無駄にしんどくならないためには価値観が大事。−特別対談「おりる思想」飯田朔×「ナリワイ」伊藤洋志
「ナリワイ」を実践する伊藤洋志さんと「おりる」思想の飯田朔さんの対談です。自分の生活において何を大事にするのか、価値観を決めるのは重要です。ただし、価値観が自分の判断なのか他人の判断なのかを見極めることも必要になります。
多くの人は、競争に勝ちぬくことが第一で、自分が本当にやりたいことを先延ばしにしてしまうもの。本当に自分にとって楽しいことを考えずに我慢ばかりしていると、永久にやりたいことはできなくなってしまうでしょう。
自分にとって本当の価値観とは何か? 『ナリワイをつくる─人生を盗まれない働き方』の著者・伊藤洋志さんと『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』の著者飯田朔さんの対談です。
伊藤さんはIT系の企業を退職後、競争が発生しない性質の仕事をたくさん作っていく「ナリワイ」について実践し、その結果を著書で紹介しています。
飯田さんは、大学時代、不登校を経験し、東日本大震災・スペイン滞在などを経て執筆活動をするうちに、「おりる」思想に辿り着きました。
目次
「設定が間違っている」と疑う力
−自分の価値観の設定方法は?
伊藤:
価値観ってふわっとしたイメージがあるかもしれませんが、何が許されんことで、何が大事なのかの設定と実行だと考えると、めちゃ重要と思います。
現状は、見えにくいかもしれないですが「とにかくたくさん稼ぐべきである」「政治経済成長が第1であって、あとは様々なオマケ」「稼がないと他の問題が解決できない」などの設定が既に決まっています。
ところが、この設定自体に問題があったら、どんなイノベーションが登場してもしょうもないことになる予感があります。
価値観は一人で考えるだけだと限界があると思うので、誰かとおしゃべりしながら考えるのがポイントなんやと思います。たとえば、今はキャリアアップのツールとして捉えられている大学も、本来、価値観を考える場所であるはずです。
いろんな人の話を聞く場所だし、それについて考えたことを話す場でもある。卒業研究では、仮説を考えますよね。今までいろいろな研究があった中で、問題設定を自分で立てて検証します。途中経過で、いろんな人からツッコミを受け対話して少しずつ進めていくので、自ずとどういう点を重視するかを決めるトレーニングになると思います。学生の方に「大学時代何に力を入れたらいいですか?」と聞かれたら最近は「一つは卒論」と答えています。
別に大学の場ではなくても、飯田さんもやっているように読書会とかいろんな形があると思います。何か本とか媒体があって、それについておしゃべりできる場があるといいんじゃないかと思います。
今を後回しにする呪い
➖将来が不安なのは、価値観のせいでしょうか
飯田:
今したいことをするのではなく、将来こうであろう自分になるために、今は我慢するといった判断基準が支配的です。伊藤さんの『ナリワイをつくる』に書いてあるように「やっていて楽しい」「実感が持てる」という基準は置き去りにされている面があります。
伊藤:
そういえば高校生の頃ですかね、未読なんですが上野千鶴子さんの著書『サヨナラ、学校化社会』の書評を読んで印象に残ったのを思い出しました。
日本の社会は、次のライフステージのために我慢して、準備するたびに我慢して、いつまでたってもやりたいことができないまま終わる社会であり、それを学校化社会であると批判されていました。だからといって、刹那的に生きろという話ではないんですが「リスキング」とかも悪くすると、そういう後回しの呪いにハマる気がします。
飯田:
目的を設定することが全て悪いという話ではなくて、自分や周りの人をしんどくするような思考方法が、かなり広まってるという薄暗い話ですね。
伊藤:
生き残るためには「これやりなさい。あれやりなさい」と言われがちですけど、一つ一つ見て、「ほんまに必要なんですか?」という検証が必要やと思います。
そのためにも、いろいろな方法論や選択肢があっても、その路線が合っているかいないかを判断するには、価値基準が必要です。今は、惰性でやってきたことがもう結構ずれていたりしているんじゃないかと思います。
いるいらないの一つのセンサーとして実感をもう少し重視してもいい気がします。「将来のためになる」だけじゃなくて「やっている今も楽しい」というような。
飯田:
自分のために目的を設定していたはずが、その目的に引きずられて走ってる感じがしますね。
伊藤:
これはある種の呪いです。
飯田:
細かい話で言うと、そういう自分が設定した目的を途中で修正はできますね。別に会社を辞めなくても、自分が設定した変なノルマを、ちょっと軌道修正することは多くの人ができることなのかもしれません。適度に「おりる」ことが必要です。
伊藤:
そうですね、最初に設定した目的も絶対なわけじゃなくて常に修正されるもんですよね。
飯田:
元々、自分基準じゃなかったのかもしれないということも多々あります。
なぜ人はわざわざ市場で「値切る」のか?
