額賀澪のメシノタネ小説家と屋台の焼きそば――フリーランスと在宅ワークの落とし穴
「家で仕事をするのが辛いんです」
2020年の終わり、コロナ禍の真っ直中の頃、担当編集Dさんにそんなことを相談されたことがある。
「家なんて、仕事から帰って寝るためだけの場所だったから、狭いし、モノはいっぱいだし、日当たり悪いし、PCデスクで三食食べて仕事してるし……そんな中ずーっと在宅で仕事をしてるから、仕事とプライベートはごちゃごちゃになるし、どんどん気分が落ちていくんです」
さて、Dさんがそんな切実な悩みを私に相談した理由とは――。
「専業の作家さんって、コロナ禍前からこんな状態で仕事してるわけじゃないですか。額賀さんなんて前からよく『うちは狭いし、モノはいっぱいだし、日当たり悪いし、PCデスクで三食食べて仕事してる』ってよく言ってたじゃないですか。どうやって正気を保ってるのか教えてほしいんです!」
……というわけである。
確かに私の家は広くはないし、ルームメイトの黒子ちゃんと二人暮らしなのでモノも多い。朝は日当たりがちょっと悪いけれど、私も黒子ちゃんも夜型人間なのでむしろ助かっている。食事を仕事机で済ませているのも本当だ。
私の1日の行動を箇条書きにしたら、
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10:00 起床
10:30 遅い朝ごはん
12:00 執筆スタート(打ち合わせがある日は外出)
15:00 お腹が減っておやつを食べる
16:00 執筆を再開
18:00 集中力が切れて入浴
19:00 夕食
20:00 再び執筆
02:00 力尽きて就寝
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こんな具合になる。
書き出してみて心底恐ろしいと思ったのは、家にいる間、睡眠と入浴以外の時間はずーっと仕事机に向かっていることだ。
朝食は仕事机でPCをチラチラ見ながら食べる。食べ終わったら仕事机でそのままPCに向かう。打ち合わせのある日なら外出し、そうでない日はそのまま夜までひたすら書く。
あまり褒められた生活スタイルではないという自覚はある。下手すると仕事机からほとんど移動することなく1日が終わってしまう。
普段、電車で通勤して会社で同僚に囲まれて仕事していた人が突然この環境に放り込まれたら、そりゃあ確かに気分が落ちるだろう。
「とりあえず、家のインテリアを気分が上がるものに替えてみたらどうですか?」
ちょうどその頃に「在宅ワークで鬱っぽくなる人が増えている」というニュースを聞いたこともあって、Dさんにはそんなアドバイスをした。
後日、Dさんは給料日にIKEAに駆け込んだとかなんとか。
専業作家である私はコロナ禍の遥か前から在宅ワークだから、なんの問題もない。当時の私は呑気にそんなことを考えていたのだ。
*
さて、Dさんとのそんなやり取りを、2023年の9月に私はふと思い出すことになる。
仕事机で三食食べ、1日のほとんどを仕事机で過ごすことが何の苦でもなかった私だが、唐突に「こんな仕事部屋、いやだ!」となったのだ。
原因として、2023年が異様に忙しかったことが考えられる。ありがたいことなのだが、デビューしておよそ9年、毎年毎年が「今が一番忙しい」という状態なのだ。
ボジョレーヌーボーよろしく忙しさの最高値を毎年更新する中、2023年に突然、自分の仕事環境が許せなくなった。Dさんの言葉を借りるなら「どんどん気分が落ちていく」という状態になった。
かくして私は、Dさんにしたアドバイスを思い出し、仕事机、イス、その他諸々を一新することにしたのである。
その頃ちょうどドラマ『転職の魔王様』が最終回を迎えたので、ドラマ化の記念ということで、ドラマの中で使われていた木製デスクとワークチェアを買った。
カーペットを買い換え、印刷した原稿や書類を収納していたラックも全部新しくし、部屋の模様替えをした。
お財布からまあまあな金額が出ていったが、仕事環境を少しだけ変えることで、不思議とモチベーションが戻ってきたのである。毎日「このデスク、すごくいい!」と頬ずりしてから執筆をスタートさせるくらいである。
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2024年1月。
初詣、箱根駅伝、帰省、お墓参り、仕事始めと年始の慌ただしいイベントが無事終わり、「いよいよ2024年も本稼働だな~」というタイミングで、私はスリッパを新しいものに替え、このエッセイを書いている。
どうして2024年に書く1本目のエッセイにこの話題を選んだかというと、「今年も自分で自分の機嫌を取って、自分で自分のモチベーションを保って、自分で自分の心身の健康を維持しながら頑張っていきましょう」という決意表明をしたかったからである。
ちなみに年末年始を私は大量の焼きそばを食べて過ごした。ルームメイトの黒子ちゃんの手作り焼きそばである。
フリーのシナリオライターとして働く黒子ちゃんは、昨年から大きなプロジェクトが立て込んでしまい、秋から冬にかけて猛烈に忙しくしていた。「すべてを投げ捨てて南の島へバカンスに行きたい……」と毎日のように呟いていたくらいである。
かといって本当にバカンスに行くわけにはいかない黒子ちゃんは、ある日おもむろに「屋台の焼きそばを再現してみようと思う」と言い出した。
結果、定期的に我が家の食卓には焼きそばが並ぶようになった。
自宅で屋台の焼きそばを作るのはなかなか難しそうだが、努力のかいあって最近はかなり近い味が再現されている。
麺はバリッと香ばしく炒める。屋台ではラードを引いて具材を炒めることが多いから、ラードの代わりに豚バラ肉をパリパリに炒めて脂を出す。野菜の水分で味が薄まらないよう、野菜はすべて別に調理して最後に混ぜ合わせる。オイスターソースをちょっと焦がしてやる。
豚バラ肉はカリカリ、野菜は少し歯ごたえがあって、麺はもっちり、味は濃いめで香ばしい。改良を加えながらチャレンジを繰り返した結果、どんどん屋台の焼きそばに近づいていった。
そしてある日、黒子ちゃんは自分が作った焼きそばを食べて満足げに頷き、
「いいストレス発散になったわ」
と言って、屋台の焼きそばチャレンジは終了した。
「これやってなかったら本当に仕事を投げ出して南の島にバカンスに行ってたかもしれない」
大真面目な顔でそんなことを言っていたので、屋台の焼きそばチャレンジは黒子ちゃんにとって効果的なストレス発散法だったらしい。
仕事とプライベートのメリハリがなくなるとか、運動不足を招くとか、生活リズムが崩れるとか、人とのコミュニケーションが減るとか、在宅ワークには心身を不健康にする要素が多くある。
自分で自分の労働環境をしっかり整えて、今年も精々頑張って働いていきたいものだ。