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みらいのとびら 好きを仕事のするための文章術【ワーク】想いを箇条書きにすればプロフィール文が書ける!一緒にやってみよう【第4回】

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文章のプロ・前田安正氏が教える、好きを仕事にするための文章術講座。第3回は、思考の言語化について考えてみよう。

理由を箇条書きにするだけでストーリーは書ける

箇条書きにした想いを文章にする方法

いきなり言語化するのは難しい。だからその前に好きなことを仕事にしようと思った理由や思いを50個書き出して、そこに隠れている「ことばの芽」を見つけることから始めよう。前回はそんなお話をしました。

今回はギターで仕事を始めようという例に取って、「ことばの芽」を見つけ文章にしていくまでを見ていこうと思います。

前回、次のようなことを例示しました。

  • ギターを始めたきっかけ
  • うまくなるためにどういう努力をしたか
  • その際に何を参考にしたのか
  • その結果、どういう効果があったのか
  • ギターが楽しいと思った理由
  • その結果、得られたもの
  • どうしてギターを仕事にしようと思ったのか
  • 楽しいと思ったギターの何を伝えたいのか

ステップ① 好きを仕事にしようと思った理由・想いを20個書き出す

好きなことを始めたきっかけは?

これを元にストーリーづくりをしていきましょう。まず、好きなことを仕事にしようと思った理由や思いを20ほど書き出してみます。あなたもノートに書いてみてください。まずは、好きなことを始めたきっかけから始めましょう。

1.中2の兄がギターを弾いていたのを見て、自分でも弾きたいと思った。
2.それは小学校5年の時だった。
3.兄のギターをこっそり使ったのがばれて大げんかになった。
4.母にギターをねだったが、中学に入るまで我慢するよう言われた。
5.父に話すと、ギターを弾くのは不良だと言われた。
6.「それじゃ、兄は不良じゃないか」と思ったが、父には言えなかった。
7.ふてくされて勉強はしなかった。
8.コードを覚えるために、鉛筆ケースに輪ゴムを6本渡して、それを指で押さえて練習した。
9.友達の真人君の家に遊びに行ったとき1枚のレコードに出会った。
10.友達のお兄さんがレコードをかけていた。初めてジャズというものを聴いた。
11.お兄さんがウェス・モンゴメリーというジャズギタリストだと教えてくれた。
12.『The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery』というアルバムだった。
13.インクレディブルは「信じられないくらい」「すっげー」っていう意味だと教えてくれた。
14.つまり「ウェス・モンゴメリーのすっげージャズギター」っていうタイトルだと教わった。
15.このタイトルに僕はのけぞった。自分のことをすっげーって言えるんだ。
16.でも、確かにカッコよかった。
17.「In Your Own Sweet Way」という曲が特に大好きになった。
18.ピアノから静かに始まり、そこにギターの音が被さっていく。
19.柔らかな陽が降り注ぐ静かな森の中を散歩しているみたいな気持ちになった。
20.家に帰ってからもそのギターの音色が頭の中をぐるぐる回っていた。

こんな具合です。

これは「ギターを始めたきっかけ」にあたるところです。ほぼ箇条書きの短文です。きっかけを挙げるだけでもこれだけの素材が浮かんできます。この次に「うまくなるためにどういう努力をしたか」「その際に何を参考にしたのか」などを書き足していくと「好きを仕事にする50のエピソードはそう難しくないことがわかると思います。

ここに挙げた20短文を順につないでいっても、ある程度文章になります。しかし、この中でも一番心に残った部分を最初に書いていくようにします。たとえば、ウェス・モンゴメリーのギターを聴いたときの印象が強ければ、まずそこを書いていきます。

書き出した想いをまとめてみよう

【1〜20のまとめ】

小学5年の春だった。友達の真人君の家に遊びにいくと今までに聴いたことのない音楽がかかっていた。リビングで真人君のお兄さんがレコードをかけていたのだ。僕の兄が弾いていたフォークソングとは違い、とても大人の雰囲気がしてカッコよかった。

