会社を辞めるスキル。社会的な死を経験しないで生きるには−特別対談「おりる思想」飯田朔×「ナリワイ」伊藤洋志
社会からドロップアウトすることなく、うまく生きる方法とは? 『ナリワイをつくる─人生を盗まれない働き方』の著者伊藤洋志さんと『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』の著者飯田朔さんの対談です。
プロフィール
持続可能な自営業ナリワイ代表伊藤洋志
プロフィール
飯田朔
不登校、ひきこもり、離職など、生きづらさを感じて社会から「おりる」人が多い私たちの世界。社会からドロップアウトすることなく、もっとうまく「おりる」ことはできないのか?
『ナリワイをつくる─人生を盗まれない働き方」の著者伊藤洋志さんと『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』の著者飯田朔さんの対談です。
目次
競争社会からおりることを選んだ2人
伊藤洋志さんはITベンチャー制作会社で働いていましたが、肌荒れがひどすぎて自己都合退職しました。今であれば残業時間超過でハローワーク的には解雇扱いにしてくれると思いますが、その知恵もなく、退職後3ヶ月経ってから失業保険が支給されました。会社を辞めた伊藤さんがたどり着いたのは、自分の生計を楽しく構築する方法「ナリワイ」でした。『ナリワイをつくる─人生を盗まれない働き方」を上梓し、「ナリワイ」の実践研究に取り組んでいます。
飯田さんは早稲田大学に通っていた当時、不登校になりました。不登校から回復後、東日本大震災を体験して社会の矛盾に気づきます。卒業後、学習塾の講師になりスペインに滞在。その後、『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』を執筆します。
2人に共通しているのは、競争から「おりる」ことです。
バトルゲームからおりたいのに、おりられない
➖人は簡単に「おりる」ことができるのでしょうか?
飯田:
本の第4章で僕は朝井リョウの作品を取り上げています。「おりる」と言っても人は簡単には「おりられないんじゃないのか?」という逆の問いを考えました。
伊藤:
「おりられなくする」ために、いろいろなものが張り巡らされている、という情報があるとします。それを明らかにするには「おりられなさ」を考えないといけないということですね。
いろんな段階がありますよね。「おりた」方が良かったみたいな段階もある。「どうしてもおりなきゃいけない」という発想がなかったりすると、とにかく目の前のこの環境で何とかサバイバルしなければいけないことも。「おりた方がいいぞ」と思ったけど、どうやってやるんだとか。そもそも難しいとか、いろいろあります。「おりさせない」の圧もいろんなところにありますね。
➖「おりられない」ワナでしょうか?
伊藤:わざわざワナと言うと知っているかしれないですけど、そういう圧にはなります。
最近、BBCが取り上げましたが私が高校生の頃の1990年代のテレビ番組の企画で新人芸人を強制的に過酷な環境において笑いを演出するものが流行りました。あれも新人がキャリアを築けるかもしれないという期待を人質にとって「おりられなく」していたと言えます。
飯田さん:「おりさせまい」とする力もあれば、一方で「おりた」ら、変な方向に来てしまったという両方があるかもしれないですね。
➖おり方に成功、失敗はありますか?
伊藤:田舎暮らしをして失敗した話は、稼げる記事の一つとしてあるらしいですね。何かを「おりよう」として「失敗した人を眺めたい」というちょっと下世話な根性が我々にはあるということなんでしょうけど。
飯田:ある意味自然なことだと思うんですよ。
伊藤:事故死したくないですから下調べしたいという気持ちは当然です。僕も致命傷を負わないようなリサーチはします。「これはうまくいくかどうか分からないけど、ダメージはこんなもんだろう」という当たりがそれぞれあります。調べられる範囲で調べて、よく分からないものは致命傷が出ない範囲でやるということをひたすら繰り返します。
ある程度はそれぞれ人には予見する能力があるはずです。問題は現代に発信される情報が、不必要に絶望を煽るものだったりするので、情報を集めすぎると何もしないのが正解、みたいになってしまいます。もしくは、カリスマの言うことを全部丸呑みする。
おり方の正解はある?