➖最近のトレンドは、最小努力で最大効果です
伊藤:
かなり極限的な実験設定をすれば、「人間は短期的快楽を重視する」という説が成り立つかもしれません。実際はそんなシンプルではないから、そもそもその節もかなり怪しい。
「人間は一番少ない手間でたくさんの利益を得ようと行動するものである」という経済学のよくある前提があります。それは怪しい。
人は全然そんな風に動いていません。仮定すれば計算しやすくなるからやっているだけで、それを人間の本性のように考えてしまうと現実とズレが大きくなります。
そういう本がいっぱいあるのは問題です。最小の努力で最大の利益を得たいと思って行動するはずであるという前提で、経済学を作ってしまっています。
でも実際、そんなことはあまりありません。そのようなことを重視してない人はたくさんいるし、そういう場面もたくさんあります。わざわざ値切る行為を楽しくやりたいがために、手間をかけて市場であれこれ、おしゃべりしてやるという人もいます。最小のテーマで最大の利益に反しているわけです。でも、その過程が楽しいからやっているんですよね。その前提は結構崩れていて、現実とは合いません。そのルールがちょっと怪しいと思った方がいいのではないでしょうか。
飯田:
僕もスペインから帰ってきたときに「スペイン語を覚えたなら、スペイン語を使える仕事を探したほうがいい」と周りの人に言われました。でも、結構意識的にスペイン語を何かに役立てようとしないように気をつけていました。
スペイン語も何かのためにやろうと思った途端に楽しくなくなってくるだろうし、自分の呼吸というかリズムが乱れてきます。自分の呼吸が乱れないなら全然いいと思いますけど。
スペイン語圏のYouTubeの動画を見ているときに、クソリプも含め、コメント欄にいっぱいリプがスペイン語で書いてあります。翻訳ボタンを押せば翻訳できるんですけど、スペイン語で読んでいます。また、スペインの料理YouTuberを見て、スペイン料理を家でつくっていますね。純粋に楽しかったです。
何かに役立てようとして無理にすることはないと思っています。
価値観のミスリードに注意せよ
➖価値観は自分で決めているものでしょうか?
伊藤:
自分にとってこれはどうでもいいことである、という判断ができるかどうかが結構大きいと思います。やりにくくしている環境ももちろんあります。
本当は欲しくないけれども、「一人前の大人なら、これぐらいのものは持っていなきゃいけない」という考え方は、ミスリードされている状態です。地元だったら「家を建てて1人前」という考えがあります。
僕の年代だと噂話で「誰々さんのところ、結婚して家を建てたらしいよ」と聞こえてきます。本当はいらないのに、全員が当然持つべき、となれば苦しむ人も出てくるだろうと思います。それに乗らないようにしなきゃいけないし、そもそもその「これで1人前」という常識が、ごく最近作られたものでしかなかったりしますね。
何か楽しみにせよ、それが自分基準のものなのか、もしくは誰か別の人が勝手に言ってるだけのものなのか、判別するのが重要だし、それは体を動かして体験してみたり誰かと話したりする中で見えてくるもんだと思います。
インタビュー/webメディア I am編集部
文/今崎人実
写真/masaco
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この記事を書いた人
- 「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。