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ChatGPTには書けない、自分らしい文章術・超入門

つい使ってしまう「拍車をかける」「走馬灯のように」。 文章のプロが教える、表現力を高めて伝わる文章を書く方法

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第11回メインビジュアル

文章のプロフェッショナル・前田安正氏が教える、AIが主流になっても代替えのきかない「書く力を身につける」文章術講座。第11回は「表現力を高める方法」についてです。

プロフィール

未來交創代表/文筆家/朝日新聞元校閲センター長前田安正

ぐだぐだの人生で、何度もことばに救われ、頼りにしてきました。それは本の中の一節であったり、友達や先輩のことばであったり。世界はことばで生まれている、と真剣に信じています。
2019年2月「ことばで未来の扉を開き、自らがメディアになる」をミッションに、文章コンサルティングファーム 未來交創株式会社を設立。ライティングセミナー「マジ文アカデミー」を主催しています。

文章が下手と悩む人のための超文章入門。生成AIが当たり前になった今だからこそ、ChatGPTには書けない、自分の言葉で文章を書く力を身につけたい。朝日新聞社の元校閲センター長で、10万部を超えるベストセラー『マジ文章書けないんだけど』の著者・前田安正氏による文章術講座。今回は「表現力を高めて、伝わる文章を書く方法」についてです。

「伝わる文章」に気の利いた表現は必要ない

表現力を高めたいという気持ちは痛いほどわかります。僕自身がそうでしたから。村上春樹さんのように都会的で気の利いた比喩を使えたら、西加奈子さんのようにさりげないユーモアを織り込めることができたら、どんなに文章が豊かになるだろうと思います。

ところが、作家はこうした表現を、それこそ日々探し続けて考え続けて、ようやくたどり着いた結果なのです。

僕たちは、職業作家ではありません。文章に人生の多くを費やす時間もありません。そのため、気の利いた表現だと思って使ったもののほとんどは、手垢のついた紋切り型の表現でしかないことが多いのです。

紋切り型とは、もともと模様(紋)を切り抜くための型のことです。そこから、物事のやり方が一定の様式に則っていることとか、決まり切っていて新味がないことを指します。紋切り型のあいさつと言えば、決まり切ったあいさつで新味がないという意味で使われます。

次の例を見てください。

* * * *

焦燥感しかなかった。毎度同じ仕事を繰り返す日々に辟易していた巷間言われている「人生100年時代」という言葉が、焦燥感に拍車をかけた。会社員勤めは第4コーナーに差し掛かっていた。それが人生のカウントダウンのように思えた。それまでの会社人生が走馬灯のように頭に浮かんでくる。人生山あり谷あり。先の見えない手探りの状況に、心は千々に乱れていた

ところが、人生何があるかわからない。私にも転職のチャンスが訪れたのだ。

* * * *

焦燥感や切迫感をドラマチックに書こうとする意欲はわかります。ところが、紋切り型のことばを多用しているため、書き手本人のドラマが見えず、むしろお尻がむずがゆくなるような感覚しか残りません。

紋切り型のことばを拾ってみると、

焦燥感しかなかった

辟易していた

巷間

拍車をかけた

第4コーナーに差し掛かっていた

人生のカウントダウン

走馬灯のように

人生山あり谷あり

心は千々に乱れていた

人生何があるかわからない

わずか200字程度の文章の中にこれだけの紋切り型のことばが並んでいます。

紋切り型の表現が「伝わる文章」にならない理由

書き出しの「焦燥感しかなかった」は、最近よく見かける表現です。「〜しかない」の過去形で、「喜びしかない」「悲しみしかない」「楽しみしかない」など、情動を表すことばに「〜しかない」をつけて、その度合いを高めたものです。

形容することばに「〜しかない」をつけてその度合いを高める表現は、そのことばをもたらした感覚・意識を単純なことばに置き換えているにすぎません。

「辟易」「巷間」「拍車」ということばは、普段話しことばで使うことも少ないはずです。「辟易」は「うんざりする」という意味です。中国・司馬遷が書いた『史記』に出てくることばです。恐らく「へきえき」という漢字を手書きするのは、難しいと思います。手書きできない漢字を無理に使う必要もありません。身についたことばを使うようにします

「巷間」は「世間」「ちまた」のことです。「巷間言われている」というのは「世間でよく言われている」という意味です。「拍車」は、乗馬靴のかかとに取り付ける金具のことです。「拍車をかける」は、馬の腹に拍車を当てて馬を進ませるところから、「事の成り行きを一段と速める」という意味になります。

こうした比喩全体が悪いとは言いません。しかし、現代の感覚にないことばは、実態との食い違いを生みやすいのです。ときに、間違った意味で使われることもあり、それによって信用を損なうことにもなります。

「第4コーナーに差し掛かる」は、陸上のトラックの最終コーナーに差し掛かりゴール間近だという意味です。「人生のカウントダウン」は人生の最終盤の残り少ない時間を指します。ともに、晩年を指す際の比喩としてよく使われます。

「人生山あり谷あり」も、言い古された言い回しです。これだけで人生の説明がつくわけではありません。「山」と「谷」がどういうものなのかを書かないと、その説明にはなりません。

「走馬灯のように」は、これまでの人生が順に映し出されるという比喩で使われます。「走馬灯」は、回り灯籠のことです。実際にこれを見た人は少ないはずです。いまや比喩として成り立つのかどうかも疑問です。

「心は千々に乱れていた」「人生何があるかわからない」も、言い古された表現で、何の新味もありません。「千々」は「たくさんの数」という意味で、「変化に富んでいるさま」を表します。

