Series
連載

額賀澪のメシノタネ小説家とボルシチ――“好きな仕事”にメンタルをやられたら

ログインすると、この記事をストックできます。

小説家・額賀澪が「好きを仕事にする人たち」にフォーカスして書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#03のテーマは「好きなことを仕事にした人がメンタルをやられたら」。好きなことを仕事にし続けるために必要なこと。 メンタルが落ちた時のSNSとの関わり方とは……?

プロフィール

小説家額賀澪

1990年、茨城県生まれ。東京都在住。日本大学芸術学部文芸学科卒。広告代理店に勤めた後、2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞を、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。その他の著書に『タスキメシ』『転職の魔王様』などがある。

先日、某インタビュー取材で「体を壊すのが兼業、精神を病むのが専業」という話をした。

意味はそのままで、本業と副業に追われる兼業作家は過労で体を壊しやすいし、収入が作家業一本に集中する専業作家はメンタルをやられる可能性がまあ高い。

このインタビューを読んだらしい友人のシナリオライターから久々に連絡があった。「エッセイに登場させたいからニックネームがほしい」と聞いたら、「じゃあボルシチで」と言われたので、このエッセイではボルシチ先輩と書く(彼女の方が私より年上なので)。

ボルシチ先輩と食事に行く約束をし、向かった先は新宿のロシア料理店・スンガリーだ。店を選んだのは先輩だった。

「一緒に仕事してたシナリオライターが飛んだ」

乾杯もまだだというのに、薄暗い店内で目元に濃い影を落とし、ボルシチ先輩は言った。

ボルシチ先輩はゲーム会社でシナリオライターをしている。一つの作品に何人ものライターが参加するので、社外にいるフリーのシナリオライターにも仕事が割り振られる。

そのうちの一人が「メンタルをやられてもう書けません」と言い残し、音信不通になった。その人の分をボルシチ先輩がカバーすることになって、先輩はキャパオーバーでこの状態らしい。

「私とロシア料理を食べに来てる場合なんですか?」

「来てる場合ではない。場合ではないのだが、あまりにもストレスが天元突破していて仕事どころではない」

そう言ってボルシチ先輩はビールを一気飲みし、二杯目を早々に注文する。私は乾杯を諦めてノンアルコールのカクテルを一口飲んだ。美味しかったのだが、このエッセイを書く頃には何という名前のカクテルだったのか忘れてしまった。レモン味だった気がする。

「嫌な予感はしてたんだよ。そのシナリオライターのTwitter、ずーーーっと鬱ツイートばっかりだったから。やりたいジャンルの仕事が来ないとか、稼げないとか、自分の代わりなんていくらでもいるとか、コミュ障だから営業もできないとか、このままじゃ五年後は廃業してるとかさあ……」

ボルシチ先輩の愚痴を聞きながら料理をひとつひとつ注文するのが面倒だったので、コース料理を頼んだ。一品目はサーモンマリネのブリヌイクレープ包みだった。程よい塩気のサーモンが甘いクレープ生地で包んであって、これがとても美味しいのだ。

「なるほど、病んでますね。SNSで垂れ流してる時点で相当だ」

「フリーランスの物書きが大変なのはわかるよ。不安だし孤独だし、メンタルも不調になりやすいだろうよ。先行きが不安なのもわかるよ。でも、大人なら自分のことはまず自分である程度ケアしてくれ。唐突に音信不通だけはやめてくれぇ」

きええっ、とこめかみを掻きむしるボルシチ先輩を横目に、私はひっそり「サーモン美味いなあ、海の生き物の中で一番美味いなあ」とクレープ包みを楽しんでいた。

実はこの日、私は原稿を一本仕上げてからスンガリーに足を運んでいた。

〆切明けは美味しいものが食べたくなる。そして、美味しいものを食べていると、不思議と大真面目に仕事について考えてしまう。どうせなら仕事のことなんて忘れて美味しいものを堪能すればいいのに、反対のことをしてしまう。