ウェス・モンゴメリーというジャズギタリストの『The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery』というレコードだった。日本語に訳すと「ウェス・モンゴメリーのすっげージャズギター」っていう意味だと真人君のお兄さんが教えてくれた。自分の弾くギターのレコードを「すっげー」って言っちゃうんだ、と僕は驚いてしまった。でも、本当に「すっげー」演奏だったのだ。

「僕もこんなギターを弾けるようになりたい」

僕は家に帰って早速、兄が大切に使っていたギターをこっそり持ち出して自分の部屋でジャカジャカかき鳴らしてまねをした。すっかりお気に入りになった「In Your Own Sweet Way」という曲が、頭の中でずっと鳴り響いていた。この曲を聴いたとき、柔らかい陽が降り注ぐ森の中を散歩しているような気分になったのだ。

僕はその曲を弾いた、つもりになった。しかしそれは単なる騒音、雑音でしかなかった。何しろ初めてギターを弾いたのだから。

その音を聞きつけて、兄が飛んできた。「勝手にひとのギターをいじるな!」。取っ組み合いの大げんかになった。僕は母に散々怒られた。初めてのギター体験は、傷だらけに終わった。

僕は両親にギターをねだった。しかし、ギターよりも勉強をしろと言われ、けんもほろろに一蹴された。中学に行くまではダメだというのだ。それでも諦め切れない僕は、筆箱に輪ゴムを6本かけて、ギターのネックのようなものをつくった。それを使って見よう見まねでコードを押さえる練習をしたのだ。

箇条書きにした素材は「ことばの芽」です。それにディテールを加えていくと700字ほどの文章ができあがりました。ギターを始めようと思ったきっかけの部分だけで、これだけ書けるのです。

初めて聴いたジャズギターのタイトルにある「Incredible」を「信じられないほど」とか「とてつもない」という訳さず、「すっげー」と真人君のお兄さんが訳したことに大きな意味があります。まさに「すっげー音楽」に触発されて、兄が大切にしているギターを手に取ったのです。

ステップ② 小さなエピソードを20個書き出してみる

どうやって好きなことを続けてきたのか?

さらに、どうやってギターと付き合い続けたのかなどを書いていきます。箇条書きでいいので、思い出した順に書いてきましょう。

21.ギターを買ってもらえない僕は、中学受験に真剣に取り組んだ。
22.エスカレーター式に大学まで行けるところなら、ギターを弾く時間をたっぷり取れると思ったからだ。
23.希望通り、大学付属の中学に合格した。
24.そして、合格祝いにアコースティックギターを買ってもらった。
25.筆箱で練習したコードを弾いた。
26.音が鳴った時には涙が出そうなほど嬉しかった。
27.そこからは勉強そっちのけでギターの練習をした。
28.軽音楽の部活にも入った。そこにジャズ好きの友人もできた。
29.ジャズギターの教室にも通った。お小遣いはすべてCDやレコードに費やした。
30.成績はギリギリ。それでもなんとか大学にも進学でき、ジャズバンドの部活に入った。
31.大学時代は授業そっちのけで、ジャズとアルバイトの毎日だった。
32.大学3年の時、バイトで貯めたお金でニューヨークのジャズライブを聴きに行った。
33.レイト・ナイト・セッション(Late Night Session)で、新人アーティストのパフォーマンスも聴くことができた。
34.本格的にジャズギターの勉強をしようと、僕はそのまま日本に帰らなかった。
35.毎日、毎日昼に練習をして、夜はジャズクラブで働きながらギター弾かせてもらった。
36.しかし、まったく歯が立たなかった。ブーイングをもらったこともある。
37.オーナーからは「チャンスはどこかにあるものさ」と言われた。
38.それのことばが突き刺さった。一時はプロになろうと思っていたのだが、身をもってハードルの高さを知った。
39.2年ぶりに日本に帰ってきた。
40.大学の仲間は、ほとんど社会に出ていた。

