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インタビュー

イラストレーターの価値とは? ヒット本『自営業の老後』の著者・上田惣子さんインタビュー第1話

イラストレーターが生き残るにはどうすれば良いのか!? フリー素材が溢れる中、25年以上のキャリアを持つイラストレーター・上田惣子さんにお話を伺いました。

上田惣子

プロフィール

イラストレーター上田惣子

イラストレーター歴30年。デザイン事務所、建築事務所を経てフリーランスのイラストレーターに。20年以上順調にフリーランスを続けるも40代後半で仕事が激減。そんなとき『自営業の老後』(文響社)を出版。しかし、自分の経験が誰かの役に立つことを信条にイラストを描き続けている。著書に『マンガでわかる 介護入門』(大和書房)、『うちのネコ「やらかし図鑑」』(小学館)がある。

イラストレーターが生き残る道は、この先あるのだろうか……。

今やメディアにはフリー素材が溢れています。商用利用可能な無料素材を配布するサイトが乱立し、「イラストは無料」という考えが浸透しています。ユーザーにとっては便利でも、イラストレーターにとっては不安材料でしかないかもしれません。さらにAIの出現によって、人間ではなくAIがイラストを描く時代がすぐそこに来ているようような気もします。

そこで、25年以上のキャリアを持つイラストレーターの上田惣子さんにお話を伺いました。25歳でフリーランスになり、40代後半で仕事が激減。その後、著書『自営業の老後』で復活! フリー素材やAIの出現におののきつつも、イラストレーターとしての矜持も仕事も持ち続ける秘訣とは?

 

就職したけど、遅刻する上に、仕事が楽しくない

イラストで生きていこうと思ったのは、そもそも勤めが苦手なようで、満員電車だったり、人がたくさんいるところだったりで働くのがあまり好きではないというのがあって。それに、よく遅刻をするんですよね(苦笑)。もう病気というか、なんというか。早く家を出ても遅れるんです。プライベートでもそんな感じで、「1分でも遅れたら私がコーヒーをおごる」っていう罰則を決めたら、ようやく少し改善して。今では、滅多に遅刻しないようになりました。

上田惣子
写真/shutterstock

何でもいいから絵を描いて仕事をしていけたらというのは、高校生くらいからの目標だったんですが、最初はグラフィックのデザイン事務所に入りました。今はデジタル化されて無いのですが、“版下”作りが私の仕事で、私よりキャリアが長い人が作ったデザインに沿って、文字や写真を切ったり貼ったりするんです。それがなんとも楽しくなくて……。お給料も安くて、終電まで働いて、遅刻して怒られて。そりゃ怒られますよね。遅刻してるんだから(笑)。今ならブラック企業です。その会社は辞めたんですが、フリーにはならずに、別の会社に転職しました。

転職先も退職。外注で在宅ワーク、収入が2倍に!

建築関係の事務所でのトレースの仕事でした。でも、結果としてその会社に入ったことで、フリーの道が開かれました。建築事務所なので、ひたすら“線”を引くことに(笑)。当時はバブル期で、とにかく建築関係の仕事は多かったです。明けても暮れても、“青図”を引いていました。遅刻魔の私が、8時半始業で夜の11時くらいまで働いていたんです。夜になると社長がリポビタンDを持ってきて、「今夜は徹夜、頼む!」って。みんな一目散に逃げて帰るんですけど、逃げ切れなかった人は仕事させられるみたいな……。

そんな過酷な状態が続いていました。でも、お給料もよくて、この仕事は嫌いではなかったですが、ちょっとひどい労働状況だったのと、やはり楽しくはなかったんです(笑)。それで、会社に「辞めたい」と。そしたら、いわゆる外注で仕事を続けてくれないかということで、在宅で仕事を始めたら、仕事がスイスイ進むんですよ。実は収入も倍くらいに増えました。

24歳、出版社に電撃持ち込みするも撃沈の日々

「あれ、もしかして、フリーでもいける?」ってこの時、思ったんですよね。何のスキルもない人間だけど、できることといったら“絵”しかないなと思っていましたし、たまたま周りにもイラストを描いている人がいて、もしかしたら私にもできるかもしれないって思ったんですね。で、営業に行ったんです。満員電車が嫌い、遅刻魔私ですが、2年間びっちり営業に行きました。24歳の頃でした。そのびっちり行った2年間の営業のおかげで、なんとか今まで食べれているんだから、今思えば、それは貴重な営業経験ですね。

