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飲食店経営、コロナ閉店からの復活コロナで閉店に追い込まれた老舗の函館塩ラーメン店が、不利な立地と狭い物件で再起できた秘訣とは?

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塩ラーメンの聖地・函館で長く繁盛店を続けてきたラーメン店のオーナー、吉川寿樹さん。コロナ禍で売り上げが激減、一度は閉店するも9ヶ月後、再開。しかし以前の条件からは格下の店舗での再起でした。

自力で開業。25 年で函館塩ラーメンの代表店に

ラーメンの聖地、函館で人気店を営む吉川寿樹さん(撮影/鈴木拓也)

ラーメンの聖地がいくつもある北海道。


味噌ラーメン発祥の地とされる札幌、醤油ラーメンで有名な旭川。そして、塩ラーメンでよく知られる函館があります。名店が軒を連ねる函館のラーメン店の中でも、多くのラーメンファンをとりこにした老舗「函館ラーメンえん楽」のオーナー吉川寿樹さん。


吉川さんは、ホテルに就職するも「自分でなにかやってみたい」という気持ちが強く、大好きたったラーメン店開業を決意。朝は魚の加工場で働き、夜は調理師学校。2年ほど勉強して最初は函館市の隣の上磯町でラーメン屋を開店したのがはじまりです。それが25 年前。

コロナで売り上げ 90%減。みるみる困窮

紆余曲折を経て移ってきた末広町は、函館山のふもとにあって、そこは函館観光の一大中心地。年に約 300 万人が訪れるという観光客の多くは、まずここに来ます。

2011 年の東日本大震災では津波で店も浸水するなどの被害を受けましたが、繁盛し続けていました。


しかし、2020 年にコロナ禍が直撃しました。吉川さんは、最初のうちは「そんな長く続くようなことでもないだろう」と考えていたのですが、緊急事態宣言で外出自粛となり、飲食店が感染拡大のやり玉に上げられてしまいました。


「前年比の売り上げが、10%もいかないような状態になってしまいました。営業時間の制限や休業の要請制限もあり、それに応じていましたが、当然仕事はままなりません。夏までか、それとも秋までか、これがいつまで続くんだろうと考えているうちに、『これはちょっと、ただ事ではない』と焦り始めました。


そのときにはもう、金銭的にはかなり困窮してしまっている状況でした。国や自治体から支援金は出ましたが、経費として出ていく方も大きい。自分や家族の生活もある。売り上げが前年の1割しかないわけですから、これはどうしたものかと頭を抱えました。


だんだん蓄えもなくなっていくし、先行きが見えない中で、続けていくことが困難だと結論しました。そこで、やむなく閉店という決断をしたのです」

2020 年9月、閉店。趣味のカメラで糊口を凌ぐ

吉川さんが、店をたたんだのは 2020 年 9 月のことでした。店の経営にかかわる出費はなくなりましたが、もちろん、それで気が楽になるわけでもありません。店を閉めた時点で、無収入になってしまったわけですから。


この一番苦しい時期について、吉川さんは次のように語ります。


「今までずっとラーメン屋しかやっていなかったから、別の仕事をするというのはそうできません。どうしようって迷いながらも、趣味で写真を撮っていたので、それで小遣い程度でもいいから収入を得たいと考えました。撮るのは主に風景ですが、それを Instagram に投稿していて、3 千人くらいのフォロワーがいました。


ただ、写真館とか写真スタジオを持っているわけではありません。


そこで、写真家として登録して、依頼者からの出張撮影の要望にこたえる、インターネットのプラットフォームを活用しました。ほかにも知り合いのつてで、会社を経営している人がホームページ作るので、そのための写真を撮るといったこともしました。


ただ、写真撮影の活動をしていても、どうしてもラーメン屋を不本意な形で辞めざるを得なかったという心残りが強いのです。それで、店舗の不動産情報をチェックしたり、下見に行ってみたりということはしていたのです。


その頃は、はっきり言ってしまえば、ダラダラしてしまってたというのもあるわけですよ。店を閉めてしまった時点で、『もう、どうしたらいいんだ』という絶望感みたいなものもかなりありましたし……何と言えばいいのでしょうか、意欲というものを喪失した抜け殻みたいな感じになっていました」

インバウンド狙いから地元密着で再起

ダウンサイジングした新店舗で「えん楽」を再開(撮影/鈴木拓也)

そんなおり、吉川さんはある物件を見つけ、再起を決意します。閉店から半年後の 2021 年3月でした。どのように決意したのでしょうか。


「黙っていても、お客さんがたくさん集まるような好立地では、正直ないんです。店舗は小さく、席数も少ししかありませんし。ただ、資金も乏しい状況になっていたなかで、『自分ができる』ところという視点では、家賃の手ごろさが魅力でした。


