入れ替わり激しい飲食業界。星付きシェフとして経営者として、ブレないコンセプトを持ち続けるには?挫折と本から生まれた料理人のブレない軸。「BOTTEGA」笹川尚平が中国料理の名店「竹爐山房」で学んだこと。
6年連続ミシュランの星を獲得し続けている東京広尾のイタリア料理店「ボッテガ」のシェフ・笹川尚平さん。実は「本当は楽したい」けど、ブレないように自分に言い聞かせていると言います。
プロフィール
ミシュランシェフ笹川尚平
目次
睡眠時間を削って読んだ中国の歴史書や小説
料理だけでなく、読書のノルマもすごかった
専門学校卒業後、最初に修業したのが「竹爐山房(ちくろさんぼう)」でした。このお店のオーナーシェフは、料理人であり、中国料理の研究者ともいえる博識な方。料理は文化で、その根っこは郷土料理にあると教えてもらいました。大きなテーブルにいろんな分野の本を広げて、自分が納得するまで新しいメニューを追求している姿にも衝撃を受けましたね。中国の歴史書をもとにした、吉川栄治先生の小説『三国志』を読んだりもしました。先輩から「どこまで進んだ?」と聞かれるので、ノルマみたいに、すごく少ない睡眠時間を削ってでも読んだんです。そういうところから、僕の料理人としての道は始まった。原点なんです。あの場所で過ごしていなかったら、本に生かされることもなかったし、何をやっていたか想像できないです。ひょっとしたら、自分の好き勝手にやってる料理人だったかもしれないですね。
富山から東京に出てきて、初めて見る世界
僕は富山出身。竹爐山房で働くために東京へ出てきたんですけれど、富山にはなかった情報が溢れていて、それを全身に浴びるような日々でした。
いろんな料理を食べ歩くうち、イタリア料理に出会いました。料理、ファッション、車など、イタリアに関するすべてがかっこよく思えるほど惚れこんで。15 歳のときに料理人になると決めて専門学校に入学、そして卒業するまでの間、絶対中国料理でやっていくんだとブレずにきた。それが東京に来て数か月で崩れました。
竹爐山房で学んだ読書術でイタリア料理にドはまり
僕は今でも、やっぱり中国料理最強だなって思っています。だから、20 歳でそれを超えてやりたいことが出てくるなんて、想像もしていなかった。イタリア料理のことすら知らなかったのに、イタリア郷土料理の本を買って、辞書を片手に訳すことに夢中になるなんて、思いもよらなかった。郷土料理という料理文化の根っこにいったのは、竹爐山房の影響があったからなんでしょうね。
料理人としての「ブレない軸」は挫折から生まれた?
一年で竹爐山房を辞めた挫折感
竹爐山房は 20 席ないぐらいの、地下 1 階にあったお店。それでも全国からお客様が来ていました。著名な作家さんやいろんな方がいらっしゃるたびに、先輩が「〇〇さんはこういう人だから、しっかりやれよ」と説明してくれました。
竹爐山房を辞めたのは、イタリアの食文化に魅了されたのと同時期に、店舗移転があったから。もっと広い場所で展開していくことになって、スタッフの募集がかかったんですね。このタイミングでもうやめますと言ったほうがいいなと考え、伝えました。「ブレてはいけない」と思っていたのに、一年で辞めるのは自分の中でも想定外でした。
実直でブレない母の姿
僕の母の目標は、自分のお店を開くことでした。やりたいのはこれだとはっきりと言わなかったんですけれど、背中で見せてくれました。実現してからは、いつも調理場に立って、お客様に笑顔でサービスして。育ち盛りの息子二人を育てながらだったから、大変だったと思います。体調が悪い中働いて、倒れている姿を何度も見ました。でも、愚痴や泣き言を言わない強い人でした。実直でブレない母の姿をずっと見ていたから、中国料理からイタリア料理に転向したことを自分では「ブレた」と思ったんです。
本当は「楽したい」けど、ブレないように言い聞かせる
「ブレないようにしなければ」と強く思うようになったのは、竹爐山房を一年で辞めたことが影響していたのかもしれません。辞めたあとの僕は、25 歳のときにイタリアへ行く、独立して自分のお店を開くと決めて、ひとつずつ実現していきました。
僕は「毎日楽したい」と思ってるんです。でもこの時の「ブレないようにしなければ」との思いが支えのひとつになっているのかもしれません。バカ正直に決めたことを貫いてきたと思うし、これからもそうありたい。だとしたら、この時の経験はすべてつながっているなと思います。
母への想いを常に忘れず
自分のお店を開いたことによって、母の記憶が蘇ってきたんです。母には自分のお店を開く目標があって、僕が 10 歳の頃に自宅兼店舗を作る形で実現しました。念願のお店を開いた当時の母と、今の僕を重ねると、離婚して子供 2 人を抱えていた母は大変だっただろうなって。42 歳で亡くなったんですが、僕が小学生じゃなく社会人で少しでも稼げていたら、母の悩みを理解できていたら、としみじみ思いました。
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この記事を書いた人
- 「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。