➖フリーランスと会社員、どちらがいいでしょうか
飯田:
会社や業界がおかしなことになってきてるから、自分としてはどんどん嫌な気持ちが増していっています。かといって、「会社を辞めてどうやって生きていくの?」というのは、多くの人がもっている問いだろうなと思っています。
「おりる」と言っても、目立つ「おり方」が目につきやすいんですね。たとえば、フリーランスになるとか、会社を辞めるとか、
1度海外に行くとか、地方に移住するとか。ハードルの高い「おり方」は目につくと思うんですけど、実際の「おりる」はもっと小規模にやる場合もすごく多いだろうと感じています。
適度にサボるとか、上司の言うことをホイホイ聞かないようにするとか。それぞれの人がそれぞれのやり方でやっている「おり方」は当然あるはずです。
だから無理にその会社を辞めるとか、会社を辞めるのがきついなと思う場合、やっぱり会社は辞めない方がいいと感じています。「別の方法は何か?」と考えることは大事です。
僕も『ナリワイをつくる』を最初読んだときに「よし、自分もナリワイをつくってみよう」と、やる気が出てきたんですよ。何かやろうと思ったんですけど、うまくできないような気がする……。SNSを見ると伊藤さんはどんどん新しい内容をやっていて、どんどん遠くに進んでいましたね(笑)
伊藤:
私の活動は、ある意味一人研究所のごとく個人が取り組めそうなナリワイを勝手に作り続けるという特殊な研究部門なので、丸ごと真似したらいいよ!というものじゃないんです。
気に入ったナリワイが3個ぐらいあれば多くの人のとっては十分な気がします。それにたくさんナリワイがあるといっても仕事として確立しているのは床張り技術のワークショップや農業、執筆活動、野良着のメーカーなどが中心で。
ブロック塀破壊のイベントは、仕事というより楽しい遊びではあります。それぞれのナリワイに個性があるように、どんなかんじで取り入れるかも人それぞれということで。
飯田:
無理に伊藤さんの「ナリワイ」をそのまま猿真似しないで自分なりに良いと思ったところだけ取り込んでおけばいいのかな、と次第に思うようになりました。小さい仕事を実際に作って、それで収入を得る。生活を豊かにして、なるべく自分が競争と無縁でいるための「技」が「ナリワイ」だと伊藤さんは著書の中で書いています。
僕自身も大学を卒業した頃はそれほどでもなかったんですけれど、世間的には役に立たない趣味のようなものを、進んでやるようになりました。家で外国料理をつくるとか、犬の散歩に行くとか、中国語を勉強するとか。そういうことをやっていると生活が楽しくなります。ある種の謎の「技」がちょっとずつ身についてきていると感じます。
競争のためのスキルと競争しないためのスキル
➖「スキル」とは何でしょうか?
飯田:
「スキル」というのは競争の中で必要とされてる「能力」です。それに対し、「ナリワイ」の「技」は、競争から距離を取るための「能力」だと思います。同じ「能力」だけど、全然向いてる方向は逆ですね。
伊藤:
「とにかく稼げればいいんだ、それ以外は無視できる」というような荒れてる社会、よく分からないナリワイという概念が一定共有され、議論対象になることがまず大事だと思っています。
競争的な感性が浸透しているという話が最初にありましたが、知らないうちにそれが話題の中心に持っていかれている。本来大事にするべきじゃないテーマを話題にすればするほど「おりにくい」状態になっています。
現状楽しく暮らせれば人間は満足なはずです。それができないから「怖い」と感じると思うんですよ。「長生きリスク」とか、「老後クライシス」とか次々キーワードが出てくるように、そこはかとない不安があってそれに耐えることに意識が向いてしまう。
脅かされると今より厳しい生活状況になることがより怖く感じるし、そんな中で「おりられなくなる」と感じてしまうのでは、と思います。
ーおりると楽しく暮らせるということでしょうか?
伊藤:何かから「おりる」としても、例えば収入はどうするんだ? とか老後どうするんだ? とか未来の心配を人質にとられる感覚がやってくることが多いと思います。でも、別に自分が体を動かすことを妨げられないのであれば、楽しい生活は確保されるんですよ、と言いたい。
会社を辞める場合でも、自分の家で料理をつくることを邪魔する人はいないですよね。具体的に体を動かしてできることを確認していくことを増やしていくと「おりる」ことは、そんなに怖くもないという実感が増えてくるんじゃないかなと思っていますね。
今の生活の豊かさはバトルしないと手が届かないように設定されています。象徴的なのがタワマンです。あれが手に入らなければ不幸であると思ったら、絶対に競争で勝たなくてはいけません。
一方「ナリワイ」では、自分がわりとアクセスできる住環境が楽しいと思っていれば、そんな競争に参加しなくても良いわけです。日当たりのいい場所で過ごす時間があるとか、仲良いい友人とゆっくり食事ができるとか、具体的にいい感じの暮らしができればよいわけで、それはタワマンという記号とは無関係です。
生活文化を自分達でつくり、競争に参加しなければ「タワマンがなぜ手に入らないんだ?」という不幸を感じることはありません。
取材/I am編集部
文/今崎人実
写真/masaco
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この記事を書いた人
- 「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。