額賀澪のメシノタネ小説家と焼きおにぎりーー小説家と小説家を目指す者が同居したら
小説家・額賀澪が「好きを仕事にする人たち」にフォーカスして書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#01は「作家と作家志望者が一緒に暮らしたら?」がテーマ。夫婦、恋人、友人、同じ夢を追う者同士は、どう関われば互いに幸せでいられるのか?
プロフィール
小説家額賀澪
やりたいときにやりたいだけ仕事ができるのが、フリーランスである専業作家のいいところだ。深夜にパソコンに向かって原稿を書いているとき、つくづくそう思う。
原稿はクライマックスもクライマックス、主人公が全力疾走で自宅を飛び出す。「青春小説の主人公たるもの、作中で一度は全力疾走すべし」というのが、作家デビューする以前からの私のモットーだ。
そんなモットーも、デビューから八年もたてば「そう毎度毎度どいつもこいつも全力疾走させられるかい」となってくるのだが、この日の原稿は気持ちよく主人公を全力疾走させられた。
「あああ~終わった……今回はいよいよダメかと思ったが終わった」
二〇一五年に松本清張賞と小学館文庫小説賞という二つの賞を獲ってデビューしたとき、「〆切を絶対に破らない作家になろう」と誓った。誓いを守れていたのは四年目くらいまでだった。
今回は無事〆切を守ることができた。書き上がった原稿を担当にメールで送ると、時刻は午前六時。窓の外が……明るい……。原稿がラストスパートに入ったのは、昨夜の十一時。かれこれ七時間以上の長いロングスパートだった。
腹が、減った。
キッチンで冷蔵庫を漁っていたら、大学時代から一緒に住んでいるルームメイトが隣の部屋から起きてきた。
「え、徹夜ですか? 三十二歳にもなって?」
さて、このルームメイトのことは、とりあえず黒子ちゃんという名前で書くことにする。知り合ったのは大学一年のとき。日本大学芸術学部文芸学科という、小説を書きたい学生が集まるちょっとニッチな場所で知り合い、お金がないからとルームシェアをし始め、十年以上の付き合いになる。
「三十過ぎの徹夜は健康に悪いを通り越してみっともないですよ」
「ごもっともだよ。だがしかし私は腹が減ったのだよ」
夕飯を食べたのは昨夜の七時過ぎ。十二時間近く水しか飲んでいないのだ。
「しょうがない。朝ごはんを作ってあげよう」
ルームシェアが始まった当初から、この共同生活の家事は黒子ちゃんの担当であった。役割分担をしたわけではないのだが、いつの間にかキッチンが黒子ちゃんのテリトリーになる、私は鍋敷き一つ見つけられなくなってしまった。
黒子ちゃんがこの日作ってくれたのは焼きおにぎりだった。
冷凍ご飯でおにぎりを作って、味噌を塗って、フライパンで焼いただけ。ご飯はふっくら、味噌が少しだけ焦がしてある。恐らく隠し味に醤油がちょっと垂らしてあって、食べ進めるごとに香りが強くなる。味噌はねっとり甘くて、十二時間何も食べていなかった胃袋に染みた。
不思議なもので、こうして〆切明けに美味しいものを食べると、どれほど疲れていても大真面目の今後のことを考える。
今後の仕事のこと、自分の生き方そのものについて、顎を動かしながら考える。
小説を書くのが好きで小説家を目指し、運良く小説家デビューした。「好きを仕事にした」というやつなのだが、厄介なことに「好き」という気持ち以外に頭の痛いことがいろいろある。
好きを仕事にするとは、長年――下手すると子供の頃から目指していた「夢が叶う」という場合が多い。
この「夢が叶う」という輝かしい一大イベントが、そのまま人間関係を断ち切る刃物になってしまうことも、また多い。
大学が芸術系だったからか、そういう人間をちらほら見てきた。片方がデビューした途端に別れてしまった漫画家志望同士のカップル。楽しく同人誌を作っていたのに、一人がデビューした途端に解散してしまったサークル。片方が売れっ子になった途端に険悪になった上に一人が鬱っぽくなってしまったデザイナー夫婦。
