オザワ部長のちょっと変わった履歴書国際線CAのキャリアがコロナで自宅待機の日々。選んだのはCAとテレビ局の兼業で東京・秋田の2拠点生活。
日本で唯一の吹奏楽作家オザワ部長が「好きなことをを仕事にする大人」を取材。今回は、航空会社とテレビ局を兼業する會田聖実にお話を聞きます。やりたい仕事を2つ掛け合わせて最強の働き方を手に入れるには?
プロフィール
客室乗務員・テレビレポーター會田聖実
今回のちょっと変わった履歴書の持ち主
會田聖実(あいだ・まさみ)
客室乗務員・テレビレポーター
1994年12月2日生まれ。東京都出身。学習院大学法学部政治学科を卒業後、2018年4月より国内の航空会社で客室乗務員として勤務。2022年4月より「移住兼業プログラム」で秋田テレビ株式会社の総務技術局メディア戦略部にも所属。「ぽち実」の愛称で秋田の魅力を発信している。
目次
究極の2拠点「兼業生活」
いまの時代、本職のほかに副業をしたり、アルバイトを掛け持ちしたりする人は珍しくない。だが、複数の職業を同時並行で掛け持ちする「兼業」を実践している人はそう多くないだろう。
會田聖実は、思いがけないきっかけから世にも稀な兼業生活を経験することになった人物だ。
ある朝、聖実は秋田空港から羽田空港へ向かう飛行機のシートでまどろみに浸っていた。
前日はテレビカメラの前での収録があった。秋田の魅力を笑顔で伝える仕事は楽しく、充実もしているけれど、やはり緊張感が伴う。一夜明けてもまだ残る疲労を回復し、睡眠も補うため、聖実は機内ではできるだけ眠るようにしていた。
ドンッという衝撃で目が覚める。飛行機が羽田空港に着陸したのだ。ほかの乗客たちとともに列を作って機内から出ると、ボーディングブリッジを通り、空港ビルへ入っていく。
だが、そこから先、聖実だけは行き先が違う。更衣室に向かい、制服に着替える。チャームポイントであるショートの髪を整え、首にふんわりしたスカーフを巻き、再び機内に戻る。そして、やってきた乗客たちに笑顔を輝かせながらこう声をかけるのだ。
「ご搭乗ありがとうございます」
小山薫堂の言葉「人は知らず知らずのうちに…」
聖実は航空会社のキャビンアテンダント(客室乗務員)として働きながら、秋田県の秋田テレビでも総務技術局メディア戦略部に所属している。東京出身だが、現在の拠点は秋田市。航空会社でフライトがあるとき、聖実は秋田空港から羽田空港まで飛行機で移動し、羽田空港からキャビンアテンダントとして乗務している。
一方、秋田テレビでは、同じくキャビンアテンダントと兼業している工藤月花とともに「ぽち実とぽち花」というコンビを組み、テレビや動画配信サービス、SNSを通じて秋田の魅力を発信してきた。
東京の航空会社と秋田のテレビ局のデュアルワーク——非常に珍しいスタイルの働き方だ。聖実がそんなユニークな履歴を持つようになった経緯を紐解いてみよう。
聖実は東京で生まれ育った。母親もキャビンアテンダントだったが、聖実自身は同じ職業に就きたいと考えたことはなかった。幼稚園の発表会で演劇をやって以来、小・中・高は演劇に夢中だった。俳優として舞台に立つこともあれば、裏方で演出や脚本なども担当した。聖実はどちらの役割も大好きだった。
大学では自ら作った劇団で活動。アルバイトではドラマのエキストラ、ラジオやテレビ番組のADなどを経験した。
そんな中、放送作家・脚本家・ラジオパーソナリティなど多方面で活躍する小山薫堂と出会った。大学卒業後にどんな道に進むべきか迷っていた聖実に、小山はこんな言葉を贈ってくれた。
「人は知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている」
どんな道を選んだとしても、人はきっと最良の選択の結果を生きているのだ——。聖実は小山のそんな言葉に勇気をもらった。
就職活動ではドラマのプロデューサーを目指してテレビ局に応募した。ところが、ことごとく落とされた。
母には「航空会社を受けてみたら?」と言われた。さほど気乗りはしなかったが、客室乗務員の養成スクールに通ってみた。そのとき、先生がこう言った。
「客室乗務員は女優よ」
聖実はハッとした。演じるのは幼稚園からずっと好きでやってきたことだ。それなら私にもできる……いや、やりたい!