主に、出版社と編集プロダクション。雑誌とか書籍の奥付(いちばん後ろのページ)に、出版社の電話番号が書いてありますよね。そこに電話して持ち込みをするんです。でも、まったくイラストの仕事はやってないわけですから、「あなたは何が描きたいんですか?」と行く先々でけんもほろろ。

「こんなこと言うんだ……」みたいな酷いこと言われたり、つれなくされたりしましたけれど、心は折れなかったですね。不安もなかったです。なんとかしないといけないんで。早くなんとかしないといけないと。「このハゲ!」とか思って(笑)、「ボルツ」ってカレー屋さんがあるんですけど、帰りに激辛カレー食べて、悔しさを紛らわしていました。

10社まわって1社くらいから仕事が来るんです。うれしかったですよ。自信はまったくないし、人の何倍もやるのは当然だと思ってやっていました。これくらいの対応されるのは当たり前かなって。それと、この仕事をしないと、もう後がないので。とにかくなんとかしないと食べられないと。

アルバイトで食いつなぎながら、でも不安はなかった 地方出身なのでひとり暮らしで、生活費はアルバイトでなんとかしていました。アルバイトをしながら営業をして。不安になるとか、心が折れるって、まだ余裕があるからそんな気持ちになれると思うんですね。そんな気持ちにならないほど切羽詰まっていました。友だちにもまったく会えないほど忙しかったですね。

バブルの波に乗って気が付けば20年

よく大変でしたねって言われますが、依頼が来るとうれしいですよね。パッと目の前が明るくなるっていうか、手ごたえを感じる。会社で仕事をしていたときには感じなかった達成感とか喜びとか、まったく感じなかったものを感じて、何倍もうれしくて、心の底から楽しくなったんですね。

業界の話をすると、イラストの仕事はバブルが終わっても原稿料はだらだら高かったんですよ。広告関係なんかはびっくりするくらい、桁が違いました。広告だけ描いている人なら年収3,000万円とか。そういう人が周りにはいました。私なんかはコツコツ働いている方だったんで、「いつも仕事してるね」って言われていましたけれど(笑)。収入的にはそういう人の足元にも及びませんでした。けれどその後は、安定して仕事が来るようになり、20年以上仕事に困ることはありませんでした。

47歳、仕事激減・営業不振で酒飲んでふて寝

しかしフリーランスの怖いところが不安定要素。20年間は安定していましたが、仕事には波があります。47歳できたアレも「この波もその一つかな」と思っていました。しばらくは「あれっ?」て思いながら、特に焦ったりすることはなかったんですが、さすがに「ヤバいかも」と。当時の担当さんたちが少しずつ偉くなって、現場からいなくなっていったことも一因だとは思いますが、本当に何がきっかけかいまだにわかりません。仕事が波のようにひいていったんです。

上田惣子
写真/shutterstock

奮起して昔のように営業をしました。でも何社も相手にされなかったりするんです。若い頃は折れなかった心が、この時はポキポキ折れまくる。地の底まで落ちてしまって、酒飲んで、ふて寝していました。知り合いの編集さんに「私を助けて!」とか言っていました。「もう、死ぬしかないわ」とか、ちょっと危ないですよね。冗談じゃなく、仕事がどんどんなくなっていく中で、「いよいよもう忘れられていくんだな、これはまずいぞ」って思うんですけど、どうしていいのかわからないんですよね。この頃、いつもしかめっ面をしていたから、その時についた眉間のシワが今も取れない!(苦笑)。

このままいくと本当にやばいと思って、転職サイトに登録したんですが、できる仕事がない。電話対応の仕事も滑舌が悪いからダメそう。レジの仕事もかなり難しいらしいと聞き、自分にはムリとモヤる毎日。転職サイトに登録して、実際、電話の交換手に行ったんですが、活舌が悪くてダメでした。レジの仕事も覚えられなくて、すごく怒られて泣いたこともありました。

取材・文/I am 編集部

この記事を書いた人

I am 編集部
I am 編集部
「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。
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