そういえば、知り合いの編集者はこんなことを言っていた。
「私の知り合いのカメラマン夫婦がね、奥さんに大きな仕事が舞い込んだら、突然夫婦仲が上手くいかなくなっちゃって」
ああ、めちゃくちゃわかる。同志だった相方が、目障りなライバルになってしまう瞬間。自分の感情のはずなのに、自分ではコントロールできないのだ。
同じ夢や目標を持つ者同士で一緒にいるのは楽しい。愚痴を言い合うのでさえ楽しい。
でもそれは、相手が自分と同じ○○志望――ワナビーだから楽しいのだ。一人がワナビーを卒業したとき、当たり前にあったコミュニティが崩壊してしまうことがある。一人がワナビーでなくなった時点で、ワナビー同志の楽しいコミュニティだった場所は元に戻らないのだから。
どうしてこんなことを考えたかというと、実は私のルームメイトである黒子ちゃんは作家志望なのである。
いつか小説家になりたいねという者同士でルームシェアをした。そして私だけが一足先にこうしてデビューをした。
上記の編集者にこの話をしたら、「え、大丈夫なんですか?」という反応をされた。
「自分は作家になれてなくて、同じ家に作家が住んでる状態ってことですよね……?」
「うちのルームメイトはおおらかなので……」
「でも、作家志望同士ってただの友達じゃないでしょう。嫉妬ややっかみがトラブルを生んだりしないんですか?」
「うちのルームメイトは、とてもおおらかなので……」
おおらかとはいえ、黒子ちゃんも鋼のメンタルをしているわけではなく、新人賞で落選したとき、ちょっとした病みモードに入る。
隣の芝が青く見えるどころではない。喉から手が出るほどほしいものを手に入れた人間が同じ家に住んでいるのだから、無理もない。
確実に言えるのは、立場が逆だったら私は絶対にルームシェアなどしないということだ。
「いいじゃないですか。額賀さんは作家デビューしてるんですから。私を見て、下には下がいると安心すればいいんですよ」
昨夜、〆切に追われて「仕事したくないでござる」とほざいていた私に、黒子ちゃんはそう吐き捨てて自室で寝た。
黒子ちゃんが応募した新人賞の三次選考が昨日発表され、残念ながら落ちてしまった。それをすっかり忘れてデリカシーのないことを言った私が悪かった……のだが、〆切に手一杯で何もせず朝を迎えた。
ところが一晩明ければ私に焼きおにぎりを作るのだから、やはり黒子ちゃんはおおらかなのだ。
「よく私と一緒に住んでるよね」
私達の家の間取りは2Kで、私の仕事部屋兼寝室がリビングにもなっている。食卓は私の仕事机でもあり、黒子ちゃんは私が仕事をしている横でいつも食事する。
食卓で焼きおにぎりを頬張りながら、黒子ちゃんは「もう慣れましたから」と頷いた。
「額賀さんが家事をしないのも、〆切が近づくと掃除を一切しないのも、ゴミ出しをすぐ忘れるのも。あと、額賀さんが作家なことにも慣れました」
「私は無理だね、絶対嫌いになるよ」
「羨ましいとは思いますけど、嫌いにはなりませんよ。未だ作家志望な自分が不甲斐なくて悲しくなることはありますけどね」
こういうおおらかな割り切りが、「作家志望同士のルームシェア」を「作家と作家志望のルームシェア」に変えてくれたと感謝しつつ、私は焼きおにぎりを完食した。
昨日の謝罪を忘れていることに気づいたのは、午後に担当から「原稿拝受しました!」というメールが届いた頃だった。おおらかな人ばかりじゃないから、夢を叶えたらまずは一番側にいた人への気遣いを忘れないようにしたいですね。どんな気遣いをしたって、壊れるときはあっさり壊れちゃうんだけど。
《小説家という仕事とは I am 額賀澪インタビュー》
額賀澪新刊「タスキメシ五輪」
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この記事を書いた人
- 小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。
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