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額賀澪のメシノタネ小説家とビーフステーキ――筆一本で食べている小説家の闘い方

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小説家・額賀澪が「好きなことを仕事にする人たち」をテーマに書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#05は小説家に対して「とりあえず書いてみて」という同僚編集者の発注の仕方に憤慨する若き編集者にフォーカス。

プロフィール

小説家額賀澪

1990年、茨城県生まれ。東京都在住。日本大学芸術学部文芸学科卒。広告代理店に勤めた後、2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞を、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。その他の著書に『タスキメシ』『転職の魔王様』などがある。

打ち合わせには綺麗な脳味噌で臨むようにしている。目の前の企画に集中できるよう、打ち合わせ前にできるだけ〆切を片づけておくのだ。

その日もなんとか原稿を担当に送り、辛うじて綺麗な脳味噌で打ち合わせに向かった。

行き先は神保町にある「森のブッチャーズ」という肉料理のお店。ちなみにここ、私がかつて勤めていた広告代理店のすぐ側にある。会社を辞めて専業作家になると決めたとき、会社の上司と取引先の人々が送別会を開いてくれた店でもある。

ランチタイムを迎え、店の外には行列ができていた。担当編集のM氏が先頭をしっかりキープして待っている。

「僕ね、今すごく会社の偉い人に憤ってるんですよ」

席に通されるなり、M氏は鼻息荒く「もー、信じられない!」と憤慨した。M氏は私より少し年下の、二十代の若手編集者だ。

「いいですね、何に憤ってるのか教えてください。雑談とゴシップは大好きです」

私は雑談が好きだ。3時間打ち合わせをしたら、肝心の企画の打ち合わせなんて1時間……下手したら30分くらい。あとはずーっと雑談だ。

「事件ですか? 事故ですか? ケンカですか?」

雑談をすると大量のゴシップが手に入る。些細なものからどえらいものまで、幅広く。

私は下世話な気持ちで業界ゴシップを収集しているわけではない。ゴシップは――情報は、フリーランスの自衛手段なのだ。

「うちの部署の偉い人が、作家さんの原稿をボツにしたんですよ。しかも『つまらないからボツ』の一言で! 事前の企画会議でプロットをチェックしてGOサインを出したのに、改善案のひとつも出さないで『つまらないからボツ』なんて、無責任が過ぎると思いませんか?」

ランチメニューのビーフステーキプレートが運ばれてきた。180グラムの分厚いステーキに、たっぷりのフライドポテト。何故かフライドチキンが一つ。

「プロットをちゃんと読まないで、『とりあえず書かせてみて、つまらなかったらボツにすればいい』って姿勢で仕事してるんですよ。そんなの、作家さんに失礼じゃないですか。不出来な原稿を刊行しろって言ってるんじゃないんです。長編を書き上げるところまでやってもらったんだから、せめて『どうすれば本にできるか』とアイデアを出すべきですよ。あっさりボツにするなら、プロットの時点で指摘するべきです」

ステーキ肉にザクザクとナイフを入れながら、M氏はまくし立てた。それで少しすっきりしたのか、小さく肩を落としてお冷やをがぶ飲みする。

「あっ、安心してください。額賀さんの原稿は僕が絶対にボツにさせません。ハンストしてでも出します」

「偉い人の所業にそこまで怒るM君なら大丈夫だろうと信頼してるんで、とりあえずご飯はちゃんと食べてね」

そう、こうやって怒る若手編集者がいるなら、まだこの編集部は大丈夫。若手までがその偉い人の感覚で仕事するようになったら……どうしようか。とりあえず、もう仕事はしないだろうな。

ブッチャーズのステーキは、会社勤めをしていた頃と変わらず美味しかった。肉は分厚いけれど柔らかくて、でも噛み応えはあって、とにかくシンプルに「肉を食っている」という満足感を味わわせてくれる。箸休めになるのかわからないが、合間に食べるフライドチキンもとってもジューシー。

M氏は大きくカットしたステーキを頬張りながら怒りが再燃しているようだった。まだ入社数年だから、偉い人の言動に憤っても、直接もの申すことはできないのだろう。

言いたいことはあるけれど吐き出す場所がない。そういう人が、いいゴシップをくれるのだ。

「ちなみに、その偉い人って、○○さんと××さん、どっちですか?」

 M氏の編集部で、M氏の立場から見た〈偉い人〉となると、自然とその二人が思い浮かぶ。

「……後者、ですけど」

「なるほど。では、情報源を伏せて知り合いの作家には注意喚起しておきますね」

あのう……とナイフを動かすのをやめたM氏に「情報源は伏せるので」と繰り返す。

「こういう話がね、フリーランスの身を守るんですよ。他の作家にそういう失礼な対応をするってことは、その偉い人はいつか私にも同じことをする可能性がある。それがわかってるだけで、自衛できるってもんです。ボツにされた原稿を持ち込む編集者のアタリをつけておくとかね」

