バタートースト評論家&声の専門家・梶田香織さん/インタビュー第1話「手に職をつける」を意識し続けた結果、2足のわらじでテレビやメディアで引っ張りだこに。
20年間「バタートースト」のことを情報発信し続けたら、いつしか仕事になっていた?声の専門家とバタートースト評論家の2足のわらじを履く梶田香織さん。稼ぐ方法はいくつあってもいい。好きを仕事にするための極意を伺いました。
プロフィール
バタートースト評論家・声の専門家梶田香織
栄養士の資格取得後、敷島製パン株式会社(Pasco)本社開発部で試作研究開発を担当。社内製パン学校に女性第一号の聴講生として入学し粉から一人でパンを作る技術も習得。その食べ歩き経験、栄養学知識、パン開発経験から、バタートーストを専門的にも語ることのできる、非常にまれなトースト評論家。飲食店のトーストメニュー監修の他、TBSテレビ「マツコの知らない世界」等メディア出演多数。一般社団法人日本トースト協会代表。
どうせなら「手に職をつける」を選び続けたら、テレビやメディアで引っ張りだこ。バタートースト評論家と声戦略の起業家という謎の2足のわらじを履くことに。
実はそれほど稼げていないバタートーストとしっかり稼ぐ声戦略トレーナーという 2 足のわらじの履き方は、働き方の新機軸ともいえる。
好きなことで必ずしも稼がなくていいという梶田香織さんにお話を伺いました。
*全2話、後編はこちらからどうぞ
目次
情報発信 20 年の重みに勝るものなし
梶田さんは“バタートースト評論家”と“声戦略トレーナー”、2つの肩書をお持ちですが、マネタイズ的にはどちらが主なんでしょうか?
“声戦略トレーナー”です。そもそも、バタートーストはマネタイズどころか、趣味でブログを書き続けていただけで、仕事になるとは思っていませんでしたから。
バタートースト限定って相当ニッチだと思うんですが、どういう経緯でバタートーストの評論家に?
私は生れも育ちも“喫茶店天国”の名古屋。幼少期に伯母の喫茶店でおいしいバタートーストに出会って、30 年ほど前から色々なお店のバタートーストを食べ歩くようになったんです。
1994 年頃に、ホームページビルダーというソフトが出て、自分でホームページを作っているうちに、ひたすらバタートーストについて書くようになりました。それはFacebook やブログという形で、今もずっと続けています。
ずっとということは 20 年近く……。最初から「バタートースト評論家」を名乗っていたんですか?
評論家を名乗りだしたのは、10 年か 15 年くらい前だったかと思います。ちょうどラーメン評論家が流行っていて、評論家になれば思ったことをビシバシ言えるんだと思って、自称評論家と書き出したのがきっかけです。
10 年も続けたら「自称評論家」でも通用しますね。
最初の 20 年は趣味の域でしたが、2013 年にセブンイレブンから「金の食パン」が発売され、一気に食パンが注目されるようになりました。
食パンブーム、ありましたね。
そこでテレビ局の人がトーストに詳しい人を検索したら、ひたすらバタートーストのことばかり書いている私に白羽の矢が立ったようです。
苦節 20 年! やっと花開いた瞬間ですね
はい。だから「どうやってテレビに出演したんですか?」と聞かれるんですが、私の意図したことではないので、答えようがないんです。
ちなみにブログにはどんなことを書かれていたんでしょ うか?
例えば、“気泡の形が丸くて大きさもいろいろで生地の密度や断面からも、フランスパンに近い食感なのが想像できる。このタイプなら薄めに切って強めに焼くと、ザクッもちっとして小麦粉の香ばしさも引き出されて、この食パンの特徴を堪能できる”……みたいなことを。
……!? たしかに、他のパン好きブロガーとは一線を画していますね。その知識はどこで仕入れられたんですか?
高校卒業後に栄養専門学校を経て敷島製パン株式会社(以下 Pasco)に入社して、社内のパン学校の聴講生としてパンの勉強をさせていただいたので、そのときに。
なるほど。ただのパン好きではなく、きちんとしたエビデンスを元に書かれているから、テレビ局の方も間違いないと安心してオファーしたわけですね。
さらに当時、ナレーションの仕事をしていたので、“素人にしては喋れる”と認識され、メディアに呼ばれることが増えたんだと思います。
いざという時のために「手に職」をつけ続ける
会社員、ナレーター、ブログの3足のわらじだったんですか!?
Pasco は5年で退職しました。会社員時代に愛知県で開催された国体のアナウンサーのボランティアを体験し、それをきっかけに会社を辞めてから1年間、喋りの学校に通いました。
ボランティア経験から学校に通い始めたのはなぜですか?
実家が商売をしていたので、小さい頃から「どうせやるならとことん身につけよう」というメンタリティがあって。
手に職をつける的なイメージで?
そうですね。声の仕事は年齢に関係なく続けられるんじゃないかと。「ゆくゆくは結婚式の司会でも」みたいな感じで1年間養成学校に通い、プロダクションに所属しました。
でも、仕事はないので、売れないお笑い芸人さんみたいにバイトと掛け持ちでした。ベテランの先輩でも、喋る仕事だけで食べている人は多くないと言われていましたから。
ご実家からのバックアップなどは?
小さな個人商店なので、金銭的にも人脈的にもまったくありません。
でも実家が商売をやっていたことと、父が何でもひとりでやるのを間近で見ていたので、何をするにしても独学で様々なことを身につけ、それが仕事になるかという目線は身に付いていたと思います。
キャリアだけみると、非常にラッキーでとんとん拍子に人生歩まれているように見えたんですが、実は色々と苦労をされていたんですね。
そうですね。
取材/I am 編集部
文/岡田マキ
写真/田尻陽子
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この記事を書いた人
- ノリで音大を受験、進学して以来、「迷ったら面白い方へ」をモットーに、専門性を持たない行き当たりばったりのライターとして活動。強み:人の行動や言動の分析と対応。とくに世間から奇人と呼ばれる人が好物。弱み:気が乗らないと動けない、動かない。