「人生何があるかわからない」も、敢えて言わなくてもわかることです。「何があるかわからない」から、その内容を書いていくのです。こうした前置きを書くなら、その内容を深く描写すべきなのです。

紋切り型のことばは表現力を低下させる

表現力をアップしようとすると、こうした紋切り型に頼る傾向が強くなります。それは、収まりがいいからです。ところが、紋切り型のことばは、使い古された比喩や難しいことばが多く単純化されているのが特徴です。それでは書き手の思いの真の姿は見えてきません。

紋切り型のことばや表現を使うことによって、本来ある深層を極める表現や思考が閉ざされます。そのため、大きな問題を見落とすことにもなります。

それは、紋切り型のことばや表現は、「極端に単純化された表現」だからです。

「人生山あり谷あり」「走馬灯のように」などは、人生の大雑把に括った表現でしかありません。その人なりの「山」と「谷」がどのようなものだったのか、そしてそれが人生にどう影響したのか、を書かなければ、そもそも文章を書く意味がありません。

「走馬灯のように」は、過去の出来事が次から次に思い出されることを言いますが、実は過去に経験したことをそう簡単に思い出すことはできません。言語化するのが難しいのは、自分が経験したことを的確に表現できないからです

言語化の過程を飛ばして短いことばに頼るのは、思考を停止していることになります。これに慣れると、以下のようなことが起こります。

それは、極端に単純化された表現は「固定観念を生みやすく、偏見に転化しやすい」ということです。ことばは単純化されればされるほど、社会に受け入れられやすく、ある秩序をもたらします。これが固定観念です。その固定観念は、ものの見方を偏らせ歪めたカテゴリーを生み出します。

「巷間言われている」などは「みんなが言っている」という、まさに社会に受け入れられやすい土壌をつくる表現です。みんなが「人生100年時代」と言っているから、という固定観念を生みます。

固定観念は、一定の考え方を植え付けていきます。短くてもしっかりした人生を歩みたい、という価値観もあるはずです。また、120年を目指す人生もあるはずです。それは、個々の考え方です。文章は個々の考えを書くことに価値があります。

さらに、固定観念にとらわれると、頭の中で納得材料をつくり出してしまうため、「新しい経験に出会っても、感動の芽を摘んでしまう」のです。

新しい経験は、日常の中にあります。そこに気づく感性を大切にしなければ、発見も驚きもありません。普段歩いている歩道の割れ目から小さな花が咲いていることに、気づいたときの心の動きを大切にしたいと思うのです。固定観念は、いまある状況に無頓着になり、新しい視点を失ってしまいます。それでは、路傍の小さな花の存在に気づくことはないでしょうし、感動の芽を摘むことにもなります。

紋切り型のことばや表現は、極度に単純化されているため、読み手の意識に定着しやすいことは事実です。読み手にとっては安心して読めるということにもつながります。しかし、新味がないので、読み流されて終わりです。

道端の花
固定概念にとらわれないよう心掛けると、日常の中で新しい発見ができる

表現力を高めるのは「ディテール」

表現力を高めたいのなら、ディテールを書けばいいのです。ディテールは、細部のことです。細部を書くには、具体的にものを見る視点が必要です。

例1の書き出し「焦燥感しかなかった。毎度同じ仕事を繰り返す日々に辟易していた」というのなら、書き手の焦燥感を具体的に書いていきます。書き直してみます。

朝8時半前に会社に着いて、幅100㎝、奥行き70㎝のグレーの机に向かう。社員はまだまばらだ。パソコンの電源を入れ、パスワードを入力する。たくさんのアイコンの中からメールを開く。すでに30件の問い合わせが来ている。これを読んで返信するところから一日が始まる。

2件、3件とメールを返すうち、キーボードを叩きながら「こんなことをしている場合じゃない」という声が頭の中に響く。暑くもないのに額にねっとりとした汗がにじむ。指先が冷たくなって震える。「あー」という声を出したくなるのをこらえて、僕は慌てて席を立った。

「同じ仕事を繰り返す」と書くなら、そのディテールを描写するようにします。

書き直した文章は、毎日、問い合わせのメールに返信することに言及しています。「焦燥感しかなかった」というのであれば、そうした毎日の具体的な例を書くようにします。

「幅100㎝、奥行き70㎝のグレーの机」という具体的な場所を示すことによって、読み手の想像力を刺激し、実際の感覚として理解してもらえます。

ディテールを書くというのは、必ずしも数字で示せということではありません。その時の心情に迫る状況を具体的に詳しく書くということです。

表現力を高めるために、紋切り型のことばや表現を使う必要はありません。使い古された比喩や難しいことばを使って収まりのいい文章を書くより、身についたことばでディテールを書いていきましょう。

伝わる文章には、ディテールが書き込まれています。そこにこそ、表現力を高める芽が詰まっています。

執筆/文筆家・前田安正

写真/Canva

この記事を書いた人

前田 安正
前田 安正未來交創代表/文筆家/朝日新聞元校閲センター長
早稲田大学卒業、事業構想大学院大学修了。
大学卒業後、朝日新聞社入社。朝日新聞元校閲センター長・元用語幹事などを歴任。紙面で、ことばや漢字に関するコラム・エッセイを十数年執筆していた。著書は 10万部を突破した『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)など多数、累計約30万部。
2019年2月「ことばで未来の扉を開き、自らがメディアになる」をミッションに、文章コンサルティングファーム 未來交創株式会社を設立。ことばで未来の扉を開くライティングセミナー「マジ文アカデミー」を主宰。

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