『週刊さんまとマツコ』で話題!誰か知らないけど、絶対見た事ある男―。フリー素材モデルの第一人者・大川竜弥さんが教える「収入ゼロ円」から「年商400万円」への道のり
ネットを開けば1日に1回は顔を見るといっても過言ではない、誰かしらないけどよく見るこの男性。日本初のフリー素材となった大川竜弥さんに話を聴いた。
プロフィール
フリー素材モデル大川竜弥
目次
ネットで生まれた「食えるモデル・食えないモデル」
ファッションブランドの広告や雑誌の誌面を飾り、華やかなイメージのあるモデル。職業としてのモデルは、モデル事務所に所属し、そこから案件が紹介されるのが一般的でした。
狭き門で敷居が高い印象のあるこの職業ですが、インターネットの爆発的な普及によって様相が一変しました。
企業が運営するオウンドメディア、ニュースサイト、ネットショップ、自治体公式サイトといったウェブサイトの需要が生まれたのです。
こうしたニーズの急拡大とともに、事務所に所属せずに活動するモデルも増えました。自身の SNS で宣伝したり、ストックフォト会社に既成写真を提供するなど、チャネルが広がったのです。
そして、稼げるモデルと稼げないモデルの明暗も分かれました。売れっ子だと月収 50 万円を超えることもありますが、モデルだけでは食べていけない人が多数です。もとよりモデルは副業的な位置づけとし、普段は会社やお店で勤めているスタンスの人が多いのです。
筆者は時々、ポートレートモデルを起用して写真を撮ります。知り合いのモデルの例を挙げると、1 時間の拘束で 3000 円。おおむね 2~3 時間の拘束なので、6000~9000 円の収入となります。1 日の間に複数の依頼をはしごすれば結構な金額になりますが、それは 1 か月に数回あるかないか。彼女の主たる収入源は、会社勤めの月給によるものです。
11 年間、本業からの収入はゼロ
世の中は広いもので、あえて「まったくの無報酬」で、モデル業を長く続けている人がいます。
その人の名は、大川竜弥(たつや)さん。「フリー素材モデル」という肩書で、11 年にわたり活躍しています。
名前を聞いてもピンとこない人が大半でしょう。ですが、下の写真を見て「あ、なにかで見たことがある」と思った人は多いのではないでしょうか?
あえて稼がないという独自のサバイバル戦略
そう、彼こそは、「自称・日本一インターネットで顔写真が使われているフリー素材モデル」の異名をもつモデルさん。フリー写真素材サイト「ぱくたそ」の専属モデルとして 2012 年にデビュー。以来、同サイトに掲載された写真は 3,500 枚以上。多くの企業やショップがそれらの写真をダウンロードし、ウェブサイトやポスターなどに活用してきました。
ところが、それによる収益は「ゼロ」円。ご本人は、「たとえ何万回ダウンロードされようとも、僕には 1 円も入ってこないのです」と笑いながら打ち明けます。
思わず「やりがい搾取」という言葉が脳裏を横切りますが、そうではありません。1 円も収益を受け取らないことが、一個人事業主としての彼流のサバイバル戦略なのです。
では、そのサバイバル戦略とは何か? どうやって食べているのか? その答えを明かす前に、大川さんがフリー素材モデルになる前のキャリアパスから紹介しましょう。
11 年前の確信「これからは IT だ」
大川さんは、高校を卒業して映像関連の専門学校に進学しました。将来的には、「脚本を書く仕事に携わりたかった」という夢があったそうです。
しかし、事情により中途退学。心機一転して、家からほど近いユニクロで働くことに。
それが、20 年ぐらい前の話でした。ユニクロは、時給が比較的良かったのと、従業員教育がしっかりしてるとかポジティブなイメージがありました。社会人として学ぶべきことを学べるのではないか、という気持ちも大きかったですね。
最初はアルバイトで入ったユニクロでしたが、準社員になった頃に、店がテナントから撤退してしまいます。こうして、4 年続いたユニクロでの仕事に終止符が打たれてしまいます。
そのあと 1 年間だけ Web の制作会社に籍を置きました。それから、ライブハウスの店長になりました。そこの親会社が、プロレスラーのザ・グレート・サスケさんのプロダクションだったんです。流れで、サスケさんの付き人も兼務しました。そうした仕事は、すごく印象深かった記憶がありますね。そのあとは派遣会社に所属して、携帯電話のショップスタッフをしていた時期もあります。
ショップスタッフ時代に交通事故に遭って大ケガをし、そこも辞めてしまいます。このことが、今後のキャリアパスについて真剣に考える機会となりました。
11 年前のことですが、「これからは IT だ」という確信がありました。そこで、IT という枠組みで、自分でどんな仕事ができるかって考えたんです。でも、性格的にも向いてないし、技術もないと壁にぶつかったのです。
ただ、当時「使いやすいフリー素材まとめ」みたいな記事がよくあったんですよ。そこから各フリー素材サイトを見ていって、「モデルが登場する写真素材が少ないな」と思いました。そして、「モデルになって顔を出すだけなら僕にもできるんじゃないか」と考えが進んだのです。
ちょうど SNS が一般的に普及し始めた頃で、自分が「フリー素材モデルの第一人者」みたいなこと言っていけば、仕事になるんじゃないかと思ったのですね。
こうして冒頭でも述べたように、フリー写真素材サイト「ぱくたそ」のモデルとしてデビューします。11 年前のことでした。
ちなみに、写真を撮っているのは「ぱくたそ」の運営者さんだそうですが、撮影する側も無償。大川さん以外のモデルさんも含め、関係者全員が「手弁当でやってる」というスタンスなのです。
誰でもできるけど、誰もやりたがらないことをやる
フリー素材モデルとしてさまざまな媒体に露出し、モデルとしての素質・実力が証明されているはずの大川さん。ここを跳躍台にして、有料素材モデルになってマネタイズすればいいのでは、と思いますよね。ところが……
それは、いろんな方に言われました。でも、そうするとフリー素材モデルじゃなくなっちゃうんですよ。有料素材のモデルもやってるってことになるので。なので僕としては、この仕事を始めるにあたって、やりたいこと、やらないことの線引きはきっちり決めましたね。
そして、人がやらないことをやる。戦わずして勝ちたいっていうのがあるんですよ。誰でもできるけど、やりたがらない仕事にこそ価値があったりします。フリー素材モデルはまさにそう。実際、ここまで貫く人は誰もいませんよね。
ここまできっぱりと職業哲学を語られると、なるほどと感心するしかありません。大川さんは典型的ともいえる「オンリーワン戦略」をとったのです。しかも、まったく報酬のない仕事に対して……。
無収入でも知名度急上昇で大手企業の案件
とはいえ、神でも仙人でもない人間が霞を食べて生きてはいけないはず。収入を得るために、どうしたのでしょうか?
