みらいのとびら 好きを仕事のするための文章術「好きなことを仕事にする」と嫌になるのは本当だった? 仕事は毎日、何年も続けるもの。
文章のプロ・前田安正氏が教える、好きを仕事にするための文章術講座。第 15 回は「好きなことでも、仕事として毎日、何年も何十年も続けていると苦しい。それでもやめられないワケとは?」です。
目次
「見切りがついたらお辞めになっていただいて結構です」
好きなことを仕事にすると、それを純粋に楽しめなくなります。
僕は、毎月 2000〜3000 字のコラムを 5 本、1500 字程度のコラムを 8 本、他にも季刊誌や書籍の原稿もあるので、日々5000〜8000 字ほどを書いています。さらに企業・自治体の文章コンサル、僕が主宰しているライティングセミナー「マジ文アカデミー」などで、文章を修正する作業もあるので、文字に囲まれて一日を過ごしています。
これは好きで始めたことです。誰かに強制されているわけではありません。だから幸せではあるのです。それでも、ネタは見つからなくなるし、書くのが億劫になるし、一日中座りっぱなしなので腰は痛くなるし、これだけで食べていけるわけでもないし・・・。こんなことを考え始めると、書く楽しさが薄まってしまうことがあるのです。
そんなときは、好きの原点に戻るようにしています。
それは、大学時代に遡ります。専門課程に進む際の演劇専攻のオリエンテーションでのことです。歌舞伎が専門の教授は「みなさんは、大学の外でやりたいこともあるでしょうから、大学に見切りがついたらお辞めになっていただいて結構です」と話しました。また、映画担当の教授は「映画を勉強しても何の意味もない。でも意味のないことを続けることに意味がある」と言ったのです。
この二人の教授のことばが胸に刺さりました。「大学」や「映画の勉強」ということばが「人生」ということばに置き換わって響いたからです。
「人生に見切りがついたらお辞めになっても結構です」
「人生を勉強しても何の意味もない。でも意味なのないことを続けることに意味がある」
「好きな芝居や映画を見て、楽しんでいればいいのだから、こんなに楽な専攻はない」と高をくくっていた僕に、大きなテーマを突きつけられた気がしたのです。
3ヶ月間毎日『2001年宇宙の旅』と向き合う苦行
僕は演劇専攻に進みました。
映画の演習で「好きな映画について」一人ずつ発表するという課題が出されました。その時に担当教授が「皆さんは映画が好きだと思う。映画を見て面白かったという理由を客観的に発表してほしい」と言うのです。
僕はスタンリー・キューブリック監督の「2021 年宇宙の旅」について、発表することにしました。1968 年の映画です。宇宙人が出てきたりする冒険物語だと思っていた映画は、月で発見された「モノリス」に導かれて木星探査に出かけるという哲学的な内容を含む難解な話でした。CG がなかった時代の特殊撮影や、宇宙船内でのコンピューターHAL の暴走など、現代にも通じる状況が半世紀前の映画に提示されていました。映画の中に出てくる「モノリス」「スターチャイルド」といった抽象的な映像の意味などを説き明かそうと思ったのです。
当時はビデオや DVD もない時代です。見直したい箇所を確認するのに、巻き戻したり一時停止したりできません。リバイバル上映していた名画座は 1 日に 3 回上映していました。当時入れ替え制ではなかったので、僕はまる 1 週間通い詰め、毎日 3 回、メモを取りながら観ました。上映時間 142 分の映画です。極端に台詞の少ない映画なので、ストップウォッチを持ち込んで台詞ごとにラップをとって合計時間を計ったりしました。ところが、途中で操作を間違えて全部消してしまったり、映画にのめり込んでスイッチを押し忘れたりしました。客観的に映画を観ることは、そう簡単ではありません。
何度も観ていると、途中で眠気が襲ってきて、肝心なところを見逃したりします。文献もほとんどなく、図書館で調べて自分なりの仮説を立てて、400 字詰め原稿用紙 120 枚にまとめました。
たった一つの映画論をまとめるのに、3 カ月かかりました。好きな映画も 1 週間、毎日 3回ずつ緊張を強いながら観るのは、苦痛以外の何ものでもありません。好きなことを仕事にするというのは、この連続を意味します。
毎日原稿を書いていると、何をどこに書いたのかもわからなくなります。ネタも尽きてくるような気がします。疑心暗鬼に駆られ、自信を失うことも出てきます。それは、絵を描くことが好きな人でも、ピアノを弾くことが好きな人でも、アクセサリーを作ることが好きな人でも、同じです。毎日好きなことに向き合い、期待に応えていくことは楽しさから遠い世界を覗くことになります。
仕事が大きくなって雇う人が増えれば、現場で働くよりマネジメントにシフトしなくてはならなくなります。好きなことを仕事にすれば、それまで趣味だったものを純粋に楽しめなくなるのも当然です。
意味のないことを続けることに意味がある
先日、「マジ文アカデミー」の受講生から「前田さんの趣味は何ですか?」と聞かれ、ハッとしました。
映画や芝居を観たり、コーヒーを飲みながら小説を読んだりすることが趣味だったのに、ここ何年も劇場や映画館に足を運んでいません。辛うじて書店巡りはしているものの、もはや趣味としてではなく仕事の一環としての行動なのです。文章を書くことの原点にあった映画・芝居・読書が、いつの間にか趣味の域から外れていたことに気づいたのです。
それでも、と思うのです。
好きなことが仕事に変わったとしても、好きなことを楽しむゆとりがなくなったとしても、その原点がなくなったわけではありません。それは、楽しむ対象が変わってきただけで、趣味の原点を失ったわけではないからです。
幼虫がさなぎになり羽化して、幼虫とは全く違う姿になったとしても、それは成長の証しであり、生きてきた歴史がなくなったわけではありません。
「見切りがついたらお辞めになっても結構です」と言われても、そう簡単に見切りをつけることはできません。好きが生み出すステージは幼虫から変態を繰り返し、姿を変えて活躍する世界を広げていきます。その世界に終わりが見えないからです。
私事で言えば、新聞に連載を書くようになって、文章の書き方について書籍執筆の依頼がきました。カルチャーセンターから「エッセイ教室」のお誘いもきました。次に、自治体や企業から広報誌の書き方や研修の話が来て、さらに文章コンサルへと話が大きく進み、商品・サービスのコピーライティングなどの依頼も頂戴するようになりました。エッセイ教室は「マジ文アカデミー」として、少数限定・高単価のライティングセミナーに姿を変えました。
「文章」は少しずつ変態を繰り返しながら、その世界を広げてくれます。面白いじゃないですか。
だからこそ「意味のないことを続けることに意味がある」のです。それは、好きを仕事にした人のみが持つエネルギーがそう言わしめるのだと思うのです。
執筆/文筆家・前田安正
関連記事
この記事を書いた人
-
早稲田大学卒業、事業構想大学院大学修了。
大学卒業後、朝日新聞社入社。朝日新聞元校閲センター長・元用語幹事などを歴任。紙面で、ことばや漢字に関するコラム・エッセイを十数年執筆していた。著書は 10万部を突破した『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)など多数、累計約30万部。
2019年2月「ことばで未来の扉を開き、自らがメディアになる」をミッションに、文章コンサルティングファーム 未來交創株式会社を設立。ことばで未来の扉を開くライティングセミナー「マジ文アカデミー」を主宰。