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アトリエpuchuco・福田英生、作りたい作品を作り続けるための選択

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福田英生、アトリエpuchucoとして、様々な生き物のアクセサリーや切なくも愛しく動くからくり人形を制作。自分の作りたいものを作る時間を手に入れる、 I am な生き方を、いかにして手に入れたのか!?

福田英生

プロフィール

アクセサリー・からくり人形作家福田英生

美術学校で絵画と金工を学び、ジュエリー原型制作を経て独立。イベントや個展を中心に動物達のアクセサリーやからくり人形等を発表しています。

大切なのは好きなものを作る時間

アトリエpuchucoとして、様々な生き物のアクセサリーや、切なくも愛しく動くからくり人形を制作・販売している福田英生さん。

その作品はUPするたびSNSで拡散され、一度は目にしたこともある方も多いだろう。

そんな福田さんが彫金を始めたのは大阪芸術大学附属大阪美術専門学校時代のこと。元々絵を描くことが好きで、高校卒業後は旅行をして絵を描いていたという。転機になったのは先に大阪芸術大学に通っていた双子の弟さんの「金属、面白いよ」という言葉だった。

3年間彫金をみっちり学び、専門学校卒業後は、アクセサリーの原型を作るメーカーに就職。2年間技術を学んだ末退職し、作品つくりや絵を描くことに専念した。

働きながら、自分の作りたいものを家に帰ってからの時間だけではできなかったと福田さんは語る。徐々に作りたい意欲も失われていく。このまま職人として生きていくことを望まなかった。

退職後、制作に専念していた中で、知人の誘いで大阪芸術大学の副手として1年働き、その後彫金の専門学校の講師に。もちろんその間も趣味として作品を作り続けていた。その後フリーで原型の仕事をもらうようになった。

大阪から軽井沢へ!移住を決意

しかし、ここで問題が。依頼を受けるばかりで自分の作品を作る時間が取れなくなっていったのだ。

そんな中で、大阪芸術大学卒業後絵本作家として絵の仕事をしていた弟さんが軽井沢に家を建てた。軽井沢に遊びに行くなかで、移住をして一度リセットし、自分の作品つくり1本で生きていきたいと思うようになり、大阪から軽井沢へ移住を決意。

移住後の現在は作家業1本。自分で作りたいものを制作・販売する生活を送る。

移住して2年ほどは、それまで温めていたアイデアを形にして、作品を作りためていた。その間収入はゼロで貯金を切り詰めて暮らしていたそうだが、それまで忙しかった分自分の作品を作る時間を取れたことが今に生きているという。その後本格的にHPやSNSアカウントを作り、イベントへの出展を開始。

作品の販売方法は、DESIGN FESTAやワンダーフェスティバル、博物ふぇすてぃばる!などのイベントでの出展。年に6回ほど出演している。その他にも、百貨店の催事や、自身のネットショップで販売している。

造形物で人の心を動かしたい

元々絵を描くことが好きだったが、色々なジャンルを描いており、何かに特化しているわけではなかったという福田さん。どのようにして自分の作りたいものを見出したのか。

現在は作品制作の中心は動物のアクセサリー。中でも一番人気な動物はカワウソだ。ネックレスの紐をカワウソが咥えてぶら下がるデザインは、過去にはネット記事に取り上げられた。福田さん自身もカワウソ好きだそう。

実際に観に行くことはもちろん、動画とかネットの写真を見て参考にして制作しているという。

もう一つの軸が「からくり人形」だ。からくりを作り始めたきっかけは、大阪で暮らしていたころ訪れた有馬玩具博物館。そこには海外の作家のからくり作品が沢山あり、自分も別の形でからくり人形を作りたいと思い、2010年から制作を開始。ずっと独学で作っているそうだ。

絵本や歌に感動して涙することはあるけれど、造形物に対して感動して涙することはあまりない。しかし、同じ感動をからくり人形で表現したいと、福田さんは語る。

「売れるもの」をあえて狙って作ることは意識せず、作りたいものを作り続けているそう。たとえ誰も見なかった作品でも、ある日手に取る人がいる。だからこそ、色々な作品を作り続けたいという。

「作っていて嫌になることはないですか?」と尋ねると、「そんなことは全くない」ときっぱり。

「これからも人の心を震わせるような作品を届け続けたい。」と語ってくれた。

取材・文/橘田優里
写真/本人提供

この記事を書いた人

takahashi編集部

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