中学から大学までの間のエピソードを20個ほど、並べました。気負わず、小さな出来事を紡いでいくだけでいいのです。さほど難しい作業ではないと思います。さあ、これをまた文章にまとめていきましょう。アウトラインは書けているので、これを元にディテールを重ねていくようにしましょう。

書き出した想いをまとめてみよう

【21〜40のまとめ】

中学生にならないとギターを買ってもらえない。ならばと、僕は一念発起して勉強に打ち込んで、中学受験を目指した。大学の付属なら、あと10年時間が自由になって、ギターを思う存分楽しめると思ったのだ。それに、中学受験に成功すれば親からも自由になれる。2年間、ひたすら勉強をした。もちろん、筆箱ネックでコードの練習だけは欠かさなかった。

思いが通じて、僕は晴れてギターを手に入れることができた。両親からの合格祝いだ。一日中ギターを手放すことはなかった。早速ギター教室にも申し込んだ。部活も軽音楽部に入った。お小遣いやアルバイトのお金は、すべてCDやレコードに費やした。学校の勉強は省エネにして成績は中の中くらいに収め、進学に障りがないようにした。このまま10年間自由にギターを弾けることが目的だった。

高校に進学して、ジャズギターの教室に通い始めた。クラシックやフラメンコではなかくジャズギターをマスターしたかった。大学進学もギリギリで通過して、僕は早速ジャズバンド部に入った。授業そっちのけで、朝から晩までギターを弾いて、ライブハウスでセッションもした。いっぱしのギタリスト気取りだった。

大学3年の時、アルバイトで貯めたお金でニューヨークに行った。本場のジャズを聴きに行くためだ。バードランド、ブルーノート、ヴィレッヂ・ヴァンガードなどのジャズクラブに出かけた。クラブの扉を開けるだけで、手が震え、心臓が口から出そうだった。

レイト・ナイト・セッションで、新人アーティストの演奏にも触れることができた。このまま、観光客として終わるのか、と思うと悔しくてならなかった。

僕は、アメリカに留まることにした。英語もほとんど話せなかったし、よくそんなことができたと思う。そして、ジャズギターを習ったのだ。

夜は小さなジャズクラブで働かせてもらった。名もないアーティストたちの力量に圧倒された。「一緒にやってみないか」と誘われたが、まったく歯が立たなかった。そうこうしているうちに、2年ほどが過ぎていた。

切り詰めながら生活していたせいで体調を崩した。ギターの腕もいまひとつ伸びなかった。「チャンスはどこかにあるものさ」。クラブのオーナーの一言が、胸に刺さった。それは「プロは難しい」という意味に聞こえた。そして「あれ、何のためにギターの勉強をしていたんだ? 僕はプロを目指していたんだっけ」という根本的な疑問にぶち当たってしまったのだ。日本に帰ることにした。大学の仲間はみな就職していた。

ここは、ギターにどっぷり浸かった学生時代の話が1000字ほど続きます。

ギターを買ってもらい、自由にそれを楽しむ時間を確保するために、いったん中学受験に向き合うという戦法をとったのです。好きなギターをひたすら楽しむ幸せな時間です。

本場のジャズを聴きにニューヨークに行って、大いに刺激を受けて突如、アメリカに残ってギターの勉強をしようと思い立ちます。ところがプロを目指している集団の中にいて、オーナーの一言が胸に刺さります。目的のある者と、それが曖昧な者との違い。いまさらながらそこに気づかされたのです。

好きを極めようとするときに、どこに自分が向かっているのかが、わからなくなることがあります。それを仕事にしようとするのか趣味としていくのか。これまでのアップダウンを振り返っておくことも重要です。「なぜ、好きなことを仕事にしようと思ったのか」。好きなことを仕事にすると楽しめなくなる側面も出てきます。それは、プロとアマチュアの違いとも言えます。プロとして仕事をするということは、自らが責任を負うということだからです。

ステップ③ あと一息!想いをあと10個書き出してみる

好きなことを始めてつまずいたこと、克服した方法は?