元のところへの再テナントは考えていませんでした。その時点では、コロナの脅威が続いていました。戻ったところで、観光客頼みの商売はまだまだ厳しいなと。近隣の観光名所である金森倉庫のテナントさんでも撤退したという話が、ちらほらも出てきてるなか、同じ地区に戻ったところで勝算は薄いなと。


やるならば、地元のお客さんに向けて、地元のお客さんに愛されるような店作りをコツコツやるという気持ちを念頭に置いていました。場所もそういう感じで探していたので、ある意味ぴったりの物件でした。

幸いというか、家賃は相場より低く、調理器具などはすでに持っているので、まったく新規でオープンするより、かなり安く抑えられたとは思います。ただここは、もとは焼き鳥屋さんで、店内はかなり汚れが目立つ状態でした。お金をかけられないので、カウンターにシートを貼ったりとか、壁にペンキを塗ったりとか、そういうのは全部自分が DIY でやりました。」

再開も1年は赤字続き

「9 か月のブランクを経て、何とか再開したわけですが、開店ほどない 8 月に、また緊急事態宣言が出ました。広い店舗だと、いろいろやりようがあるんですよ。でも、狭い店舗では、お客さん同士が隣り合わせで食べること自体が敬遠されました。自分自身も怖さがちょっとありました。家には、看護師の娘もいれば、高齢の父母もいますし。それで開店しても、しばらくの間は赤字っていう状態でしたね。


厳しい状況は続いたのですが、2022 年の夏ぐらいからでしょうか。コロナもちょっと落ち着き、お客さんも来てくださるようになりました。ここまで 1 年かかったわけです。そこで、『本格的に集客しなきゃ』と力を入れました。地元のフリーペーパーに、月数万円の掲載料で広告を入れたりとかですね。


まだまだ目標としてる数字には、ちょっと物足りない状況ではあるんですが、何とか赤字ではなくやらせていただけてる感じです」

集客は Instagram。#函館塩ラーメン

今(2023 年春)は、吉川さんの店には、地元のお客さんが繰り返し来ていただいてるそうです。比率としては 1、2 割くらいだそうですが、観光客も来るようにもなってきました。
お店の PR の手段としては広告のほか、Instagram が役立っているそうです。


「Instagram では、“#函館塩ラーメン”とか“#函館のおすすめラーメン”などハッシュタグを付け、函館でラーメン店を探している人に見つけられるよう工夫しています。それから、店への道順、専用駐車場の案内、クーポン情報とかを随時投稿して、気軽に来やすい店であることをアピールするようにしています。


Instagram には、ときどき自分が撮った風景写真も載せています。それは、来店されたお客さんとのコミュニケーションの種というのが 1 つ。写真から話題が広がり、楽しんでもらえたらいいなと思います。作ったラーメンの写真ばっかりだと、『来てよ、来てよ』みたいな売り込みのイメージが強くなってしまうので。


ちなみに、SNS は現状 Instagram のみです。Twitter だと、タイムラインで情報がすぐ流れてしまい、1 日 10 投稿とかしなきゃいけないので、なかなか難しいですね。」

塩ラーメン離れの中、あえて函館塩ラーメン推しで差別化

吉川さんは、新たな店では、メニューの展開にも一工夫とこだわりを見せます。変えてはいけないコンセプトと、変えてもいい柔軟性を織り交ぜ、時代の流れに対応することが、今後も長く店を続ける秘訣だそうです。


「メニューについては、前の店では塩ラーメンだけでもバリエーションが何種類かありました。今は 2 種類で、トッピングが調節できるくらいにおさえています。塩ラーメンは終日提供し、くわえて日中の時間帯は辛味噌ラーメンを、夜は醤油ラーメンを提供します。唐揚げも、この店から出し始めました。場所的に繁華街にやや近く、飲んだ流れのお客さんがいるので、ちょっとアルコールとかも置いています。唐揚げに合う、こだわりのレモンサワーもあります。


今の函館では、地元の方はどちらかといえば、こってり系のものや、味噌ラーメンだったりを好む傾向が強くなっています。塩ラーメン離れといいますかね。その傾向は、ずっと感じてたのですが、あえて塩ラーメンをメインにしています。『函館の歴史ある塩ラーメンは、やっぱうまいじゃん』と、改めて認識してもらえるきっかけになればと思いますね。塩ラーメンという素晴らしい食文化は、後世に残していかなきゃいけないなと、ラーメン屋を復活して初めて思ってもいます。


写真の仕事については、あえて宣伝はせず、依頼されれば受けるという副業的なスタンスで今はやっています。趣味の撮り歩きは好きなので、今後もコミュニケーションツールとしてお客さんとの交流に生かしていきたいです」

この記事を書いた人

鈴木 拓也
鈴木 拓也
都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。

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