからなのです。
文を削り込むということは、むしろ必要なことばを残すということです。木にたとえれば、これが、幹にあたる部分です。デコラティブな文は、幹の周りに枝葉を付けて、必要なことばを隠してしまいます。もっとも、文や文章の書き方に正解はありません。読み手が誤解しない書き方であれば、それは書き手の個性として認められるべきことだと思います。
村上春樹さんのようにことばを何度も重ねて書いたり、とてもおしゃれな比喩をうまく取り入れたりする手法があります。野坂昭如さんのように、文がどこまで続くのだろうと思う書き方もあります。
僕はどちらも好きなのですが、彼らはずっと文章に向き合い、その結果として生み出した文体を持ったのです。それは、誰にも真似できないものなのです。しっかり文意がとおるし、読みにくいと思ったことがないのです。僕たちが真似をしたら、とても読める代物にはならないでしょう。そこが、プロの作家と僕たちの違いなのです。
僕たちが、彼らのように文章に向き合う時間はありません。そうであれば、できるだけ誤解のないような文章に仕上げて、読み手の理解を得ることが重要です。
好きな作家の文章を書き写す
清少納言や夏目漱石、横山秀夫さんの文体がシンプルだからといって、簡単に真似できるものではありません。一見すると簡単そうに見えますが、ここまでの文章を書くには、相当の時間を掛け、研究を重ねて、練り上げたものに違いないのです。
それでも、単純な文を書くことを意識することから、文章を見直すことは必要だと思います。会社の文書にしても、エッセイやコラムにしても、理解されない文章をコテコテ書いても意味はありません。語彙や表現力がないと思うなら、まずは箇条書きで書く勇気を持つべきです。
そのうえで、好きな作家の文体を原稿用紙に書き写すといいと思います。それほど複雑な文を書いている作家がいないことに気づくと思います。そうやって文章の流れやリズムを体感すると、文章を書く際の意識が変わってくるはずです。
執筆/文筆家・前田安正
写真/Canva
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この記事を書いた人
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早稲田大学卒業、事業構想大学院大学修了。
大学卒業後、朝日新聞社入社。朝日新聞元校閲センター長・元用語幹事などを歴任。紙面で、ことばや漢字に関するコラム・エッセイを十数年執筆していた。著書は 10万部を突破した『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)など多数、累計約30万部。
2019年2月「ことばで未来の扉を開き、自らがメディアになる」をミッションに、文章コンサルティングファーム 未來交創株式会社を設立。ことばで未来の扉を開くライティングセミナー「マジ文アカデミー」を主宰。