「そうならないように頑張ります……ハンストしてでも……」

「ご飯はちゃんと食べようね」

肉が冷めてしまったらもったいないから、そこからはゴシップもそこそこに、食事を楽しむことにした。

……が、こんな話をしてしまったら、いろいろと考えてしまうわけだ。ペダルを漕ぐみたいに顎を動かし、脳味噌がぐるぐると回り始める。勝手に仕事のことを考えてしまう。

肉を食べているから、体が自然と「仕事を頑張ろう」と思ってしまうんだろう、きっと。

悲しいかな、M氏が憤っている〈偉い人〉の振る舞いは、そう珍しいことではない。私の知り合いだけでも、複数人が似たような目に遭っている。

何度も編集と打ち合わせして、やっとプロットができあがった。ところが編集が異動になり、引き継ぎもされず、プロットがなかったことにされた作家。

練りに練った企画が編集会議でボツにされた途端、熱心にやり取りしていた編集が「まあ、最初からちょっと企画が弱いなと思ってたんですよね」と匙を投げてしまったという作家。

編集の方から仕事を依頼してきて、数年かけて取材して、やっと原稿が書き上がった。ところが「この作家はうちの会社で実績がないから」という理由で編集長からボツにされた。担当編集は「というわけで、ごめんなさい」とメールを寄こしたきり音信不通……なんて作家もいる。

どうしてこんな悲劇が起こるかというと、編集者の多くは会社員で、作家のほとんどが(専業作家・兼業作家関係なく)フリーランスであるという、仕事上の大きな立場の違いがあるからだ。

私だって面白半分にゴシップを集めているのではない。真のゴシップ好きはそこからトラブルの原因を解き明かすのを楽しむものだ。

会社員は当然ながら固定給がある。今抱えている企画が、プロットが、原稿がボツになっても、その月に1冊も本が出なかったとしても、(社内での評価云々は置いておくとして)来月の給料はちゃんともらえる。

フリーランスである作家は、作品が世に出なければお金にならない。1年かけて書き上げた原稿をボツにされたら、「その原稿にかけた時間がすべて無給になる」ということだ。

フリーランスとはそういう立場にあるのだと理解していない編集者ほど、あっさりとフリーランスの労働を〈ゼロ円〉にする。本気で実現させる気もないのに企画書を作らせたり、上司がちょっとでも難色を示したらあっさりと企画を捨ててしまったり。

M氏がぶつぶつ言っていた通り、何も不出来な原稿を、面白くない企画を、何でも本にしろと言いたいわけではない。

ただ、あなたの言う「ボツ」が、とても重いこと。相手の生活や命を握っていること。

それを本当にわかった上で、覚悟して、「ボツ」って言ってますか?

――とは、M氏のいる編集部の〈偉い人〉には言ってやりたいですね。

「編集者ってこわーい」と読者を怖がらせてしまうような話を書いたが、これはフリーランスである作家から見た景色であり、出版社には出版社の事情がある。

出版不況が日常となった現代、「数字しか見てない出版社&高給取りの編集者VS立場の弱いフリーランス達」なんて構図で不平不満をぶちまけるのは、きっとあまり建設的ではない。結局、出版社だろうと作家だろうと、会社員だろうとフリーランスだろうと、出版不況の中で共闘していかねばならないのだから。

だからこそ、お互いの事情を理解し合って仕事をしていきたいとつくづく思う。

そんなふうに相手の事情を思いやるには、自分の心にゆとりがないと絶対に無理だろうから、美味しいものを食べて、たくさん働くしかないのである。ゴシップを集めて、自衛をしながら。

同じようなことを、会社を辞めて専業作家になると決めたときに思った。自分の心を狭くしないように働いていこうと、この店で送別会を開いてもらった帰りに考えた。餞別の品として、お世話になった取引先の人々がデビュー作のカバーをプリントしたクッションをくれた。

M氏とたらふく肉を食べ、肝心のプロットの話を30分して、さらに30分雑談をして、その日の打ち合わせは終わった。

M氏の今年の下半期の目標は、「ハンスト以外の方法で偉い人に対抗する術を身につける」ということになった。

送別会でお世話になった取引先の人々からもらったデビュー作のカバーをプリントしたクッション

この記事を書いた人

額賀澪
額賀澪小説家
小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。

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