さらにこの続きを確認していきます。あと10ほど「思い」を書き出していきます。ここでは、好きなことを始めてつまずいたこと、そしてそれをどう克服したのか、などを書いてみてください。

41.大好きなギターだったのに、急に熱が冷めるような感覚に陥った。
42.大学の仲間は上手に趣味を楽しみ、うまく社会に溶け込んでいった。
43.アメリカでプロとして日々を生きているアーティストを目の前にして、自分の目的すらはっきりしていない自分が情けなかった。
44.2年留年して、僕はある企業の経理の仕事に就いた。
45.音楽とは無縁の生活になった。5本ほどあったギターはアコースティックとエレキを1本ずつ残してあとは処分した。CD・レコードなどと一緒に、納戸にしまい込んだ。
46.結婚をし、子どももできた。特に不満もない生活だった。
47.長男が中学に入る頃、納戸にしまったギターを見つけて、弾きたいと言い出した。
48.「弾いてよ」とせがまれるが、弾く気にはならなかった。
49.息子の部屋からギターを練習する音が聞こえてくる。あまりにひどいので、つい口を出してしまった。それを見ていた妻が、息子との会話も大事だ、ギターを通して会話したら?と言ってきた。
50.20年ぶりにギターを弾いた。指はうまく動かなかったが、それでも息子と妻は喜んでくれた。
51.すると、息子と同じ頃にギターに打ち込んでいた頃の喜びが、ふわーっと思い出された。
52.ギターを弾く私を、息子が目を輝かせて見てくれる。
53.その週末「ギターをみんなに教えてほしい」と、息子は友達を数人連れて、家にやってきた。
54.口コミで、次第にギターを教わりにくる子どもたちが増えてきた。
55.保護者の方からも「月謝を払うので、ぜひ、教えてやってほしい」という声を頂戴するようになった。

全部で55個エピソードが書けました。もっと細かく書けば、70〜80個ほど書くことができると思います。ここを文章にまとめていきましょう。

書き出した想いをまとめてみよう

【41〜55のまとめ】

結局、2年留年して大学を卒業した。特にやりたい仕事もなかった。たまたま受かった会社に入って、経理の仕事をすることになった。5本持っていたギターは、アコースティックとエレキを1本ずつ残して、処分した。その2本は、ジャズのCDやレコードなどと共に納戸にしまった。

30歳過ぎに大学のジャズバンド部の後輩と結婚し、一男一女をもうけた。可もなく不可もない生活に不満もなかった。

長男が中学に入る頃、納戸のギターを見つけて「欲しい」と妻に話したらしい。動画アプリで音楽を聴いていることは知っていた。息子が声変わりするようになって、どことなく距離を置くようになっていた。息子も直接、私にギターが欲しいとは言えなかったのだろう。それにしても、同じような時期にギターに興味を持つものなんだな、と少し嬉しかった。

息子が「お父さん、ギター弾いてみせてよ」と言われたが、断った。もう弾く気はしなかった。遠い思い出としてそっとしておきたかったのだ。またギターを弾くと、それにのめり込みそうで怖かった。

週末にリビングで本を読んでいると、息子の部屋からギターの音が聞こえるようになった。「ああ、違う」と心の中で叫ぶ。まったく読書に集中できない。そんな様子を見ていた妻があるとき言った。「そろそろ思春期だし、息子と話をする機会も減ってくるわよ。ギターを通して会話したらどう?」

「ギターを通して会話」と言われても、と思っていたら、妻がギターを抱えた息子を連れてきた。「はい、お父さん、弾いてあげなさいよ」とギターを寄越す。ギターを辞めて20年ほどだ。もう指が動くはずもない。迷っていると、二人だけでなく娘もやっていて、ジッと待っている。

