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額賀澪のメシノタネ小説家とチキン南蛮――インボイス制度、始まる

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小説家・額賀澪が「好きなことを仕事にする人たち」をテーマに書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#09のテーマは、「インボイス制度」。請求書に振り回されるフリーランスたちの思い、今後の確定申告はどうなるのか?

(写真:額賀澪提供)

「やばいですよMARUさん、インボイス制度が始まりましたよ」

 10月の頭、私はこのエッセイの担当編集であるMARUさんと打ち合わせで汐留にいた。

 汐留駅の目の前にあるカレッタ汐留の「ダイナミックキッチン&バー 響」でチキン南蛮を食べている最中に出たのは、始まったばかりのインボイス制度の話題だ。

 高層ビルの46階から臨む東京湾とレインボーブリッジと浜離宮は、それはもういい眺めだったが、それよりもインボイスである。

「始まっちゃいましたね~」

 今になって夏バテに襲われているというMARUさんが注文したのは蕎麦だった。

 私が頼んだチキン南蛮は肉厚で柔らかく、何よりたっぷりかかったタルタルソースが嬉しい(私はチキン南蛮はタルタルを食べるためにあると思っている)

「小説家にとってもインボイス制度は大事件ですよね? フリーランスなんですから」

「そりゃあもう大事件ですよ。制度に反対もせず、それどころか今年の夏になってから慌てて対応し始めた挙げ句、『登録してない方には10月以降は消費税分を差し引いて入金します~』なんて通知をしてきた版元もありますから」

「その一方的な値下げ宣告はバッチリ下請法に引っかかってる気が……」

「ええ、そんなことすら碌にチェックしないでいるんですから、二度と〈クリエイターファースト〉とか〈物語の力を信じる〉なんて言ってほしくないですね!」

 いけない、ヒートアップしてしまった。チキン南蛮にタルタルをたっぷりつけて落ちつこう。刻んだ青菜が入ったタルタルソースは、歯ごたえがいいうえに「野菜を食べている」という気分になれて罪悪感が減る。

「しがない小説家の勝手な予想ですけど、インボイス制度が本格的に始まって、フリーランスだけの問題と思いきや、むしろ会社員の方が面倒な事務作業が増えて大変じゃねーかと大勢が気づいたら、風向きが変わるんじゃないですかね」

「あー、それはありそう。正直、一番地獄なのは企業の経理部だろうから……いや、社内外でのお金の流れに常にインボイスがつきまとうんだから、経理だけじゃないか。会社の経費で飲み食いしたってインボイス、会社の経費で備品を買ってもインボイス、出張のためのチケットを手配してもインボイスだ」

 というわけで、私は10月以降も粛々とインボイス制度に反対し続けるのである。もはやフリーランスとしての増税云々ではなく、社会の生産性を落とすだけの制度があまりに馬鹿らしいと思うから。

「額賀さん、自分の経理は大丈夫なんですか?」

 東京湾を眺めながら食後の紅茶を楽しんでいたら、MARUさんにふと聞かれた。

「正直、インボイス制度が始まったら、もう自力で経理をするのもしんどいってフリーランスも多いと思うんですけど」

「あ、私は税理士さんに全部お願いしてるので、とりあえず何とかなってます。新橋に事務所があるんですよ」

 ちょうど窓から新橋駅方面が見渡せたから、「あのへんかな? 多分あっちの方です」と東京タワーの側を指さす。

「毎月うちに来て帳簿や支払明細、経費の領収書をチェックしてくれます。ついでにインボイス制度や電子帳簿保存法のレクチャーも」

 なので、月に一度、税理士さんの家庭訪問のある日は、我が家が大掃除をする日でもある(隠さずに言うなら、掃除はもっぱらルームメイトの黒子ちゃんがやっている)

「専業作家でも、経理や確定申告の作業を自力でやっている人は多いですよ。フリーライターをやってる友人も、毎年2-3月に泣きながら確定申告の準備をしてますもんね」

 税理士を頼むと当然お金がかかるし(そのお金も経費になるとはいえ)、自分の財布の中身を他人に晒すことに抵抗を覚える人もいる。

 しかし、

「私も作家になってはじめて税理士さんに依頼をしたときはちょっと抵抗ありましたけど、今となってはもう自力で確定申告なんて絶対にしたくないですもん。いや、小説家の経理はそこまでややこしくないので難易度は高くないかもですが、それでも間違ってない保証がないし、もし税務署に指摘されても自信を持って言い返せないというか……」

「ていうか、自力で確定申告の作業をすることによって、毎年2-3月のフリーランスの生産性って馬鹿みたいに下がってると思いません?」

「違いない、違いないよMARUさん!」

「税理士さんに丸投げしてそのぶん仕事して稼いだ方が、トータルでプラスな気がするんですよね!」

 以前のエッセイで「餅は餅屋」という話をしたが、「経理を税理士に頼む」はフリーランスがやるべき究極の餅は餅屋案件かもしれない。

 本来の仕事を後回しにして、時間をかけて(ついでにイライラもしながら)確定申告をしたところで、税理士並みの制度でそれができる人間が一体何人いるという話だ。

 それならMARUさんの言う通り、その時間を自分の仕事に費やした方がいい。

 午後から次の取材に向かうというMARUさんと別れ、私は映画を観るために新宿へ向かった。

 上映開始まで時間があったので、一度映画館を出て近くの喫茶店に入った。

 カウンターでカフェラテを注文してレジへ進んだら、レジ横に見慣れぬデザインの青いステッカーが貼ってあった。

〈インボイス制度登録店〉

 おのれ、もう素知らぬ顔でステッカーになってるのか。しかもなんで青なんだ。そんな爽やかな色をしてんじゃねえ。せめてもっと邪悪な色であれ。

 いや、こうやって登録店かどうかわかりやすく掲げてくれないといろんな人が困るのはわかるのだが、これが日常の風景になると思うと、どうも気が重い。

 こんな制度に対応するために手間を増やすくらいなら、そのぶんそれぞれが自分の仕事を精々頑張った方が効率がいいだろうに。

 小説でもいつかこのステッカーを描写する日が来るのだろうか。

 できあがったカフェラテを店員から受け取って、私は窓際の席に腰掛けた。

インボイス制度を嘆きながら見下ろした東京湾と浜離宮(写真:額賀澪提供)

この記事を書いた人

額賀澪
額賀澪小説家
小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。

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