東京五輪の晴れ舞台も消えた
2018年4月、聖実は航空会社に入社した。2年後に控えた東京オリンピックを見据えた大量採用組のひとりだった。国内はもちろん、ニューヨーク、ロサンゼルス、フランクフルト、ロンドンなどにも飛んだ。
制服に着替えて機内に乗り込むと、パチンとスイッチが切り替わり、女優になった。機内はステージだった。と同時に、どうやったら乗客が楽しく、快適な空の旅を過ごせるか考えて行動することも必要だ。その点ではプロデューサーに近いとも言える。女優も、プロデューサーも、どちらも自分が好きでやりたかったことだった。
ところが、仕事に慣れ始めていた2020年、コロナ禍が到来した。晴れ舞台となるはずだった東京オリンピックは延期に。国際線も国内線も乗客がガクッと減り、年間のほとんどが自宅待機となった。
聖実は「長期休みだと思って楽しもう」と楽観視していたが、2021年になるとさすがに焦り始めた。同僚の中には転職する者、アルバイトでどうにか食い繋いでいる者もいれば、フリーランスになって輝いている者もいた。キャビンアテンダントの外部への出向も始まり、ホテルやPCR検査場で働くというケースも出てきた。
聖実は高齢の祖母と同居しており、コロナ感染のリスクを避けるためにも国内のみでのフライトに絞るというような日々を送った。
そんな暗黒時代に光が差したのは、2022年初めのこと。会社が「移住兼業プログラム」を打ち出したのだ。キャビンアテンダントとして働きながら、地方に移住して兼業で別の仕事もする、というプログラムだ。だが、聖実は海外留学経験はあったが、東京から住民票を移したことは一度もなかった。
ともかく、会社に掲示された求人情報を眺めてみた。全国各地の観光局や役所、企業などの求人が並ぶ中、聖実の目は「テレビ局」の文字に吸い付けられた。秋田テレビの求人だった。
「入りたくても入れなかったテレビ局の仕事を、CAをやりながらできるなんて。私、絶対秋田へ行かなきゃ!」
そう直感した。
フライトでも行ったことがない秋田にすぐさま足を運んでみた。ひどい吹雪の日だったが、人の温かさに触れ、熱燗やきりたんぽ鍋の美味しさを知った。直感は、確信に変わった。
秋田テレビでCAのキャリアを発揮
聖実は秋田テレビに契約社員として採用されることになり、晴れて住民票を移して秋田市民になった。
秋田テレビで求められたのは、東京から来たキャビンアテンダントの視点で秋田の魅力を発信すること。聖実はカメラの前で田植えや稲刈りを体験したり、きりたんぽを作ったり、秋田音頭を踊ったりした。緊張や戸惑いもありながら、自分なりに精いっぱい秋田の魅力をテレビやネットで伝えていった。演劇でやってきたこと、キャビンアテンダントとして機内でやってきたことが大いに役立った。
生放送を終えた後、秋田の人から「いまテレビで見てたよ」「よかったよ」と声をかけられることがあった。「思い切って秋田に来て、テレビの仕事をやれてよかった」と喜びを感じる瞬間だった。
航空会社とテレビ局の仕事。傍からは華やかなデュアルワークに見えるかもしれないが、実際は良いことばかりではない。つらいことも少なくなかった。けれど、わかったことがある。いずれの仕事でも大切なのは、スキルを身につけ、経験を重ねること以上に、人との出会いやつながりだ。機内にいるときも、テレビの仕事をしているときも、出会った人々の笑顔や声に励まされた。それこそが仕事の喜びであり、仕事を続けていくモチベーションになった。
当初は1年限定と言われていた航空会社と秋田テレビの兼業だが、もう1年延長になり、2023年度も続くことになった。
その先はどうなるのか、聖実自身にもわからない。けれど、兼業を経験して、小山薫堂の言葉のとおり自分も「知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている」のだと強く実感できた。就職活動でうまくいかなかったり、コロナ禍に直撃されたりしたけれど、めったにできないデュアルワークを経験できた。
たくさんの選択肢がある人生の飛行場で、きっとこれからも自分は最良の飛行機に搭乗することができる。その飛行機は自分を最良の目的地へと運んでくれるに違いない。
その飛行機が空に描く航路が、聖実の履歴書になっていくだろう。
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この記事を書いた人
- 世界にただ一人の吹奏楽作家。早稲田大学第一文学部在学中に小説家を目指す。フリーランス歴は26年。初めはフリーライターとして活動。中学時代吹奏楽部だったことから、オザワ部長のペンネームを起用して『みんなのあるある吹奏楽部 』を出版。吹奏楽作家に。最新刊『空とラッパと小倉トースト』好評発売中。