仕方ないか。ギターを構えると自分でも驚いたことに、ウェス・モンゴメリーの「In Your Own Sweet Way」のメロディーがすーっと浮かんで来た。さすがに何カ所かは間違えたけれど、指が自然に動いたのだ。

「へー、お父さんすごいんだねえ」と息子が言い、娘も「お父さん、かっこいい」と言ってくれた。ちょっと涙目になった私を見て、妻も泣いている。

なんだか、変な感じだ。久々にギターを弾いて、息子と同じ頃の自分を思い出した。ギターを弾くのが楽しくて仕方なかったころのあの日に戻ったような気がしたのだ。

次の週末、息子が一緒にバンドを組んでいるという友達を家に連れて来た。そして「みんなにギターを教えて欲しい」と言うのだ。学校で父親自慢したらしい、と妻が後で教えてくれた。

それから、毎週末に家に来てギターを教えてあげるようになった。口コミで広がり、とうとう、家では収容しきれなくなり公民館を借りるようになった。保護者の方からも「月謝を払うので、ぜひ教えてほしい」と言われるまでになった。

すると「大人向けの教室も開いてほしい」という声も増えた。
ギターを教えるというより、ギターを通じて会話をするという感覚が心地よかった。それは、いみじくも以前、妻が私と息子の関係についてアドバイスしてくれたことでもあったのだ。

ここは1200字ほどの分量になりました。

40歳を過ぎる頃になって、20年ぶりにギターを弾くことになったのは、息子がきっかけでした。「息子との会話も大切」と妻から言われたことも後押しになっています。

ギターが好きでのめり込んだ反動が、ギターを遠ざけていたことが書かれています。ところが、息子がギターに興味を持ったことから、自分自身が楽しんでギターを弾いていたころを思いだしています。さらに、成り行きで息子とその友達にギターを教えることになり、それが少しずつ評判を呼んでいったことがわかります。

プロフィール文で3000字は多い!次はどうする?

1〜55までをまとめた文章は全部で3000字ほどになります。プロフィール文としては、さすがに多いですね。また、これはギターに興味を持ったことを時系列に並べて書いています。つまり、履歴に肉付けして文章に仕立てたものとも言えます。

どうですか? 箇条書きにしていくと思い出がつながって、案外書けることがわかったのではありませんか。

一度は、たっぷり書くことが重要です。とにかく、思いの丈を存分に文章に落としていくと、何が自分やりたいことなのか、が見えてくるからです。

箇条書きにしたものから「ことばの芽」を拾って、これだけの文章が書けました。

ところが、これではプロフィール文において、じゅうぶん言語化されたものとは言えないのです。ここからさらにもう一歩、編集作業を加えていかなくてはなりません。

ここに欠けているのは、未来の姿だからです。

次回は、編集作業を加えて未来の姿を盛り込んだプロフィール文に仕上げていきます。

《ポッドキャストを配信しています》

日頃使う何げないことばについて、ちょっとした思いや蘊蓄などを話す10分程度の番組です。毎週月曜日のお昼頃配信します。時間があるときにお聴きください。

この記事を書いた人

前田 安正
前田 安正未來交創代表/文筆家/朝日新聞元校閲センター長
早稲田大学卒業、事業構想大学院大学修了。
大学卒業後、朝日新聞社入社。朝日新聞元校閲センター長・元用語幹事などを歴任。紙面で、ことばや漢字に関するコラム・エッセイを十数年執筆していた。著書は 10万部を突破した『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)など多数、累計約30万部。
2019年2月「ことばで未来の扉を開き、自らがメディアになる」をミッションに、文章コンサルティングファーム 未來交創株式会社を設立。ことばで未来の扉を開くライティングセミナー「マジ文アカデミー」を主宰。

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