フリー素材モデルとして露出が増えたので、知名度自体はありました。それに注目した広告会社の人たちから、声がかかるようになったのです。
そうして、有名企業の広告に起用してもらえるようになりました。例えば、日清食品のカップヌードル。その商品の公式 Twitter、Facebook、Instagram の画像のモデルになりました。おかげさまで好評で、5 年ぐらい継続しています。去年は、NTT ドコモの Web サービスのキャンペーンページのモデルをしました。それで露出がさらに増え、人脈も広がって、テレビ、ラジオ、トークイベントに出演するなど、仕事の幅も広がりました。
モデルだけでなく、かなり前からライターの仕事もしています。最近だと、Honda のオウンドメディアで、新車の紹介記事を何回か寄稿しています。
朝から深夜までひっぱりだこ
現在の 1 日の仕事の流れは、8 時頃に起床して、昼ぐらいまで原稿を書きます。午後は、執筆を続行することもありますが、オンラインミーティング、SNS 運用の企画書づくり、撮影のディレクションなど、することは多岐にわたります。
夜になって 7 時から 11 時ぐらいの間は、ご飯を食べたりなど自由時間ですが、その後も仕事があって、就寝は 3 時とか 4 時ということもあります。
モデルとしての撮影がある日は、早ければそれこそ早朝の 5 時にロケ地へと出発することもあります。そして、撮影は終日続くこともあります。企業案件の撮影も、特に動画は長いですね。
こう書くと、多忙ながらもサクセス・ストーリーを駆け上がる「いま最もホットな人」のようなイメージがあるかもしれませんね。ですが、収入面で落ち着いてきたのは、ここ数年の話(さいわいコロナ禍の影響はほぼなかったそうです)。それ以前の 7、8 年は、日雇いのアルバイトなどしながら糊口を凌ぐ日々でした。
フリーの3種の神器「楽観的」「何とかなる」「天職」
現在はアルバイトをしないでも食べてはいけるそうですが、それでも給与生活者のような安定した形での収入がコンスタントにあるわけではありません。それは、この職業の宿命かもしれませんが、メンタル面での健康が気になります。
一昔前、本当にお金ないときは、バンド活動していた頃に使っていたギターとかアンプとかを全部売るようなこともありました。
けれど、もともと楽観的な性格なのかもしれませんが、精神的に追い詰められることはなかったですね。「何とかなるだろう」みたいな。
モデルを長く続けて、段々と天職かなって思ってきましたね。その意識も大きいかもしれません。
「楽観的」「何とかなるだろう」「天職」―フリーランス・個人事業主として長く続けてきた人からよく聞く言葉です。どんなスキルや経験を持っているかより、この精神的なスタンスが、意外なほど大事なのかもしれません。
ちなみに、昨年の年商を伺うと「400 万円ぐらい」との答えが返ってきました。そこから、フリー素材を撮影するときのスタジオ代といった経費がいくばくか引かれますが、趣味に多少はお金をかけられる余裕はあるそうです。
現場を明るくする「コミュニケーション能力」
最後に、モデルという仕事を志そうとしている人向けに、ワンポイントのアドバイスをいただきました。
芸は身を助けるじゃないですけれど、僕の場合、接客業で培ったコミュニケーション能力が自分の身を助けてきたかなっていうのが一番大きいんですよ。モデルの仕事では、どんな案件でも撮影現場で何人もの人と接します。なおかつ、その場で初めて会う人と長時間接するケースがすごく多いんですよね。
僕は、モデルという、中心人物にいる人が一番場を明るくするべきだと思ってます。なので、現場の雰囲気を良くするよう努めています。すると、いいものが撮れますし、円滑に進みますし、悪いことってないんですよね。それが実現できるようなコミュニケーションは、どの現場でも心がけてます。
それが積み重なって、クライアントさんが「また大川さんにお願いしたいよね」ってことになると思うんですよ。なので、コミュニケーション能力ってものすごく大事です。
外見的なことより、コミュニケーション能力の重要性を力説されて、意外と思われたかもしれません。ですが、発注者(クライアント)として起用する立場からしたら、実は大きなポイント。いくら見た目が素晴らしくても、コミュニケーション面で難があれば、次回から起用したいとは考えません。モデルとして、長く活動していきたい、あるいは行き詰まりを感じているなら、この点にも留意してみるとよさそうです。
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この記事を書いた人
- 都内出版社などでの勤務を経て、北海道の老舗翻訳会社で15年間役員を務める。次期社長になるのが嫌だったのと、寒い土地が苦手で、スピンオフしてフリーランスライターに転向。最近は写真撮影に目覚め、そちらの道も模索する日々を送る。