「メンタルがやられる前に対策を打っとかないと、好きで始めた仕事も嫌いになりますからね」

「いや、額賀は鋼メンタルだろう。あんたのTwitter、ずっとご陽気だし」

「いやいやいや、私だってメンヘラになるときありますよ。SNSに書かないようにしてるだけで」

作家もシナリオライターも似たようなもので、書くのが好きで目指して、好きをエネルギーに続けてきたはずなのに、仕事であるがためにメンタルを不安定にさせてしまうことが多々ある。

好きなことを仕事にするとはつまり、24時間365日ずっと楽しくてハッピーなわけではなく、仕事だからこそ苦労もあれば辛いことも悲しいこともある。理不尽な目に遭うこともある。

〈好き〉を仕事にしているからこそ、その〈好き〉が自分を苦しめているという事実が一層しんどくなるわけだ。

「作家として本の宣伝をしているアカウントで『仕事辛いです~将来不安です~どうせ私の本なんて売れてないし~』ってネガティブなことばかり呟いたり、『出版業界に未来はない~この業界のここがダメ~』って愚痴ばかり呟いたりしても、ファンや仕事関係者や友人に心配をかけるだけで、いいことがないと思ってるだけですよ。フリーランスだからこそ、自分の名前にネガティブなイメージをつけたくないというか」

「わかる、自分の好きなクリエイターのSNSの使い方が残念だったときのショックって、でかいよね」

「愚痴を言いたくなるときもありますけど、自分で何かオチをつけるとか、笑い話にするとか、せめて読んだ人が気分よくいられるようにしたいなとは思いますよね。ネガティブ芸というか、そういうキャラの人ならまた話も別なのかもしれんですけど」

私流の「メンタルがやられる前の対策」とは何なのかと、真っ赤なボルシチが運ばれてきたところで、ふと考えた。私はどうやって、〈好き〉を〈嫌い〉にしないためにバランスを取っているのだろう。

いつも勘とノリで済ませてしまうことを、元気なときにきちんと言語化しておく。そうすれば、いざ勘とノリで済ませられなくなったときにシステマチックに運用することができる。

そんな話を二十代の頃にしてくれたのは……おや、目の前にいるボルシチ先輩ではないか? 自分が普段どういうロジックで文章を紡いでいるか。無意識のうちに使っているテクニックを言語化しておくと、筆が進まないときもロジックとテクニックに頼って執筆することができる、と。

「先輩、私のメンタルがやられる前の対策は『親しい人と美味しいものを食べて愚痴を言い合う』なんですけど、ボルシチ先輩は何ですか?」

「あーそれそれ、私もそれだよ。SNSで愚痴るより、生の人間を前に吐き出すのが一番だよね。SNSで垂れ流したらただのネガティブと愚痴だけど、飲み会で話せば美味い酒の肴になるじゃん」

なるほど、じゃあ先輩は今日、「メンタルがやられる前の対策」として私と食事をしているのか。

スンガリーのボルシチは美味しかった。薄暗い店内でも鮮やかな赤色と、サワークリームの白。コントラストが美しくて、クリームを溶かすのが惜しい。惜しいのだが、溶かした方が美味しいから問答無用で溶かして食べた。

トマトの酸味、根菜と牛肉の甘さが合わさったまろやかな味に、先輩は「優しいねえ、優しい味だねえ、ボルシチって名前に改名したいよ」と繰り返した。かくしてこのエッセイでの先輩の呼び名はボルシチ先輩になった。

コースのメイン料理であるシャシリーク(仔羊肉の串焼き)が運ばれてくる頃には、ボルシチ先輩は「あいつの分なんて三日で終わらせてやるよ」と高笑いしながら仔羊肉を噛み切るくらいには元気になっていた。


《小説家という仕事とは I am 額賀澪インタビュー》



額賀澪新刊「タスキメシ五輪」

この記事を書いた人

額賀澪
額賀澪小説家
小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。

ログインすると、この記事をストックできます。

この記事をシェアする
  • LINEアイコン
  • Twitterアイコン
  • Facebookアイコン