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人生を変えるI amな本韓国ソウルでお店を構えた一人自営業「書籍修繕家」ジョエン。ニッチすぎるビジネスを続けられたワケとは>

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「はたして本を修繕しに来る人がいるのだろうか?」と本人も思うほどニッチビジネス。スモールビジネスの中でも極小ビジネスは「書籍修繕家」。

こんなことが仕事に? 本の修繕家

個人事業主ならではの仕事は世の中にたくさんありますが、今まで聞いたこともない職業が多いのもこの世界です。


最近だと、痛んだ本を修繕する「書籍修繕」という仕事があることを知り、ちょっと驚きました。


きっかけは、『書籍修繕という仕事: 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(原書房)という 1 冊の本。図書館の新刊コーナーに置いてあったのが、ふと気になり、手に取って読んでその世界に引き込まれました。

米国留学が転機となって 1800 冊の書籍修繕

本書の著者はジェヨンさん。韓国の美術大学を経て、2004~12 年までグラフィックデザインの仕事をしていたそうです。


それが、2014 年にアメリカの大学院に進学したことで、人生行路が劇的に変化します。「韓国では聞いたことのないおもしろそうな専攻名」という理由で、ブックアートと製紙を学ぶのですが、指導教授から「書籍修繕家として働きながら学んでみてはどうか」というアドバイスを受けます。


ジェヨンさんは、興味の赴くまま、大学図書館のくたびれた蔵書を修繕する仕事を始めます。
そこで働いた期間は 3 年 6 か月。およそ 1800 冊の本を修繕し、スキルを身につけました。


帰国後、ソウル市の街中で、「自分がのちに、こんなふうに本を修繕しながら生きることになるとはまったく思っていなかった」事業を立ち上げます。屋号は「ジェヨン書籍修繕」。2018 年 2 月のことでした。

独立後に味わった「一人自営業者」の辛さ

独立して店を構えた時の一番の心配は、やはりというか「はたして本を修繕しに来る人がいるのだろうか?」だったそうです。それは杞憂に終わり、それなりに繁盛していることがうかがえます。


一方、開業に伴う困難には悩まされたようです。税務署に事業者登録をし、不動産物件を契約するといった、スタートアップ時の煩雑な手続きがまずありました。開業後も、依頼の受け方や断り方、「丁重に腹を立てる方法」といったコミュニケーション上のスキル、はては「SNS でハッシュタグをたくさんつける方法」などなど。修繕の仕事に一意専心したいけれど、そうもいかないという現実と向き合いました。

税務、会計、広報、相談など一切をアウトソーシングできるほどの余裕がない「一人自営業者」の場合、結局それらすべてが自分の本来の業務であり、そう考えなければ仕事が回っていかないのだった。(本書 70p より)

まさに個人事業主あるあるの展開。ここでつまずいたり、モチベーションがダダ下がりしてしまう人も多いのですが、そこは試行錯誤しながら乗り越えて行きます。

仕事観すら変えた最初の仕事

どちらかといえば消耗品とみなされている書籍。なのに「修繕してほしい」と依頼する持ち主は、その書籍に並々ならぬ思いを持っている人たちです。


ジェヨンさんが受けた、開業第 1 号の依頼もそうでした。書名は『’89 施行 改正ハングル正書法収録国語大辞典』。上下巻のずしりと重い辞典で、歳月の流れが容赦なくこの本を傷めつけていました。


新版に買い替えるでなく、相応の費用をかけてまで修繕を望むのは、依頼人が幼い頃、友だち代わりに読み親しんだ本であったからです。


本の損傷は深刻なものでしたが、ジェヨンさんはこれまで培った技量を発揮し、満足のいくレベルで修繕しました。この最初に手がけた手仕事が、ジェヨンさんの職人魂とでも呼ぶべきものを開花させます。

ただミスなく作業をやり終えたことにひとり満足していた。ところが、その後、本を引き取りにきた依頼人の口にした一言が、書籍修繕家としてのわたしの姿勢を完全に変えたのだ。
「子どものころの友だちがまた戻ってきたみたいです」
それを聞いた瞬間、どれほど感激したことか。ひとり浮かれるのも気恥ずかしくて、依頼人の前ではなんとか冷静なふり、なんでもないふりをしていたけれど。(本書 18p より)

この出来事が、仕事で疲れたときに、「心の中に色とりどりの花火」となってジェヨンさんを励ますそうです。

個人事業主に共感と気づきを与える物語

その後、持ち込まれてくるものは書籍にとどまらず、祖母の日記帳、結婚アルバム、ラブレター、しおり(そう、本に挟むしおりです)など、大なり小なり挑戦を伴う仕事が大半を占めます。


ジェヨンさんは、その一つ一つと真摯に向き合い、ベストの修繕を目指して、日々奮闘するさまが綴られます。


本書は、書籍修繕という馴染みない仕事でありながら、個人で事業を営む人に共感と気づきを与える好著。特にフリーランス・個人事業主になって、日の浅い方にはおすすめしたい 1冊です。

この記事を書いた人

鈴木 拓也
鈴木 拓也
都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。

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