額賀澪のメシノタネ小説家とチョコレートパフェ――会社の辞め時の「問いのたて方」
小説家・額賀澪が「好きなことを仕事にする人たち」をテーマに書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#06のテーマは、会社員として働きながら好きなことを仕事にした人の「会社の辞めどき」。独立するタイミングは、同じ業界の先輩に尋ねるべし。
「この間、ママが唐突に『カフェをオープンしたい』って言い出して大変だったんだよ」
池袋の映画館を出た直後、一緒にいた友人がそんなことを口にした。
「何それ、面白い」
映画の感想戦をするついでに、サンシャイン60通りの入り口にあるカフェ「ミルキーウェイ」に入った。
ちなみにこの店、私が会社を辞めて専業作家になった初日に、目の前にいるこの友人と来た店でもある。
当時フリーターだった友人に「会社辞めたんだろ? 平日の昼間からパフェ食べよう!」と誘われたのだ。
ミルキーウェイには牡羊座、牡牛座、双子座……と星座をイメージした大量のパフェがある。
普通なら自分の星座のパフェを頼むのだろうけれど、私はここに来ると自分の星座である天秤座ではなく、蟹座のパフェを必ず頼む。
私のデビュー作の発売日が6月26日だったので、この日を作家としての誕生日としている。小説家・額賀澪は蟹座なのだ。
専業作家となったのを祝った日と同様、私はソフトクリームにチョコレートソースがかかった蟹座のパフェを、友人は双子座のモンブランパフェを頼んだ。
「それで、お母さんはどうしてカフェをやりたくなっちゃったの?」
「いや、まあねえ……話してみるとたいしたオチもないんだけどさ」
彼女の話をまとめると、母上殿は昔からお菓子作りが趣味で、ママ友を招いて手作りのクッキーやケーキを振る舞うお茶会をよくやっていたのだという。
長らく母上殿にとっては「お菓子作りは趣味」だったのだが、この春に子供達が全員大学を卒業し、フリーターをしていた長女(=目の前の友人のことである)も無事就職したので、これで晴れて子育て終了。老後を楽しむフェーズに入ったのだ。
そして唐突に「カフェをオープンしたい」と言い出したのだとか。
「娘の私が散々ママのお菓子を食べてきたからわかるのよ。普通のクッキーなの。普通のケーキなの。わざわざお店でお金出してまで食べるレベルのものじゃないの。でも、せっかく作ってもらったから私も弟達も『美味しいよ!』って言うの。ママ友だって、『お金出してまで食べるものじゃないわね』なんて言わないの。お世辞で『お店で出せちゃうよ』とか『私、毎日通っちゃう』とか言うの。それを真に受けちゃってさ~」
数時間に及んだ家族会議の結果、母上殿はなんとかカフェ開業を諦めてくれたという。
「本当にね、内輪の評価だけで自己肯定感高めて突っ走っちゃダメってことだよ。井の中の蛙ほど向こう見ずで怖いものはないって学んだわ。この歳で自分の親から学ぶとは思わなかったけど」
星の形をした器に盛られたモンブランを頬張って、友人は「甘っ、懐かしい甘さ」と苦笑いした。確かに、大学時代はよくこの店で、パフェにきゃーきゃーと黄色い声を上げながら何時間も話した。
そういう懐かしさを含んだパフェだから、ときどき無性に食べたくなる。
私も、溶けかけたソフトクリームの角をスプーンで掬った。ソフトクリームもスイカも、角の先端が一番美味しい。
映画の感想戦をして、友人とは池袋駅の改札前で別れた。
ミルキーウェイのパフェは「専業作家になった初日に食べた特別なもの」だから、帰りの電車の中でずっと仕事について考えてしまった。美味しいものは人を幸せにする。そして私は、幸せなときこそ仕事のことを大真面目に考えるらしい。
作家デビューをした2015年、私は広告代理店に勤めていた。
作家業一本で食べていける気がてんでしなかった私は、会社員をしながら副業で作家をする、いわゆる兼業作家になった。
となると、「いつ専業作家になるのか?」という悩みが常につきまとうことになる。
作家にもいろんな人がいるから、最初から専業作家になるつもりのない人だってもちろんいる。ただ、私はデビュー前から「いつか専業に」とぼんやり考えていた。小説だけでご飯を食べていける人になりたかった。
そんな私に最初に「いつ専業になるの?」と聞いてくださったのが、私が受賞した松本清張賞の審査員をしていた作家の石田衣良さんである。
答えに困る私に、石田さんはこんなアドバイスをくださった。
・会社員をしながら小説を書くのは体力的にもとても大変。
・そこに「いつ会社を辞めるか?」という悩みまで加わったら、さらに大変。
・だから、今のうちに「何を達成したらやめるか」という目標を設定すること。
・目標を達成するまでは「辞める? 辞めない?」なんてことは考えない。考えるだけで精神的な負担になるから。
石田さんからこのアドバイスをいただいた日、私は「本を5冊刊行できたら会社を辞める」と決めた。
翌日からは、「いつ会社を辞めようか? 辞めて生活していけるだろうか?」なんてことは考えず、ただ「会社員をしながら5冊の本を出す」ということだけを念頭に仕事をした。
結果、5冊目の本を出した直後、会社を辞めて専業作家になる。専業作家初日を、友人とミルキーウェイで蟹座のパフェを食べて過ごした。
私はただ石田衣良さんのアドバイスの通りにやってみて、結果として運よく専業作家にシフトできたというだけのことなのだが、今思い返してみると、この過程でひとつ学んだことがある。
それは、先ほどの友人の言葉にすべて集約される。
――内輪の評価だけで自己肯定感高めて突っ走っちゃダメってことだよ。
作家デビューをしたら、当然ながらまずは「デビューした出版社の編集者」と仕事をしていく。
そして、2冊、3冊と本を出し、次第にそれ以外の出版社とも仕事をするようになる。
デビュー作を刊行した出版社は、いわば実家のようなものだ。「うちからデビューした作家だから」となんだかんだ可愛がってもらえるし、気にかけてもらえる。賞を与えたわけだから、その作家に期待もしている。
しかし、それ以外の出版社からしてみれば、私は〈ただの小説家〉なのである。
実家ではない出版社と仕事をすることではじめて、業界内での自分の立ち位置がわかる。作品の内容や売上実績をシビアに見られて、それによって扱われ方も変わる。作家の年収を握る〈発行部数〉が変わってくる。
「うちからデビューした作家だから」と履かせてもらっていた下駄がなくなり、ビジネスの土俵で〈ただの小説家〉として評価される。
実家という温かな場所で高まった自己肯定感がガクンと下がって、井戸の外の大海原での自分のちっぽけさを思い知るのだ。
5冊の本を出すまでの間に、ぼんやりとそれを学んだ。自分が出版業界でどう見られ、どう評価され、どれくらい〈先がある〉と思われているのか。その中でどうやって作家を続けていけばいいのか。その道筋が自分にあるのか。
あのとき、内輪の評価だけで自己肯定感を高めて突っ走った結果、専業作家になっていたら。今頃私は専業作家をやれていなかったかもしれない。
自宅の最寄り駅に着いて、ルームメイトである黒子ちゃんに何の手土産も買っていないことに気づいた。その旨を白状するメッセージを黒子ちゃんに送ると、駅前のスーパーで夕飯の買い物をしているという。
とりあえず、スーパーで普段は買わないちょっといいアイスクリームを奢ることにした。
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この記事を書いた人
- 小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。
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